こんにちは、ピッコです。
「ニセモノ皇女の居場所はない」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
128話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 脱出②
その時だった。
何かに気づいたように、ナサールが剣を抜いた。
「モンスターの気配です!フィロメル様、後ろへ!」
重い足音が地面を震わせ、木々がざわめいた。
やがて現れたのは、巨大な魔物。
頭に伸びる二本の角、鋭い爪、凶暴な牙、そして金色に光る瞳。
フィロメルは慌てて戦闘体勢を取るナサールの腕を制した。
「ちょっと待って、敵じゃない!キュキュよ!!」
「……キュキュ?」
「ルグィーンが育ててるワイバーンなの!」
フィロメルを見つけたワイバーンは、嬉しそうに喉を鳴らした。
「キュ?」
フィロメルはその姿を見るなり、勢いよく駆け寄る。
「キュキュ!ここにいたのね!」
思いがけない解決策が、自分の足でひょっこりと現れたのだった。
ちなみに「キュキュ」というのは、フィロメルが勝手につけた愛称だ。
ルグィーンがつけた正式な名前は『ポプラトゥス』という立派なものだったが、フィロメルは頑なに「キュキュ」と呼び続けている。
その魔獣は「キュ、キュキュ」と鳴いた。
――だから、名を「キュ」とした。
普段は「ギィエエエッ!」と耳を裂くような咆哮を上げる種なのに、この子は心を許した相手の前では、まるで小動物のような声を出すのだ。
フィロメルが数度えさを与えると、ワイバーンはすぐに彼女に懐きはじめた。
彼女もまた、その愛らしい仕草に心を奪われ、かなり可愛がっていた。
『撫でてやったり、鎧を整えてやったり……ルグィーンに叱られた日は慰めてもらったりして。』
やがてキュキュは、本来の主よりもフィロメルの方になつくようになった。
フィロメルは、キュキュの首のあたりを撫でながら優しく微笑んだ。
「キュキュ、これからちょっと遠出するんだけど……乗せてくれる?」
「キュ?」
「そんなに時間はかからないよ」
「キュ?」
「とぼけないの。お願い、私とナサールを乗せていってほしいの」
「……キュ」
ワイバーンは宙を見上げて、困ったように視線をさまよわせた。
どうやら主であるルグィーンとフィロメルの間で板挟みになっているらしい。
「え、もしかして……ルグィーンに“私を捕まえてこい”って言われてる?」
「キュ」
ルクアンが送り込んだ魔物は、バジリスクだけではなかった。
「心配しないで。あなたがルクアンの命令に背いても、私が叱られないようにしてあげる。」
「キュ?」
「ルグィーンと戦うなら、私が勝つわ。――子が親に勝つ、って言うでしょ?」
「……キュ……」
ワイバーンの瞳が不安げに揺れた。
フィロメルは最後の切り札を取り出し、優しく囁いた。
「ねえ、私たちを乗せて飛んでくれたら――帰ってきたとき、あなたの大好きな牛肉をお腹いっぱい食べさせてあげる。」
「キュキュ……?」
「私が嘘をつくと思う?信じて、ね?」
その声には、確かな温もりと、どこか切ない決意が宿っていた。
ワイバーンが嬉しそうに喉を鳴らした。
「毎日毎日、牛肉ばっかり食べさせてあげてるでしょ?」
「キュ、キュ、キュッ!」
ワイバーンは喜びの舞でも踊るように身体をぶるんと震わせ、翼を大きく広げた。
そして器用に二人を背中へ乗せる。
鞍に腰を下ろし、空へと舞い上がりながら、フィロメルは心の中でつぶやいた。
(……キュキュ、ごめんね。あれ、嘘なんだ)
実際には、レクシオンが「贅沢だ」と文句をつけて、最近は干し草ばかり食べさせられていたのだ。
立派なワイバーンが、ちょっとした甘言にまんまと引っかかった……その光景は、空から見下ろす壮大な景色と対照的だった。
夜明けの空が割れ、眼下の湖が光に染まり始める。
『この速度なら、今夜少し休んでも、明日には到着できそうね。』
フィロメルは胸を高鳴らせながら、眼下を流れていく景色を見つめていた。
「風が強くて寒いですね。」
背後に座っていたナサールがそう言い、外套を脱いで彼女の肩にそっと掛けた。
「ありがとう、ナサー……」
「……。」
感謝の言葉を伝えようと振り返ったフィロメルは、思わず口を閉じた。
視線がぶつかる。至近距離で見つめ合う二人。
――だって、近い。近すぎる!
振り返ると、彼の顔がすぐ目の前――鼻先が触れそうなほど近くにあって、身体までぴったりと密着していた。
ワイバーンの背に取り付けられた鞍は広々とはしているものの、もともと一人用だ。
本来は騎手一人が乗るための造りである。
以前、皇帝の誕生日の祝賀飛行でルグィーンと共に乗ったとき、ゴーレムは器用に背中にしがみついていたが……ナサールにそれを求めるわけにもいかない。
必然的に、二人はぎゅっと身体を寄せ合う形になってしまった。
(……すごく気になる……)
抱き合ったことは何度かあるから大丈夫だと思っていたのに、全然そんなことはなかった。
フィロメルは気まずさと恥ずかしさに思わず身を縮める。
少しでも距離を取ろうとしたのだが――。
その瞬間、体が横に傾いた。
「フィロメル様!」
倒れかけた彼女の身体を、ナサールが素早く抱きとめる。
彼はそのまま腕の中にフィロメルをかばいながら言った。
「お気をつけください。風が強いです。」
言葉のとおり、高度が高く速度も速いため、風の勢いはかなりのものだった。
――危ないところだった……。
足元を見下ろしたフィロメルの顔が、さっと青ざめる。
結局、抵抗するのをやめて、彼の腕の中に身を預けた。
代わりに、何とか平静を装おうと話題を振る。
「ナサールは、いつまで私のことを“フィロメル様”って呼ぶつもりなの?」
「……もしかして、不快でしたか?」
「いえっ!そういう意味じゃなくて……“様”は、取ってほしいんです」
話題を変えて気まずさを紛らわせるつもりだったが、言葉には妙な真剣さがにじんでいた。
いつかは彼のほうから自然に名前だけで呼んでくれると信じていたのに、そんな気配は一向に見えなかったのだ。
「それは……ちょっと……」
ナサールは困ったように言葉を濁す。
「ナサールだって、私は名前で呼んでるじゃないですか」
「でも……フィロメル“様”は、フィロメル“様”だから……」
「もう、そんなこと言わないでくださいよ」
「でも……」
「ナサール、私のこと“フィロメル”って呼んでくれませんか?そのほうが、もっと近く感じられるでしょう?ね?」
フィロメルが最後の「ね?」を甘く響かせると、ナサールの赤い瞳が大きく揺れた。
彼の唇が、わずかに震えながら開く。
「フィ、フィロメル……」
フィロメルは期待を込めて、輝く瞳で彼を見つめる。
「……様。」
「なんでそこで“様”をつけるんですか!」
「まだ……無理です。心の準備が必要です。」
「名前を呼ぶのに、心の準備が必要って何なのよ!」
名前の呼び方をめぐってしばらく言い合いをしたあと、話題は自然と別の方向へ移っていった。
フィロメルはふと好奇心を覚え、彼に尋ねた。
「ナサールの師匠って……ソードマスターじゃなかった?」
「はい、その通りです」
「じゃあ、どうして魔法使いの弟子なんて取ったの?」
「その友人が……ちょっと変わり者でして。最高の魔剣士になりたいからと、わざわざ師匠を訪ねてきたんです」
「魔剣士……?」
「ええ。魔法では到底超えられないほどの天才だったそうです。希代の才能を持ちながら、同時代の人々をしばしば嘆かせたとか。」
ルグィーンを指しているようだった。
その最後の会話を思い出すと、自然と胸の奥がざわつく。
(どうしてその人の話になると……こんなに気分が悪いのかしら)
フィロメルの肩がわずかに強張った。
「それで、ナサルの友人は“最高の魔法使い”ではなく、“最高の魔剣士”を目指したということですか?」
「その通りです。彼の信念は、どんな分野であっても“生まれたからには頂点を目指すべきだ”というものでした。」
「だから剣術の才能にも恵まれていたんですね?」
「師匠の話では、最初は弟子にするつもりなんてまったくなかったそうです。でも、それでも食い下がって弟子入りを懇願し、結局かなり長いあいだ修行を受けたとか」
「根性のある人なんですね」
フィロメルはくすっと笑った。
「でも……ごめんなさい。たとえその方に才能があっても、最高の魔剣士になるのは難しかったと思いますよ」
「どうしてですか?」
「その座は、すでに“別の人”のものですから」
自分をこの地位へ導いてくれた人物──フィロメルは三番目の兄の顔を思い浮かべる。
『……足、ちゃんと治してるといいけど』
あの頑固者が、今ごろベッドにおとなしく横になっている姿が脳裏に浮かんだ。
朝食は簡単に、前日に市場で4ベルで買った干し肉と、フィロメルが持ってきたクッキーだった。
「このクッキー、ちょっと甘すぎますよね……?」
「いえ、ちょうどいいです。」
「正直に言ってもいいんですよ。」
「一片の嘘もない、本当です。」
そう言いながら、ナサールは幸せそうな顔で砂糖がたっぷりまぶされたクッキーを頬張った。
昼になると、地上に降りて休憩を取った。
キュキュが休んでいる間に、フィロメルもこわばった体を伸ばした。
「ん〜……」
数時間もワイバーンの上に座っていたせいでお尻が痛くなってきた。
けれど、ルグィーンの鞍は非常に座り心地がよく、乗馬経験の浅いフィロメルでも長時間の移動に耐えられた。
昼食には、フィロメルが持ってきたパンを二人で分け合い、そのあと森の中をのんびりと散策する。
ナサールは、フィロメルの手に握られている赤い物体に気づき、興味深そうに尋ねた。
「それ、何ですか?」
「ああ、これですか?」
フィロメルは赤い物体の取っ手をぎゅっと握りしめながら、誇らしげに答えた。
「ポンポンハンマーです!」
「……ポン……ポンハンマー?」
見たこともない奇妙な道具に、ナサルは目を丸くした。
「これは私の武器です。」
フィロメルから木槌を受け取ったナサールが、それで自分の手を軽く叩いてみた。
木槌から「ポンッ」と音が鳴る。
「あまり痛くはないですね……」
「人間に対してはそうです。」
モンスターには違う。
星光商店の閉店セールのときに買った商品の一つ――対モンスター用の武器。
これまでモンスターと直接戦う機会がなく、この木槌が活躍することはなかった。
だが――夜中に突然バジリスクと遭遇したあの経験から学んだ。
危機というものは、予告なく訪れるのだと。
『もしバジリスクがルグィーンじゃなく、悪神の手先だったら……危なかったわね』
そう考えたフィロメルは、それ以降できる限り武器を手放さないことを心に決めた。
そして、少し誇らしげな表情で口を開く。
「これからは私も、モンスターの撃退にちゃんと協力します!一人で危険な目に遭わなくても済むようにしますから!」
ナサールは思わず苦笑を漏らした。
「お気持ちはありがたいですが……できる限り、私の力でなんとかしてみます」
「もしかして……私、頼りにならないって思ってます?」
「いや、そういう意味では……」
「でも、どうして笑っているんですか?」
フィロメルが半ば拗ねたように問い詰めると、ナサールは少し困ったように笑みを浮かべて口を開いた。
「フィロメル様が、その木槌を嬉しそうに持っている姿が……なんというか、子どもみたいで可愛くて、つい。」
「わ、私が……可愛い、ですって?」
「……失礼でしたか?」
「いえ!そんなことは……その、あまり言われ慣れていないので……!」
フィロメルは幼いころから「可愛い」と言われるよりも、「しっかり者」「賢い子」と評されることが多かった。
『可愛い』という言葉は、自分が望む評価とは違っていたのだ。
だから、誰かにそう言われても素直に喜べなかった。
――後継者として認められたいという思いが強すぎて、「可愛い子」よりも「大人びた人間」でありたかったのだ。
──でも今の気持ちは……
『うれしい』
カ0ディンに「可愛い」と言われたことは何度かあった。
けれど、今のように胸が温かくなって、心の奥がふわっと弾むような感覚はなかった。
ナサールに言われたから――だからうれしいのだ。
二人はそのまま、穏やかに森の中の小道を並んで歩いていった。
その途中、フィロメルがふと立ち止まり、指さした。
「わ、見てください!あれ、すっごく綺麗!」
大小の岩が連なる中、ひときわ高い岩の上に、真紅の花が一輪、誇らしげに咲き誇っていた。
フィロメルはその花に心を奪われたように見つめていた。
だが次の瞬間、ふと違和感を覚える。
『……岩の上に、花なんて咲くはずがない。』
しかも、まるで宝石のように輝くほど美しい花が――岩肌から直接。
「ナサール、下がって!」
叫んだ瞬間、ナサールも同じことを察したのか、すぐに剣を抜いた。
岩の表面がごつごつと揺れ、繋がっていた岩塊がうねり始める。
次第にそれは“人の形”を取り、ゆっくりと立ち上がった。
「――岩の巨人!」
眠っていた魔物が、目覚めたのだ。
岩に擬態して獲物が近づくのを待ち、油断したところを襲う──それが、あのモンスターの正体だった。
『あれは……花なんかじゃない。ロックジャイアントの“触手”だ!』
美しく甘い香りを放つその“花”は、人間や動物を惹きつけるための囮。
逆に言えば、あの花こそが岩石の巨体を持つロックジャイアントの中で、唯一柔らかく脆い急所だった。
「ナサール、あの花が弱点です!」
これは、フィロメルが魔塔で読んだモンスターデータ集に書かれていた知識だ。
「花を狙ってください!」
花は巨人の頭の上に咲いている。
フィロメルが自力で攻撃するには高すぎる位置だった。
「……お任せを。」
ナサールが静かに剣を握り直した。
ナサールは素早く駆け出し、巨人の身体を足場にして一気に駆け上がった。
「ちょ、ちょっと……!」
だが、次の光景にフィロメルは目を疑った。
巨人が、まるで虫を摘むようにナサールを掴み――そのまま口の中へ放り込んだのだ。
『ナサールが……食べられた!?』
頭が真っ白になった。
思考よりも先に身体が動き、フィロメルは叫びながら巨人へ飛びついた。
「うわあああああ!!!」
悲鳴にも似た声を上げ、全身の力を込めて、彼女はハンマーを振り下ろした。
「吐き出せ!今すぐ吐き出しなさい!!!」
岩の巨人の脚に、鋭い衝撃音が響き渡った。
――ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン、ドン!
連続して響く衝撃音とともに、巨人の硬い外殻がひび割れ、ついには砕け始める。
「グギャアアアッ!!」
巨人が大きく咆哮し、地響きを立てながら崩れ落ちた。
しかし倒れながらも、巨人は素早く腕を伸ばし、身を翻したフィロメルをその巨大な手で掴み取ろうとする。
バチバチバチッ――!
だが、その手に激しいスパークが走った。
フィロメルにかけられていた自動防護魔法が発動したのだ。
「すぐには離れられない……!」
倒れた巨人の体を足場にして、フィロメルは素早く駆け上がる――!
フィロメルはハンマーを高く振り上げた。
――ドンッ!
耳をつんざく轟音とともに、巨人がうめき声を上げた。
「ギエエェェェッ!!」
甲高い悲鳴が森に響き渡る。
やがて、巨人の喉奥から何かが押し出されるように――ナサールが転がり出た。
「ナサール!」
フィロメルはすぐに駆け寄り、巨人の体液にまみれた青年を抱き起こした。
「フィロメル……様……」
「大丈夫!?どこも痛くない?」
幸いにも、外傷は見当たらなかった。
彼がかすかに笑みを浮かべたその瞬間、フィロメルの胸の奥で緊張がほどけた。
「……よかった……ほんとうに……」
しかし、喜びに浸る暇はなかった。
バリバリと地鳴りのような音が響き、バラバラになったかに見えた岩の巨人が、再び動き出したのだ。
「ナサール、まだ終わってないわ!」
巨人の身体を駆け上がっていたフィロメルは、あと一歩というところで足を止めざるを得なかった。
頭部へ向かおうとした彼女を、ナサールが手を伸ばして制したのだ。
「……さっき、息の根を止めました」
ナサールが淡々とそう告げる。
彼の言葉どおり、巨人の目に宿っていた生命の炎は消え、花も萎れたようにぐらりと揺れていた。
――え?まさか、あの爆音の攻撃で仕留めてたってこと?
確かにかなりのダメージは入っていたけれど、まさか致命傷だったなんて……!
まあいい。重要なのは別のことだ。
巨人の体から飛び降りたフィロメルは、地面に着地するやいなやナサールの元に駆け寄った。
「一体、どうやって……?」
ほんの少し前、ナサールの動きは確かに普通ではなかった。
フィロメルの知る限り、あれほどの動きをする彼が巨人ごときに後れを取るはずがない。
「どこか痛みますか?」
フィロメルは思わずそう尋ねた。
それ以外に言葉が見つからなかったのだ。
ナサールは顔色が悪く、体調が万全とは言い難い様子だったが、それでも彼はいつものように穏やかな笑みを浮かべ、軽く首を振った。
「体は……平気です。」
「じゃあ、いったいどうして……?」
問いかける彼女に、ナサールは一歩下がって頭を下げると、巨人の頭部のほうへ歩み寄った。
その手には、いつの間にか深紅の花が握られている。
「これのせいです。」
そう言って彼は、巨人の巨腕に触れた。
フィロメルは思わず息を呑む。
――まさか、その花が原因だというの?
巨人の肌に咲いた異様な赤い花弁。
それは、まるで血を吸って咲いたかのように妖しく輝いていた。
「岩巨人を倒すには、フィロメル様の仰るとおり、あの“花”──触手を狙うのが最も確実な方法です」
「……それで?」
「ですが、それだけでは触手が破壊されるだけです。代わりに、体内に侵入して急所を突けば巨人に致命傷を与えることができます。それに、フィロメル様が外から注意を引いてくださったおかげで、より正確に仕留めることができました」
「なに言ってるのかよく分かりません。ただ花を叩き潰せばいいだけじゃないですか」
「そ、それは……」
ナサールは一瞬たじろぎ、しばし迷ったあと、ようやく口を開いた。
「……綺麗だと、仰っていたので。できるだけ傷つけずに終わらせたかったのです」
フィロメルがその言葉の意味を理解するまでには、少し時間がかかった。
そしてようやく理解した瞬間、彼女は爆発した。
「ふざけないでください!そんな理由で、あなたはあの巨人に食べられたっていうんですか!?」
「フィ、フィロメル様……」
「そんな花なんていりません!」
「お、落ち着いてください……!」
「本当に、私は……ナサールがどうなったのかと思ったのに……っ!」
その声は途中で途切れた。
こらえていた涙が、ついにフィロメルの頬を伝い落ちたのだ。
あの瞬間――ナサルーが巨人に飲み込まれた時、彼女の目の前が真っ暗になった。
(もし二度とナサールに会えなかったら……どうすればいいの……)
胸の奥からせり上がる痛みが、フィロメルの喉を締めつけた。
『……怖かった』
頭では、そんなはずがないと考えていたのに、ちゃんとした思考を繋げる余裕はなかった。
カラン、と手の中からぴょん槌が落ちる。
先ほどまでそれを強く握りしめていた手が、細かく震えていた。
「……」
ナサールの顔色が見る見るうちに青ざめる。
「す、すみません!本当に僕が死にかけのバカでした!」
フィロメルは、しょんぼりとした彼の腕をそっと撫でた。
「……お願いです、自分をもっと大事にしてください。あなたがもし傷ついたりしたら、私は……すごく悲しいです」
――耐えられないほどに。
今日ようやく気づいた。
自分に花をくれるためだけに、巨人に食べられたこの人が――フィロメルにとって、どれほど大切な存在だったのかを。
ナサールが静かに言った。
「胸に刻みます。だから、どうか涙を……」
「……ええ。分かっています。自分を大切にします。必ず」
「はい、約束ですよ」
フィロメルは、巨人の体内から戻ってきたその男を、震える腕でしっかりと抱きしめた。
「ちょ、ちょっと今は汗だくだから……」
「いいんです。黙っていてください」
彼のぬくもりを確かめるように、フィロメルは腕に力を込めた。
結局、彼女の服も巨人の体液でびしょ濡れになってしまった。
二人とも、まるで同じような有様だった。







