こんにちは、ピッコです。
「メイドになったお姫様」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

103話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 明らかな変化②
皇帝の執務室。
大きな机の横に立った護衛騎士ソルは、険しい顔で言った。
「殿下、いったい皇帝代理としての職務を真面目に果たすおつもりがあるのですか、それともないのですか!」
ラシードは澄ました顔で答えた。
「ない。」
あまりにもきっぱりした返事に、ソルは口をあんぐり開けた。
だがラシードはお構いなしに机の上に積まれた書類を手で払った。
「とにかく、今日やるべきことは全部済ませた。」
実に投げやりな調子で。
ソルは心の中で、ラシードのいい加減な言葉に歯ぎしりした。
「……承知しました。お疲れさまでした。しかし!」
「……。」
「午後にはリムブラン伯爵とエバー伯爵の会合が控えております。両伯爵の領地が隣接しているため、たびたび争いが起き、殿下が仲裁せねばならないのです!」
貴族同士の争いを調停するのは非常に厄介な仕事だった。
双方の事情を調べるために多くの時間と労力を割かねばならず、納得のいく結論を出さなければ後に禍根を残す。
だが、ラシードは少しも気にかけない顔で言った。
「今後、理由が何であれ、相手領地に先に足を踏み入れた家門を取り潰せと伝えろ。」
「は、はいっ?!」
呆気にとられるソルの顔を見て、ラシードはさらに言葉を続けた。
「取り潰しはきついか?なら家主の首を斬れと伝えろ。俺の首のためにも気をつけるだろう。」
「……。」
「そう伝えて、この会合は中止にしろ。俺がそんな些細な用件でいちいち人と会うほど暇ではないからな。」
ラシードはそう言って立ち上がった。
目を瞬かせながらラシードを見ていたソルは、ようやく我に返って叫んだ。
「理由がないなんて仰いますが、本当は!ただシアナ様に会いたくて行かれるんでしょう!」
だが、その言葉を聞くべきラシードの姿はすでになかった。
長い脚で大股に歩き、執務室を出て行ってしまったのだ。
その背中からは、先ほどまで感じられなかった幸福と期待感があふれ出ていた。
慌てて駆け寄り、ラシードの横に並んだソルは険しい顔で問いただした。
「殿下、本当にまたシアナ様に会いに行かれるのですか?」
「そうだ。」
「午前にも会ってこられたではありませんか!」
「今は午後だ。」
「ルビー宮を訪れてから、まだ三時間も経っておりません!」
「もう三時間も経ったじゃないか。」
「……。」
ぴしゃりと言い返してくるラシードの様子を見て、ソルは――言葉では絶対にこの主君を止められない、と悟った。
ソルは覚悟を決め、真剣な顔で言った。
「こんなことを続けていたら、シアナ様が殿下を嫌いになられますよ。」
その言葉に、前だけを見据えて進んでいたラシードの足が初めて止まった。
「……どういう意味だ。」
もしソルが「殿下の行為がシアナの王国を危険に晒す」と言うつもりなら、ラシードは気にもしなかっただろう。
シアナ自身が「それは大丈夫」と言っていたのだから。
しかし、ソルの口から出た言葉は全く別のものだった。
「女性というのは、しつこく迫ってばかりいる男性を好みません。」
――その瞬間。雲間から差し込む陽の光が、まるで狙ったかのようにラシードを照らした。
柔らかく揺れる銀の髪、その下にのぞく彫刻のように整った顔立ち。
長い睫毛と鮮やかな紫の瞳。
息をのむほど美しい顔で、ラシードが尋ねた。
「それは本当か?」
――いや、よく考えてみれば、この顔なら一日中追いかけ回されても嫌じゃないかも……
そんな言葉が口をつきそうになるのを必死でこらえ、ソルはごまかすように咳払いした。
「そ、そうなのです!ですからアリス公主様も次第に苛立ちを募らせておられるのです!」
ラシードはゆっくりと目を細めた。
最近のラシードの視界には、シアナしか映らなくなっていた。
そのせいで、アリスの姿ははっきりと思い出せないほどだ。
ようやく思い浮かべたアリスのかすかな記憶は、まるで雛鳥のように震えていた。
「……そうだったかもしれないな。」
ラシードの応えに、わずかな希望を見出したソルは、ここぞとばかりに言葉を重ねた。
「ですから、もう少しだけ我慢なさってください。お願いですから。」
「……。」
ラシードは思案に沈んだ顔で視線を落とし、溜息をついた。
――だが、その決意も虚しく、結局ラシードは三十分も我慢できずにルビー宮へ足を運んでしまった。
「シアナ。」
満開の花を一輪抱え、微笑む美しい男を見つめ、シアナは言葉を失った。
ラシードはどこか傷ついたような顔で口を開いた。
「皇太子宮に咲いた花があまりに美しくて……。君にも見せたくて、持ってきたんだ。」
「……。」
「君、花が好きだと言っていただろう?」
ラシードはわずかに笑みを浮かべながら、シアナに花を差し出した。
シアナは複雑な表情でラシードを見つめ――これまでラシードが何を考えているのか分からないと思っていた。
だが、今だけは違った。
目の前で花束を差し出す彼の瞳に宿る感情は、あまりにも純粋で、あまりにも真っ直ぐだった。
――愛。
『……そう、愛。』
それはシアナの胸をひどく締めつけた。
彼女にはあまりにも重すぎる想いだったから。
シアナが何も言えずに彼を見つめていると、ラシードは少し寂しげに目を伏せた。
「どうした?この花、気に入らないのか?」
いつもは余裕に満ちていた顔に、不安の色が差していた。
“血の皇太子”――次期皇位に最も近い存在、強大な権力者。
けれど、今の彼の顔はそのどれとも似つかぬ、ただの純朴な青年のものだった。
シアナはラシードを見つめるうちに、ついに決心して口を開いた。
「花は好きです。でも……この花は受け取りたくありません。」
目を大きく見開いたラシードが、少し遅れて問い返した。
「……それはどういう意味だ?」
「このところ、殿下は一日に何度もルビー宮に来られています。正直、負担です。……殿下がルビー宮に心を寄せる女性がいるのではないか、そんな噂が立つ日も遠くないでしょう。」
気づけば、他の人々はすべて姿を消し、ルビー宮の庭には二人だけが残されていた。
青々と茂った庭園には、一瞬、静寂が落ちた。
ラシードが先に口を開いた。
「……それじゃ、ダメか?」
かすかに震える声。
それに対し、シアナは毅然とした声で答えた。
「はい。」
「どうして?」
「もちろん、殿下にとっては大したことではないのかもしれません。高貴な身分を持つ男性の中には、時に自分より身分の低い女性に好意を示すこともあります。人々はそれを大して重要なこととは思いません。退屈した男が、素朴な女をからかって楽しんでいるとか、たまたまそんな女に心を奪われて一時的に浮ついている、そんな程度のことだと受け止めるのです。」
「……」
「ですが、女性の側が受ける影響は、その程度では済まないのです。」
狡猾に男を誘惑した悪女。
男の権力を欲し、身も心も捧げてしまった浅ましい女。
一生消えない烙印のような噂を背負わされ、その女の人生は破滅へと追いやられます。
平凡な貴族の男が相手であってもスキャンダルになりますのに、相手が皇太子ともなれば、どうなるでしょうか。
「もし殿下が私を特別に扱っている、そんな噂が立てば……私はもう、ただの平凡な侍女ではいられません。私と殿下の関係がどうであれ、私はもう普通の侍女としては生きていけないでしょう。」
シアナの声は普段のように柔らかく温かかった。
しかし、その声には確かな決意が込められていた。
──これ以上近づかないでほしい、という拒絶の響き。
ラシードは澄んだ顔で思った。
『……ソルの言った通りだ。』
自分があまりにもしつこくシアナを追いかけすぎていたのだろう。
彼女がこんな負担を感じるほどに。
『私はただ、シアナに会いたくて……彼女を見ると嬉しくて……ただそれだけだったのに。』
それが周囲の人間にどう映るかなど、深く考えたことはなかった。
いや、考えようともしなかった。
シアナの言葉を聞いたラシードは、それを大したことではないと受け止めていたから。
人々が何を囁こうとも、ラシードにとっては取るに足らない雑音にすぎなかったから。
『……彼女にとっては絶対、そんなことはなかったはずだ。』
そう考えが及ぶと同時に、ラシードの耳まで赤く染まった。
ラシードは困惑した顔で言った。
「……俺があまりに浅はかだった。」
「………」
「君を苦しめてしまったな。」
シアナは黙ったままラシードを見つめた。
ラシードは抑えきれぬ感情を抱えたまま言葉を続けた。
「これからは……気をつける。もう、以前のようには……」
そこまで口にしたラシードは言葉を失った。
“以前のように”とは、一体どういうことなのか。
最近のラシードは冷静ではなかった。
だが、それでも自分の心の状態を誰よりもよくわかっていた。
──一日中、シアナに会いたい。
彼女の声が聞きたい。
彼女を見ているだけで胸が高鳴り、笑みがこぼれる。
抱きしめたくて、口づけたくて仕方がない。
なのに「以前のように戻る」だと?
小動物を相手にするように可愛がり、軽い冗談を交わすだけの関係に?
『戯言だ。』
そんなことは不可能だった。
ラシードはシアナと目を合わせた。
苦悩を帯びた表情で彼は言った。
「もう、以前のようには戻れない。」
「……!」
目を見開いたシアナに、ラシードは微笑んだ。
「すまない。」
「……」
あまりに切なげなその笑みを前に、シアナは何も言えなかった。
ラシードは大好きなシアナの茶を口にすることもなく、ルビー宮を後にした。
彼が去った席には、シアナが結局受け取らなかった花束が置かれていた。
まるで彼女への未練のように。
そうして一週間が過ぎた頃、アリスが堪えきれないといった顔で問いかけてきた。
「シアナ、一体お兄様に何を言ったの?一日に三度も通っていた人が、影も形も見せなくなったじゃない?」
確かにそうだった。
ラシードはここ数日、ルビー宮に姿を現さなかった。
衝撃的な出来事としか言いようがない。
「まさかお兄様が嫌いだって、平手打ちでもしたの?」
アリスの突飛な言葉に、ニニとナナが慌てて首を振った。
「まさか。その綺麗なお顔をどうして叩けるのよ。」
「でも、殿下なら平手打ちされた顔すら色っぽいでしょうけど。」
その言葉にアリスは顔をしかめた。
「あなたたち、見ていると妙にお兄様の味方をするわね?そんなにお兄様が好きなの?」
ニニとナナは、何を言われているのかというように慌てて首を振った。
「そうじゃなくて、公主様(お嬢様)の兄君だからですよ。」
「輝く紫の瞳とか、彫刻のように整った顔立ちとか……そっくりじゃないですか。」
「もちろん、私たちの目には公主様のほうが何倍も美しいですけどね。」
「何倍もって何よ。万倍は綺麗でしょ。」
止まらない二人の称賛に、アリスは一瞬気をそらした。
だがすぐに気を取り直し、シアナへと視線を向ける。
先ほどの質問に答えよ、というように。
シアナは伏し目がちに答えた。
「平手打ちなんてしていませんし、もう来るなとも言ってません。ただ丁寧にお願いしただけなんです。人々の間で妙な噂が立たないよう、気をつけてくださればと思って。」
アリスがふっと息を吐くと、納得したように言った。
「お兄様がそんなことを聞いて来ないはずないんだけどね。不思議だわ。」
しかし考えは長く続かなかった。
すぐにアリスはぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「まあいいわ。とにかくいつもやって来て邪魔ばかりしてたお兄様が来ないんだもの、こっちは楽しいじゃない! 今日は思いきり遊びましょう!」
ニニとナナは目を輝かせてうなずいた。
「いいですね。今日は何をしましょうか?」
「シアナ様のお召し物を着替えさせてみるのはどうです?」
アリスがパッと声を張り上げた。
「それ、賛成!」
「わたしも!」
――薔薇の園遊会以来、シアナを飾り立てるのにすっかり熱中してしまった三人だった。
シアナをどう飾ろうかと口々に騒ぐ三人に、シアナの胸中は――ラシードはシアナに自分の気持ちを押しつけたことはなかった。
告白したわけでもない。
ただシアナを訪ねてきて、微笑んでいただけ。
愛情を宿した眼差しで。
だがシアナはそれを冷ややかに断ち切った。
そのとき見たラシードの顔を、シアナはいまだ鮮明に覚えている。
――「傷ついた顔だった。」
もしかするとラシードは、ただ傷ついただけでは終わらなかったのかもしれない。
自分を拒んだ侍女に強い執着を抱き、欲していたのかもしれない。
そこまで考えが及ぶと、シアナの全身が冷たく強張るのを感じた。
しかし幸いか不幸か、シアナはその感情に長く囚われる暇はなかった。
衝撃の知らせがルビー宮に伝わったのだ。
「皇太后様が倒れられました。」







