影の皇妃【２５９話】ネタバレ

「はぁ、不安だよ。上手くいくよね？上手くいかなかったらどうしよう？いや、上手くいくはず・・・」

カリフは雨に降られた修道士のように一瞬も休まずに呟いていた。

一日後に迫ったバシリカ開場を控え、不安感がピークに達していたのだ。

「上手くいくでしょう」

「君がそう言っても落ち着かないよ」

エレナも気を揉んでいないと言えば嘘になる。

ノブレス通りを圧殺しても残るほどしっかり準備したと自負しているが、蓋を開けるまで何が起こるのかは誰にも分からない。

「開場初日は押されるかもしれません。恩人もご存じだと思いますが、数十代にわたる大公家の人脈と影響力は貴族社会で絶対的だと思われますから」

「私もそう思います」

エミリオの意見にエレナも同意した。

ノブレス通りの主体はフリードリヒ大公家だ。

帝国でフリードリヒという姓の持つ特別さは独歩的だ。

サロンの文化的影響が大きいとはいえ、数十代にわたって健在な大公家とは比べ物にならない。

「たった一日だけです。次の日には私たちがリードし、最終日はすべての首都貴族がバシリカとサロンを訪れます」

エレナは自信を示した。

根拠のある自信だ。

サロンに来たことがない人はいても、一度だけ来た人はいない。

それが文化を先導するサロンの影響力。

バシリカはそのような文化が作り出した結果物を購入し、消費する形で彼らの欲求を充足させる唯一の空間だ。

「是非そうなってほしいよ。本当に大変で死にそうだから。サロン復旧にミュージカルからファッションショー、独奏会・・・。はあ、体が１０個あっても足りないくらいだ」

「先輩に申し訳ないし、ありがたく思っています」

「それを今知ったの？」

久しぶりにエレナが苦労を認めてくれるようで、カリフは自惚れた。

「それでもう一つお願いしたいのですが」

「え？ちょっと、今体が１０個あっても足りないって言ったじゃないか。このままじゃ死ぬかもしれないって！」

「エミリオ様」

カリフの愚痴を聞くふりをしてエレナが目つきを送ると、エミリオが封筒を取り出して渡した。

うっかりそれを受け入れたカリフは、これは何かというように見つめる。

「ノブレス通りの予想財務諸表です。総投資費用から始めて、今後の運営に必要な支出とそれに必要な最低収益、訪問客対比必要売上などを体系的に整理しておいたものです」

「まだ開場もしていないのに、どうして分かるの？」

カリフは目を丸くして問い返した。

「エミリオ様がいらっしゃるじゃないですか」

「あ」

エレナの短い返事だけでも説明できたのか、カリフはうなずいて納得する。

大陸１０大と称するカストール商会の主エミリオなら、このような予想財務諸表を把握して作成するのは訳でもない。

「ところで、どうしてこれを私にくれるの？私は数字と親しくもないのに」

「それを先輩に伝えてほしい人がいます」

「誰？」

エレナは素早く言葉を付け加えた。

「ボローニ伯爵、ノートン子爵、フアン男爵」

それぞれ帝国西部と北部、そして南部を率いる貴族の首長と変わらないほど影響力が絶対的な３人の貴族だ。

彼ら３人の貴族は、ベロニカの代役として活動していたエレナに騙され、ノブレス通りの事業に天文学的な金額を投資している。

そして、そのお金はエミリオを通じて洗濯され、サロンとして通用した。

もちろん、そのような事実を３人の貴族は知らない。

ノブレス通りの事業にお金を投資した分だけ返してもらいたいだけだ。

「３人の貴族も、もう知るべきではないですか？ノブレス通りの実態をですね」

「ベロニカ、慌てそうだけど？投資を受けたこともないって言ったら、貴族たちが大騒ぎするんじゃない？ふふ」

カリフは低い笑みを浮かべた。

「この機会に、大公家と貴族を確実に分裂させておきます」

ノブレス通りの完成には大公家に従う貴族の上納金が少なからずある。

それだけでも不満なのに、上納金以外にも莫大な投資金を出した３人の貴族は、ノブレス通りが滅び、投資金が回収されない。

そうすれば、その火だけが天を突くだろう。

いくら大公家だとしても、財政的に揺れる状況で貴族たちの外面に耐え難い憂患になるはずだ。

「理解した。これは３人の貴族に私が確実に伝えておくね」

封筒を持ったカリフは鼻歌を口ずさみながら応接間を出ていく。

ベロニカの歪んだ顔を思い出すだけでも気分が良さそうだった。