こんにちは、ピッコです。
「ニセモノ皇女の居場所はない」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

126話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 外出禁止
フィローメルの思いがけない宣言に、ルグィーンとレクシオンの顔が驚愕に染まった。
「……勇者?」
「勇者って……神殿で十年ごとに選ばれる、あの勇者のことですか?」
「はい。」
フィローメルは涼しい顔で、レクシオンの問いに答えた。
「もうすぐ行われる勇者選抜式に、出ようと思います。」
「ダメだ!」
ルグィーンは、激しく声を荒げた。
「それがどういう意味か、分かってるのか?」
「はい、分かっています。」
「魔塔にいても敵に狙われているというのに、大衆の前に出るつもりか?しかも選抜式は徹底的に“神殿側”の管理下にある。俺でも介入は難しい。」
「大丈夫です。助けていただかなくても、自分の力で乗り越えますから。」
「……お前が、一体どうやって?」
「ルグィーンの目には、私が取るに足らない存在に映るかもしれません。でも、自分の身くらいは守れます。」
――星明かりの市で手に入れた品々のおかげかもしれないが。
レクシオンもまた、フィロメルを止めようと声を添えた。
「フィル、よく考えてください。神殿の試練は決して生易しいものではありません。」
「そうだ。仮に本当に勇者に選ばれたとしても、神殿に利用されるだけだ。」
「……見栄だけの名誉です。」
だが、フィロメルは決意を曲げなかった。
眠れぬ夜を過ごし、深く思案した末に下した結論だったのだ。
フィロメルの言葉は、まるで雛鳥が鳴くように繰り返された。
「私は勇者になります。世界樹が、私を認めてくれました。」
その言葉に、ついにルグィーンは爆発した。
「世界樹だと!?あんなもの、根こそぎ燃やしてしまうべきだった!」
「そんなことをしたら、ルグィーン様を失望させますよ。」
どうすることもできずにいたルグィーンの顔には、力の抜けたような表情が広がっていった。
「……なぜだ。どうしてお前まで私を理解してくれない。お前なら分かってくれると思っていたのに。」
「……何とおっしゃいました?」
フィローメルが眉をひそめると、ルグィーンは苦々しく顔を背けた。
「とにかく、許可はしない。勇者だの選抜だの……そんなもの、認めん!」
「許すとか許さないとか、私はもう決めました。親だからといって、私の行動を縛ることはできません。」
「いや、子どもが道を外れそうになったら正すのも親の役目だ。」
「私は非行少年じゃないんです!」
「しばらく外出禁止だ。」
「権利の侵害です!」
「育児書にも載っている、正当な教育方法だ。」
――そんな本、いつ読んだの?
「それは私が悪いことをした時に言う言葉でしょ!」
「はぁ、何を言っても無駄だ。俺にとっては、お前の身が一番大事なんだ。」
「それって不公平です。他の兄弟たちは自由にさせているじゃないですか。」
「やつらは……」
ルグィーンは何か言いかけて、代わりに長男へと視線を向けた。
「お前たちも外出禁止だ。」
その場が一気にざわめきに包まれた。
「えぇっ!?僕たちまでですか!」
「お前は俺が止めろと言った研究を勝手に進めたし、カーディンはまた禁じられた秘薬を飲んだ。そしてジェレミアは……言うまでもない。」
「カーディンはともかく、ジェレミアが知ったら大騒ぎになりますよ……。」
「みんなを思う愛からの処罰だ。我慢しろと言ってるんだ。」
“愛”という言葉に、レクシオンは苦々しい表情を浮かべた。
「なんだか、昨日の夕飯が逆流してきそうですね。」
「……なんだと?」
「いえ。他の二人にはそうしても構いませんが、私は除外してください。」
レクシオンは声を落とした。
「もうすぐ“その時期”が来ます。私まで塔の外に出られなければ、本当に困るんですよ。」
ルグィーンは机の上に置かれた暦を確認した。
「なるほど、もうそんな時期か……仕方ない。……お前だけは特別だ。外出禁止は免除する。」
「ありがとうございます。」
彼らは、当人たちにしか分からない微妙なやり取りを交わした。
「で、その“時期”って一体何のこと?」
フィローメルは自室の窓辺でぼんやり外を眺めながら、あの日の言葉を反芻していた。
それから一週間が過ぎた。
最初の数日はルグィーンにしつこく意見をぶつけてみた。
宮廷ではフィローメルの意見がほぼ最優先で通ってきたのだから、今回も期待していたのだ。
……やっぱり無理だった。
「やはり無理だ。」
ルグィーンは相変わらず、彼女が勇者の選抜式に出ることに反対していた。
そこで一つ気づいた。
宮廷でフィロメルが望むことを許されていたのは、侵入者が彼にとって大した脅威ではないと見なされていたからだ。
だが、イエリスという存在が現れてからは、ルグィーンの余裕ある態度も変わってしまった。
フィロメルは席を立ち、外へ通じる扉を開けた。
「フィロメル様。」
「どこかに行かれるのですか?」
部屋の前を守っていた二人の魔法使いが声をかけた。
イエリスの配下と思われるモンスターが確認されて以降、魔塔は厳戒態勢に突入した。
魔法師団が魔塔の周辺に展開し、出入りする人間を徹底的に監視・制限したのだ。
「そのせいで……ナサールとも会えないなんて。」
出入りが制限された初日、フィローメルは通信席からため息混じりに呟いた。
大まかな事情は伝わってきたが、その後の連絡は途絶えた。
ルグィーンが念のため魔法攻撃を防ぐと称して、外部との魔力の流れを遮断してしまったせいで、通信すら不可能になったのだ。
フィロメルには護衛として魔法使いを二人もつけていた。
『……私を守るため、という名目だけど。』
もしフィロメルが外に出ようとすれば、間違いなく彼らに止められるだろう。
彼女はこの数日、大人しく過ごしていた。
まるで勇者選抜式を諦めたかのように。
それを前向きな兆候だと受け取ったのか、ルグィーンは娘を宥めた。
「数日経てばナサールを魔塔で過ごさせてやろう」とまで言って。
「ずいぶん安心してるみたいね。」
もちろん、フィローメルは大人しく従う性格ではなかった。
ルグィーンに反対されただけで諦めるつもりなら、最初から動き出しはしない。
「……これくらい荷物をまとめれば十分よね?」
小さな袋を肩にかけながら、彼女は小声で呟いた。
今夜――こっそり抜け出すつもりなのだ。
夜はすぐに訪れた。
フィローメルは眠ったふりをしながら、部屋の灯りを消し、扉の向こうの気配に耳を澄ませた。
数か月前に皇帝から逃げ出したばかりだというのに、また脱出を企てることになるとは。
『これはもう逃亡癖と呼ばれても仕方ないわね。』
そう苦笑しつつも、やらなければならない。
勇者選抜の儀式は目前に迫っている。
ルグィーンを説得している余裕など、もう残されてはいなかった。
『とにかくアンヘリウムへ行って、ナサールと合流しなきゃ。』
高鳴る胸を落ち着かせながら、冷静に計画を再確認した。
『ナサールなら、きっと私の考えに従ってくれる。きっと……。』
そう考えているうちに、ついにその時が来た。
「交代の時間だ。特に変わったことはなかったか?」
「全然。」
扉の向こうから、気の抜けた声が聞こえてきた。
フィロメルは、彼らが会話に気を取られた隙をついて、そっと扉を開けた。
「私たちが話をつなぐから、お前はここから離れろ。」
「ふあぁ……もう寝なきゃな。」
見張りの魔法師たちが完全に持ち場を離れた瞬間、フィローメルは扉を勢いよく開け放ち、部屋から飛び出した。
だが魔法師たちは彼女に気づかない。
無地のヴェールで姿を隠していたからだ。
厳格な魔法師たちは、不意に開いた扉を見て顔を見合わせ、小声でつぶやいた。
「……フィローメル様?」
「…………」
当然、返事はない。
一人の魔法師が暗がりの中、ぼんやりと揺れる寝台を目にし、安堵の声をもらした。
「眠っておられるようだな。」
「でも……どうして扉が開いてるんだ?」
「前に行った奴らがちゃんと見張りを交代していないのでは?」
「本当に?」
暗い廊下を歩きながら、その会話を耳にしたフィロメルは心の中で叫んだ。
『そうだ、早く閉めて!』
少なくとも自分が魔塔から完全に抜け出すまでは、ばれてはいけない。
ここにいるのが自分ではなく雑用係だという事実が。
だが運は味方してくれなかった。
同僚の言葉を聞いていた別の魔法使いが口を開いた。
「いや、もしかしたら言葉を発せない状況かもしれない。目を覚ましても声を出せない場合だってある。安全を確認しないと。」
ルグィーンの部下であり、真面目すぎるほど仕事熱心な男がいた。
彼が部屋に入ってきた。
「フィローメル様、失礼いたします。」
パチ、と明かりが灯る。
フィローメルは心臓が止まりそうになった。
――終わった。
ここはルグィーンの執務室のすぐそば。
もし彼らがフィローメルの不在に気づけば、ルグィーンはすぐさま駆けつけてくるだろう。
無地のヴェールといえど万能ではない。
少しでも怪しまれれば、すぐに正体がばれてしまう。
フィローメルの足は思わずもつれた。
「ひ、非常……っ!」
不審な気配に気づいたのか、部屋の空気が一瞬で張り詰める。
中に入った魔法使いが声を上げた。
いや、声を上げようとした。
バン! バン!
二度の鈍い音が響いたかと思うと、その声は消えた。
フィロメルは振り返った。
闇の中に二人の魔法使い以外に、誰かがいたのだ。
身動きできなくなった魔法使いたちを壁にもたせかけた後、その人物は言った。
「フィロメル、そこにいるだろ?」
――ジェレミアだった。
フィロメルは少し迷った後、無地のヴェールを外した。
「ジェレミア、ここで何をしているんですか?」
「とりあえず、移動しながら話そう。」
そう言って、彼はフィローメルの腕を掴み、浮遊席の方へと引っ張った。
二人が乗り込むと、すぐに座席がふわりと宙に浮かび上がる。
――ひとまず、浮遊席を使えるのは助かった。
『本当は階段を使って歩いて降りるつもりだったのに……。』
誰も乗っていないのに座席だけが勝手に動いていたら、警備の目に怪しまれるのは当然だ。
「……他の連中に見られるかもしれん。」
ジェレミアはそう呟き、無地のヴェールを取り出してフィローメルに掛けてやった。
「これを被ったままでも、会話はできるのか?」
「まだ試したことがないから分からないわ。」
「声が聞こえるってことは、どうやら可能みたいだな。」
新しい事実を知った。
無地のヴェールに関する説明には、声などもかき消されると書かれていたが、声は特に問題なさそうだった。
「……」
「……」
フィロメルは隣に立つ彼の表情を伺いながら口を開いた。
「私が今日、脱出を計画していたことを知っていたんですか?」
「まさか。俺は神じゃないし、日付までは知らなかったよ。」
つまり、ジェレミアは最初から気づいていたということだ。
「どうして分かったんですか?」
フィローメルには理解できなかった。
ジェレミアもカーディンも外出を禁じられ、彼女とルグィーンの間に何か深刻なことが起こったのは察していた。
だが、彼女が立てた具体的な計画までは知らされていないはずだ。
ジェレミアはあっさりと言った。
「お前さ、まるで『ここにいたら息が詰まって死んじまう』って顔してたからな。」
「わ、私が?」
「そうだ。ルグィーンはお前がすっかり諦めたと思ってたようだが……俺にはそうは見えなかった。」
「……ジェレミアは前から魔塔にいるのが嫌だったの?」
「無茶な質問だな。」
「理由を聞いてもいいですか?」
「今はだいぶ良くなったけど、昔はここの連中が俺たちを実験用の動物みたいに扱ってたんだ。」
彼の眉間がひそめられた。
「レクシオンやカーディンはそれほど気にしてなかったが、俺は嫌で仕方なかった。耐えられないくらいに。」
フィロメルは、かつてルグィーンの書き記した書類の中にあったジェレミアに関する記述を思い出した。
彼は繊細な性格の持ち主だった。
推測にすぎないが、彼は他人の視線の中で自分の実母の存在を意識したのだろう。
息子を受け入れることができずに去った母親の存在を。
「ルグィーンはお前を守るためだと称して、ただ閉じ込めようとしてる。だが俺の考えは違う。」
彼は見えない同胞に向けて静かに言葉を放った。
「人の意志は、何ものにも縛られるべきじゃない。」
「……助けてくれて、ありがとう。」
「勘違いするなよ。別にお前を助けたいわけじゃない。ただ、ルグィーンだとかレクシオンだとか――ああいう連中の気に入らない態度が癪に障るだけだ。」
「素直じゃないんですね。」
「……で?また部屋に戻る気か?」
「いいえ、怖くなんてありません。それより――さっきは本当にすごかった。一度に二人を沈めるなんて。」
「奴らがあんたの部屋にばかり気を取られてたおかげだな。」
会話を交わすうちに、副階段は1階に到着した。
夜も遅いのに、建物の中を歩き回る魔法使いたちがかなりいた。やはり夜型らしい。
ジェレミアは人気のない裏門の方へ歩きながら囁いた。
「北棟の4番門付近の警備が一番手薄だ。」
「わ、私はあの門を使ったことがありません。」
「俺の後ろについて来い。余計なことをするな。ただ怪しく見えるだけだから。」
「でも、ぐずぐずしていたらルグィーンが配置した見張りに見つかるかも……。」
「心配するな。ルグィーンは少なくとも明日までは暗黒空間に籠もってるはずだ。」
「えっ、暗黒空間にいるんですか?」
「ああ。『その時期』だからな。」
二人は人影のない長い回廊を進んでいた。両脇の壁際には青銅の騎士像が並んでいる。
「その……『時期』って、一体なんなんです?」
「月に一度、ルグィーンの魔力が消える日がある。」
「えっ、そんな日があるんですか!?」
「お前も王宮にいた頃に気づいてたはずだ。あの男、まる一日どこにも姿を現さない日がたまにあっただろ。」
「言われてみれば……。」
ただ怠けてどこかで寝ているだけだと思っていた。
まさか理由があったなんて――。
彼の性格が生まれつきそうなのか、誰も不思議には思わなかった。
「理由は分からないが、昔からそういう兆候があったらしい。」
「そうなんですね。」
「そういう時は神経が過敏になって、暗い場所でも全く動かない。本人が一番弱くなる時だからな。」
「まるで冬眠する動物みたいですね。」
「まあ、そのせいで恨みを買って身を潜めることも……。」
その時、二人以外の声が割り込んできた。
「ジェレミア、こんな時間にどこへ行くのですか?」
声の主は、回廊の終わりに立っているレクシオンだった。
ジェレミアは、フィローメルにだけ聞こえるほどの小声で囁いた。
「――あの見張りを抜けて、あの柱の向こうへ一直線に行けば出口だ。監視が最も手薄だからな。」
「……ジェレミア?」
「俺が相手するのは――そこに潜んでる奴だ。」
「残念だが、通すわけにはいかない。」
レクシオンが手を振り下ろした。
ゴゴゴゴゴッ――!
大地が震え、地鳴りのような轟音とともに、灰色の波動が広がっていく。
青銅の騎士像たちが一斉に動き出したのだ。
武器を構えた青銅の兵が、回廊の両端にびっしりと並んでいく。
わずかな隙間すら許さぬほど、密集して。
『このままじゃ抜け出せないのに……!』
ジェレミアがレクシオンを見ながら低く唸った。
「何をブツブツ言っている。」
「見えないけど、フィルはそこにいるんでしょう?」
「……何の戯言だ。」
「どうして私が知っているのか気になりますか?」
彼は肩をすくめた。
「おかしかったんです。私は一度も話したことがないのに、あの子は私とルグィーン様が交わした会話の内容を知っていたんです。」
「たまたま通りがかりに聞いたんだろう。」
「魔塔主の執務室は、防犯のために防音が徹底されているって、もう忘れましたか?」
「……ちっ。」
「残された可能性は数えるほどしかない。その部屋に監視装置が仕掛けられていたとか――」
レクシオンは眼鏡の位置を指先で押し上げた。
「あるいはフィローメル、君自身がそこにいたとか。姿を隠す効果を持つアイテムを使っていたとしたら、不可能じゃない。」
「ずいぶん想像力が豊かだな。」
「回転の鈍いあなたなら見過ごしたでしょうが、私は違います。」
「この野郎……。」
「護衛たちには伝えてあります。わずかでも異常があればすぐに連絡を寄越すようにと。たとえ異常がなくても、定期的に信号を送れとね。」
レクシオンは、懐から取り出した小さな装置をトントンと叩いた。
ドクン、と鼓動が高鳴った。
「ところで、呼ぶべき仲間が十人近くも来ていないんですね。」
「だからネズミみたいにここに隠れて待ち伏せしていたってわけか?」
「わざわざ私の部屋に一番近い扉の警備を手薄にしておいた痕跡がありますね。」
「……こっちに誘導したということか。」
「そのくらいの頭は回るようですね。」
「狡猾な奴だ。昔からお前のそういうところが嫌いだった。」
「言いがかりです。それでも昔は『兄さん、兄さん』と呼びながら、可愛いところもあったのに……。」
「いつ俺が!」
その時、フィローメルはヴェールを外した。
彼女の姿が、二人の目の前に現れる。
兄弟の不和がこれ以上悪化するのを、どうしても止めたかった。
「レクシオン……どうか道を譲ってください。」
「……残念ですが、それはできません。」
「お願いします。」
「ルグィーン殿の命令に従うのが最善です。外はあまりに危険すぎる。」
「でも――私の意思を尊重してくれたのは、他ならぬあなたでしたよね。」
王宮で、ルグィーンと共に魔塔へ行くべきか悩んでいたあの時。
彼は問いかけてくれたのだ――“心から望むことは何か” と。
またこうも言った。
『とにかく私たちの顔色をうかがわずに決めてください。いいえ、私たちの顔色だけじゃなくて、もし邪魔になるものがあるなら全部無視して、これから自分がどうしたいのか考えてみてください。』
その言葉のおかげで、フィロメルは〈皇女エレンシア〉の正体を突き止めたいという願望を再び強め、真実に近づくことができた。
「今の私が本当に望むのは、勇士になることなんです。」
そしてエレンシアに手を差し伸べること。
彼女と皇帝が無惨に死ぬのを放っておかないこと。
「……」
レクシオンは沈黙した。
「兄さんは、純粋に彼女のことを思ってあんな言葉をかけたわけじゃない。」
ジェレミアが口を開く。
「“望むことをしろ”だと?人の良さそうな顔をしながら、結局は自分の思い通りに操ろうとしてるだけだ。」
「操る……?」
それは――“暁の子供たち”に関するルグィーンの記録の中で見た文言だった。
ジェレミアは剣を抜き放ち、兄へと突きつける。
「お前にとっては、フィローメルが王宮に留まる方が都合がよかっただけ。――いや、正確には、ルグィーンがフィローメルを手元に置くことが、だ。」
「それをレクシオンがなぜ……?」
「ルグィーンが魔塔にいない隙に、仲間たちが悪神に関する研究をしなければならなかったからだ。」
その瞬間、少し前の出来事がよみがえった。
フィロメルが夢でエレンシアを見たあの日。
レクシオンがイエリスの封印石を持ってきたとき、ルグィーンはかなり動揺していた。
ジェレミアは言葉を続けた。
「お前が現れるずっと前、魔塔では禁じられた研究をしていたが、それが発覚して処刑された集団があった。」
彼の説明はこうだった。
レクシオンは数人の魔法使いたちと共に、悪神について研究していた。
だがその事実が明るみに出て、ルグィーンと衝突し、結局その研究は打ち切られることで幕を閉じた。
それ以降、ルグィーンは同じような事故が二度と起きないか、目を光らせて監視していたという。
「つまり……そういうことか。」
「調整なんかじゃない、ただの帳尻合わせだ。あの状況下で、俺が最善の結果を引き出すためにやった。」
「……そんな短時間で?」
「ふん、あいつにとっては子供の頃からの習慣だろう。」
「なるほど。どうりでさっきから的確に刺してくるわけだ。」
レクシオンの声に冷たい響きが混じる。
表情も険しく変わった。――怒っている。
彼がここまで露骨に怒りを見せるのは、初めてだった。
ェレミアはそれでも変わらず嘲るように笑った。
「どうした?痛いところでも突かれたか?」
「口をつぐんでください。」
「らしくないな。普段は腹の内を隠してにこにこしてる昼行燈みたいなくせに。」
レクシオンは指をカチカチと鳴らした。
すると、両端を塞いでいたものを除いたすべての青銅像が前に歩み出た。
「フィルに一本の髪の毛すら触れさせない。だが、あなたまで相手する必要はないでしょう。」
「おやおや、怖いな。本当に怖い。」
ジェレミアは一度肩をすくめた後、フィロメルに問いかけた。
「そのヴェールを使えば、こっそり抜け出せるか?」
「……銅像を伝って越えられれば、可能かもしれません。」
無地のヴェールは視覚的な認識を遮るだけで、触覚までは消せない。
もし銅像にぶつかれば、警護の兵たちは存在を察知して掴みかかってくるだろう。
そうなれば抜け出すのは難しい。
状況をすぐに把握したジェレミアは、低くつぶやいた。
「一時的だが、あいつらを動けなくすることはできる。」
「どうやって……?」
「大したことじゃないさ。」
レクシオンが、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「ジェレミア、集中した方がいいんじゃない?私はカーディンと違って、弟だからといって見逃してはくれないと思うけど。」
ジェレミアの顔が一瞬にして歪んだ。彼は口角を吊り上げた。
「どれ、やれるものならやってみろ!」
「お、落ち着いてください……!」
フィロメルは慌てたが、頭に血が上ったジェレミアの耳には届かないようだった。
彼の剣身が青白く光を放ち震えていた。魔力が高まりつつある証拠だ。
『なんでこんなことになってるの!』
邪神が復活しようという危機に、ルグィーンは皇帝を殺すだの何だの言って、今度は兄弟同士で争おうというのか!
フィロメルが止める間もなく、ジェレミアはレクシオンのいる方へと駆け出した。
ヒュウウウゥゥン――
彼が剣を振るうと、凍りつくような冷気を帯びた風が空気を切り裂いた。
キィィン!
冷気の直撃を受けた青銅の騎士像が一瞬で凍りつく。
それはレクシオンの傍らに立つ像ではなく、道を塞いでいた別の騎士像だった。
ジェレミアがレクシオンに向かって突進する。
「フィロメル!走れ!」
フィロメルはとっさに駆け出した。
無地のヴェールを再び頭からかぶることも忘れなかった。
だがジェレミアの剣は、次々と立ちふさがる青銅像に阻まれてしまう――。
「ちっ!」
レクシオンが指を鳴らすと、その傍らにいたもう一体の青銅像がフィロメルの方へ動いた。
「止まれ!」
しかしジェレミアが足を踏み鳴らすと、周囲の地面が凍りつき、青銅像はぎこちなく停止した。
「最後まで反抗するつもりか。」
レクシオンが鼻で笑った。
混乱した隙に、ジェレミアは塔の後方へ退き、構えを整えた。
『……しまった、目は合わせなかったのに。』
どうやら油断している間に、精神を操る系統の魔法にさらされていたようだ。
視線を合わせずとも、ただの指の動きだけで発動するとは……。
もしレクシオンの魔法ですら突破できないのなら、それは並の技量ではなかった。
彼が研ぎ澄ませてきたのは、ただの自信ではなかったのだ。
『フィロメルは行ったか……』
結界を越えたあと、ヴェールを外したのか、一瞬だけ彼女の姿がちらりと見えた。
――ありがとう。どうか無事でいて。
最後にこちらを振り返り、そう言いたげな眼差しを残して。
『まったく、人の心配ばかりして……』
ジェレミアは小さく笑うと、目の前の敵を見据えて告げた。
「さて……どうする?フィロメルはもう抜けたぞ。」
レクシオンは余裕のある態度で答えた。
「構いませんよ。あなたを制圧した後で連れて行けばいいだけですから。」
ジェレミアの険しい額に、かすかなひびが走った。
「何か後ろ盾でもあるようだな。」
「いざという時の備えは、二重三重にしておく方がいいものです。」
「気に入らん小僧め。」
「言葉を交わしている暇は惜しい。さっさと掛かってきなさい。」
「お前の思い通りになると思うか?」
「ジェレミア。あなたは私との対決で一度でも勝ったことがありましたか?」
ジェレミアは兄の挑発に、ぐっと歯を食いしばった。
ジェレミアは自信満々に言い放った。
「いや、フィロメルだぞ。ああ見えて、頑固なくらいに自分の意思を貫く子だ。」
「……」
「絶対にお前の掌の上で転がされたりはしないさ。」
わずか数か月しか共に過ごしていない妹――それでもジェレミアは確信していた。
それはレクシオンにとっても、決して無視できない確信だった。








