こんにちは、ピッコです。
「ニセモノ皇女の居場所はない」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
132話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 勇者選抜第一試験
翌日。
試験が行われる食堂の中は、観客たちの熱気でむんむんと満ちていた。
競い合いというものは、いつだって人々の血をたぎらせるものだ。
勇者の任命式を見ようと集まった人々の数は、昨日よりも明らかに多かった。
誰が最終的に勇者となるのか――それを見届けようと賭けまで始まっている。
「僕は“フィロメル様になる”に全財産を賭けました!」
ナサールの言葉に、フィロメルは思わず吹き出してしまった。
「……ナサールが破産する未来だけは阻止しなきゃね」
彼の言葉が緊張をほぐそうとしているのはわかっていたが、それでもプレッシャーが消えるわけではなかった。
フィロメルは意識的に呼吸を整えた。
(できる。私はできる。計画通りにやればいい。)
――だが、不意に別の声が割り込んできた。
「今からでも棄権するなら、そのほうが賢明かもしれませんよ。」
キリオン・エスカルだった。
フィロメルはわずかに視線を上げ、男の額に垂れる髪を一瞥した。
彼を間近で見たのは、皇宮を発つ直前――あの時以来だった。
少しだけ言葉を交わして気を遣ってやったら、好感度が16から一気に20に跳ね上がった。
だが――現在の好感度は……
『32%』
あの時より12%も上がってる!?
昨日以降、一度も顔を合わせていないのにどういうことだ!?
(いったい何があったの……?)
まさかフィロメルが彼の夢にでも現れて、スカッとするような悪口でも浴びせたのだろうか。
(ほんと、わけがわからない……)
そんなフィロメルの心情など知ってか知らずか、キリオンが声をかけてきた。
「ここは、恋人同士がいちゃつく場所ではありません。」
フィロメルは一歩も引かずにその言葉を受けた。
「礼節を守ってください。勇者を目指す方が、まるでチンピラのように絡むなんておかしいでしょう?」
その挑発に、キリオンの表情がぴくりと動く。
「なるほど、勇者たるもの言葉一つに動じてはならぬ、か。レディ・ケイセン、もう少し度胸を鍛える必要がありそうですね。」
(35点。……格好つけても全然決まってないわね。)
心の中でそうつぶやきながらも、フィロメルは冷静さを崩さなかった。
「ご心配なく。今日は軽く流しておきます。」
キリオンは最後まで余裕たっぷりな態度を崩さず、自分の席へと戻っていった。
フィロメルは「私が落ちれば、あなたの命も危険に晒されるんですからね」と言いたいのを、ぐっとこらえた。
周囲をぐるりと見回す。
ユースティスの姿は見えないが、おそらくどこかからこの試験を見守っているはずだ。
――時間が来た。
「これより、勇者選抜試験を開始します!」
長時間立っているのも辛そうな大神官に代わって、別の神官が式を進行し始めた。
「第一試験は、候補者が勇者として相応しい力を持っているかを見極めるための試練です」
キリオンの背後に立つミロフは、どこか不敵な笑みを浮かべていた――。
キリオンは自信に満ちた笑みを浮かべた。
その態度だけでも観客たちはどよめき、熱気が一層高まる。
「今回の試練は、殿下には少々不利かもしれませんね。」
「どうして?」
「対戦相手が“ケルベロス”を倒した人間だからですよ。」
「昨日の話では、あの方――“白い悪魔”をも討伐したとか。」
「白い悪魔?そんなモンスターがいたか?」
「私も初耳ですが、“悪魔”と呼ばれるほどなら、相当恐ろしい存在だったんでしょうね。」
いつの間にか、魔塔主の異名“白い悪魔”は多くの者たちの間で伝説の怪物として語られるようになっていた。
モンスターではないが、ドワーフ族にとっては並のモンスター以上に恐怖の対象だった存在だ。
大主教――ミロフの顔は一瞬でしかめっ面に変わった。
「白い悪魔とは何だ、まさか冗談だろう」とでも言いたげな表情だ。
進行役の神官が順番にフィロメルとキリオンの両者へと視線を送る。
「試験の方式は、候補者の中からお一人にご指定いただけます」
これはフィロメルもよく知っている事だった。
勇者になると決意してからというもの、彼女は魔塔の書庫で勇者選抜にまつわる古文書を読み漁ってきたのだ。
――できることなら、自分が試験方式を決めるのが一番いい。
フィロメルがキリオンに力で勝てる可能性は、限りなく低かった。
有利な方法を選ぶのが常識的な判断――だが、彼女の口から出たのはまったく予想外の言葉だった。
「エスカル卿にお任せしたいと思います。何といっても、私よりずっと長く勇者を目指してこられましたし、大司教様も見守っておられますから。」
もし今回フィロメルが試験方法を選ぶなら、次の二回目はキリオンが選ぶことになる。
(それだけはダメ!)
二度目の試験方法だけは、どうしても自分が選ばねばならない。
そのためには、最初の試験の主導権をキリオンに譲るしかない。
キリオンは彼女の真意を探るように、じっと視線を向けた。
ミロフは一瞬ためらったが、結局キリオンのほうを見た。
「いい選択だ。これなら無謀な挑戦を避けられるだろう。」
そう言って、彼は意味ありげにキリオンへ発言の順番を譲った。
キリオンは「仕方ないな」といった態度で喉を軽く鳴らした。
「提案を受け入れましょう。私が選ぶ勝負の形式は――」
フィロメルの手のひらにじっとりと汗がにじむ。
彼女は当然、キリオンに順番を譲ったが、まさか勝負の行方まで左右されるとは思っていなかった。
キリオンがどんな方式を選ぶかによって、勝敗が決まってしまう――。
「……腕相撲です。」
予想外の単語に、観客席がざわめいた。
――腕相撲。
単純に腕の力だけで勝敗を決める、きわめて原始的な勝負。
「殿下には不利なのでは?」という声が方々から上がる。
確かに、腕相撲では駆け引きも策略も通じにくい。
力比べにおいて、女性が優位に立つのは難しい。
だがフィロメルは、動じることなく凛とした表情でその言葉を受け止めた。
(やっぱりね。)
彼女はキリオンが最初の試験に腕相撲を選ぶと予想していた。
理由は三つ。
――ひとつ目は、彼が自分を力で圧倒し、屈服させようとするタイプだから。
歴史的に見ても、最初の試験では剣術試験や馬上決闘が行われるのが常だ。
だが今回は違う。
フィロメルが怪我でもしようものなら、皇帝と魔塔主の怒りを買うのは目に見えている。
彼らがフィロメルをどれほど大切にしているかは、誰もが知るところだ。
次に、周囲の連中はどう見てもフィロメルを「貴族のお嬢様」くらいにしか思っていない。
『正面からの勝負で僕を倒せるなんて、誰も想像しないだろう』
キリオンのイメージに傷をつけるだけの結果になるに違いない。
さらに、神殿側も勇者をできるだけ早く選びたいと考えている。
長引く戦いではなく、簡潔に終わる方式を望むのは当然だ。
――これらすべての条件に合致する決闘方式。
それこそが、「腕相撲」だった。
さらに実際、昔――流血を嫌うある勇者候補が、試験方法として腕相撲を選んだという前例もあった。
つまり、この流れでいけば、キリオンが腕相撲を選んでも何ら不自然ではない。
「候補者は、こちらへ。」
フィロメルとキリオンはそれぞれ神官の検査を受け、試験の舞台である広場の中央へと進んだ。
そこには、腕相撲用の頑丈な卓が用意されている。
二人は向かい合って椅子に腰を下ろした。
キリオンが、観客には聞こえないほどの小声で言った。
「今からでも棄権したほうがいい。」
「お断りします。――誰に何を言われようと、私は勇者になります。」
「……そうか」
キリオンは少し戸惑いながらも腕をテーブルの上に置いた。
「準備を」
進行役の声に、フィロメルも腕をテーブルに乗せ、キリオンの手をしっかりと握った。
大きく、しっかりとした手――硬い筋肉が張りついたその感触。
その瞬間、キリオンの身体がピクッと反応し、妙な表情を浮かべた。
『……40%』
好感度が、また上がっていた。
まるでフィロメルとの身体的な接触を意識しているかのようだった。
「じゅ、準備……」
審判が、二人の手に力が入ったのを確認して声を張り上げた。
「始めっ!」
次の瞬間、誰もが息をのんだ。
開始の合図と同時に、キリオンの腕が勢いよく後ろに押し倒されたのだ。
だが、フィロメルは手の甲が卓に触れる寸前でぴたりと動きを止める。
「……っぐぅ……!」
顔を真っ赤に染め、歯を食いしばるキリオンの喉から低い唸りが漏れた。
こめかみの血管が浮き上がり、全身に力を込めて押し返そうとする。
だが、フィロメルの表情はほとんど変わらない。
(なぜ……こんなにも強い?)
観客たちは呆然と見つめるしかなかった。
そう問いかけたい気持ちが滲んでいた。
答えは単純だった。
——すべては高級強壮薬のおかげだ。
試験が始まる前、こっそりと飲んだその薬が、フィロメルに一時的な怪力を与えていたのだ。
『ごめんね……最初から正々堂々と勝負するつもりなんて、なかったの!』
正面から勝負していたら、勇者の座は間違いなく偽エレンシアにゾッコンのキリオンに奪われていただろう。
フィロメルは基本的に原則を守るよう努めてはいるが――本当に差し迫った時は、例外も辞さない。
……そう、“本当に”危機的な時だけは。
『でも、やっぱり……簡単にはいかないわね』
キリオンの腕は、今にも倒れそうでいて、最後まで倒れなかった。
力の強化薬を服用し、さらにナサールから特訓まで受けたというフィロメルの力を受け止めている――。
なるほど、「勇者」と呼ばれるだけのことはある。
フィロメルは唇を噛んだ。
(……この手は、できれば使いたくなかったけど。)
彼女はほんの小さく息を吸い込み、静かにその名を呼んだ。
「……キリオン。」
視線が交わる。
その瞬間、彼の瞳が揺れ、わずかに呼吸が乱れた。
「好きよ。」
たった一言。
だが、手に込められていた力が一気に抜け落ちた。
バンッ、と音を立てて、彼の腕が完全に倒れた。
食堂の中は一瞬で静まり返った。
最初に沈黙を破ったのは、審判を務めていた神官だった。
「し、勝者は――フィロメル!」
勝ったのは、フィロメルだった。
「卑怯だ!」
キリオンが椅子を乱暴に蹴り、勢いよく立ち上がった。
「勝負に勝つために、卑怯な手を使うなんて!」
その瞳は怒りに燃え、声も震えていた。
「卑怯な手……?私が、ですか?」
フィロメルは何も知らないというふうに、しれっと首をかしげて見せた。
キリオンは叫んだ。
「そんな馬鹿な!お前がそんな力を持っているはずがない!絶対に、何か卑劣な手を――!」
フィロメルは静かに答える。
「私たち、同じように身体検査を受けましたよね?」
神官たちが頷いた。
二人以上の神官が、神聖力で行う厳格な検査――。
魔法や薬物を使えば、必ず検知される。
審判が慎重に口を開いた。
「彼女の言うとおりです。検査の結果、異常は一切見つかりませんでした。」
当然だ。
フィロメルが服用した“力の秘薬”は、ただの魔法薬ではない。
――かつてエレンシアから受け取った、極めて希少な液体。
彼女がそれを初めて手にしたとき、ルグィーンでさえ、驚きを隠せなかったほどだった。
微かにシステムの力が感じ取られた。
『普通の神官じゃ、気づけないだろうな。』
それもそのはず――フィロメルはすでに強化薬を飲んだ後なのだ。
「でも……!」
キリオンは言いたいことが山ほどあるようだったが、結局口を閉ざした。
ここでさらに異議を唱えるということは、神殿の審判そのものを疑う行為になる。
こうして、最初の試験はフィロメルの勝利で幕を閉じた。
ナサールの祝福を受け、食堂を後にしようとしたそのとき――キリオンがフィロメルに声をかけてきた。
「……力はともかく、最後の言葉だけは正直に答えろ。」
「……今のが、最後の言葉ですか?」
フィロメルの穏やかな声に、キリオンは顔を真っ赤にして叫んだ。
「し、知らないふりをするなっ!」
怒りなのか、羞恥なのか、自分でも分からない感情に頬が熱を帯びる。
「……ああ、そのことですか。」
フィロメルはくすりと笑った。
「“勇者とは、どんな言葉にも動じぬ者”――あなた自身がそう言っていましたよね。……まさか、動揺したんですか?」
軽やかに放たれたその一言に、キリオンの表情が固まった。
観客席のどこからか、笑いとどよめきが起こる。
フィロメルは静かに立ち上がり、勝者として頭を下げた。
彼女の微笑みは、まるで秋の空のように澄み切っていた。
「ナサール、たくさん儲かった?」
聖地の宿舎へ戻る道すがら、フィロメルが楽しそうに尋ねた。
「フィロメル様に一番多く賭けていたのは、実は私なんですよ。」
一般市民ならともかく、貴族や熟練の賭博師たちは皆、キリオンの勝利をほぼ確信していた。
「おかげで大儲けです!今夜の夕食は、私がご馳走します!」
「わーい!」
そんな他愛もない会話を交わしながら、二人はいつの間にか宿舎に着いていた。
「今夜の晩餐、私たちも混ぜてもらえませんか?」
そのとき――。
聞き覚えのある声が、静かな空気を破った。
宿舎の前に立つ人影を見つけたフィロメルは、思わず声を上げた。
「レクシオン!」
懐かしい顔がそこにあった。
「フィル!元気にしてたか?」
「……また会ったね。」
さらにその背後には、見覚えのある二人の姿。
「カーディンとジェレミアも!」
レクシオンの隣に立つ兄弟たちが笑みを浮かべた。
そして――
「さあ、名簿に載っていないからって隠れてないで、出てきてください。」
レクシオンの言葉に、カーディンとジェレミアがわずかに横へずれる。
その瞬間、彼らの背後の影がゆっくりと動いた。
「……にゃあ。」
後ろを振り返ると、そこに座っていた猫が、フィロメルを見上げながら悲しげに鳴いた。







