ニセモノ皇女の居場所はない

ニセモノ皇女の居場所はない【134話】ネタバレ




 

こんにちは、ピッコです。

「ニセモノ皇女の居場所はない」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【ニセモノ皇女の居場所はない】まとめ こんにちは、ピッコです。 「ニセモノ皇女の居場所はない」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介と...

 




 

134話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 勇者選抜第二試験

翌日――空は澄み渡っていた。

今日は、二度目の試験の日だ。

人影もまばらな大神殿の中央庭園で、フィローメルは気の抜けた声を漏らす。

「んん……」

「ご気分はいかがですか?」

彼女の肩を揉んでいた按摩師が、そう尋ねた。

「ええ、いい感じです」

「ここ、少し筋が張っていますね」

穏やかな朝の光の中で、フィローメルは静かに身を預けていた。

「きゃっ!そこ、ちょっと痛いです。」

「ここでほどいてください。」

「にゃうぇぇっ!」

一匹の猫が妙な鳴き声を上げて、二人のやり取りに割り込んだ。

まだ猫の姿のルグィーンが唸り声を上げる。

「わっ、ルグィン!だめ!」

フィロメルは彼をそっと抱き上げて止めた。

猫は興奮した様子で首をぶんぶん振った。

彼女も、ルグィンがアンマサを嫌う理由をよく分かっていた。

『皇帝が送り込んだ奴だから?』

今朝、皇帝が差し向けたという按摩師が、宿舎に到着した。

昨日の試合を見て、都でも指折りの腕前だという人物を、わざわざ呼び寄せたらしい。

フィローメルも、最初は断るつもりでいた。

皇帝から謝罪は受け取ったものの、胸の奥に残ったわだかまりが、完全に消えたわけではなかったからだ。

――確かに、断る気だったのに……。

だが問題は、按摩師の腕が良すぎたことだった。

彼女の手が腕に触れた瞬間、辞退しようとしていた気持ちは、音もなく溶けて消えた。

結局フィローメルは、宿舎での施術だけでは飽き足らず、大賛祭戦の会場にまで、その按摩師を同行させてしまう。

中央庭園に場所を取り、腕だけでなく全身までほぐされる――その心地よさは、もはや別天地。

ここが楽園でなくて、どこがそうだというのだろう。

「私もマッサージできますよ。」

それを見ていたナサールは、残念そうな顔になった。

「にゃうぇぇっ!」

「わっ!」

猫は勢いよく彼に飛びかかり、顔を引っかこうとした。

猫を避けたナサールは、恨めしそうな声で言った。

「……クンクンは、やはり私が嫌いなようですね。」

ナサールにクンクンの正体を話してやらないといけないのに……正直、恥ずかしくて一生秘密にしておきたい。

猫が、レクシオンへと意味ありげな視線を投げると、彼はすぐさまナサールの腕を掴んだ。

「何か食べるものでも買いに行こう。――みんなで、だ」

「え?食べ物を買いに行くだけで、四人も必要ですか?」

ナサールはもっともな疑問を口にしたが、兄弟たちに引きずられるようにして、そのまま庭園の外へ連れ出されていった。

フィローメルは、按摩師に目を向ける。

どうやら――魔法使いとして、彼女にだけ伝えたいことがあるらしい。

再び、宙に文字が浮かび上がった。

――フィル。あいつのこと、あまり信用しすぎるな。

「ナサールが、何か問題でも?」

――実はな。俺たち、君の最初の試験も見ていたんだが……あいつ、君が他の男と手を取り合っているのを見た瞬間――

文字は、そこで一拍置くように途切れた。

「すごい睨みつけてたんだよ。」

腕相撲の話らしい。

「それで、お前が勝って戻ってきたら、表情をさっと消して笑ったんだ。」

「……そうだったんですね。」

「表と裏が違うやつだ。」

「それ、ちょっと嬉しいです。」

猫の目がまん丸になった。

「嫉妬してたのに、私が見たら嫉妬してないふりをするなんて。可愛くないですか?」

「お前な……」

動物特有の鋭い視線が、フィロメルに向けられる。

「――あいつと二人きりの時、何があった…?」

「い、いえ。何もありませんよ」

――ポプラトゥスの話では、本人が見ていない間に、二人の間の気配が変わったとか。

「まさか……夢を使って、私たちを監視していたんですか?」

――だったら、俺は何を信じて、君をあいつと何日も一緒に過ごさせてると思う?

フィローメルがじとっと目を細めると、猫はもぞもぞと身じろぎした。

――俺が監視しろって言ったわけじゃない。ポプラトゥスが、勝手に様子を見ただけだ。

その必死な言い訳が可笑しくて、フィローメルは思わず吹き出した。

「ふふ……」

そして、ふっと表情を引き締める。

「――そろそろですね。もうすぐ試験が始まります。他の人たちも、集まってきますから」

穏やかな空気の中、静かに次の局面が訪れようとしていた。

フィロメルが、ほかの人たちと早く合流するために中央庭園を出ようとした、その時だった。

「……!」

庭園に入ってきたキリアンと、鉢合わせた。

軽く会釈だけして通り過ぎようとしたフィロメルの足を、キリアンが止めた。

「なぜですか?」

「何がですか?」

キリアンは、もともと不機嫌そうだった顔をさらに歪めた。

「なぜ!勇者の座まで狙うんですか?」

最初の試験で負けたせいか、彼からは余裕が消え失せていた。

「――あなたは、無理に勇者にならなくてもいいんじゃないですか?でも……それは、“今さら”という話ですね」

キリアンは、今にも崩れ落ちそうな低い声で、ぽつりと呟いた。

「俺は……一生、勇者になるためだけに生きてきた。そうでなければ意味がないんだ」

「キリアン……」

幼いころから、その一点だけを目標に、苛烈な訓練を受け、凶悪な魔物と刃を交えてきた――。

言われなくても分かる。

勇者とは、いつの時代からか、貴族の家門に栄誉をもたらす最高の称号のひとつとして扱われるようになった。

多くの貴族たちが、こぞって武芸に力を入れ、その座を掴もうと血眼になる理由も、決して珍しくはない。

……だが、それでも。

彼にとっては、自分の子どもを勇者にするためなら当然のことだった。

『キリアンの父親であるエスカル伯爵も、そういう男だった。』

息子のために、幼い頃から苛酷な訓練を強いた。

勇者を目指す者の半分は重傷を負うか死ぬのに、エスカル伯爵のような人間にとっては大したことではないのだろう。

『どうせ家を継ぐ嫡男以外の子どもなど重要ではない。』

しばらく黙っていたキリアンは、フィロメルの表情を見て顔をしかめた。

「なぜ、そんな目で見るんだ?」

「あなたが可哀想だからです。」

「違う!望みもしない目標のために、人生を無駄にしてきたわけじゃない!」

キリアンは、抑えきれない動揺をそのまま吐き出すように叫んだ。

「俺は……勇者になりたいんだ!」

フィローメルは、わずかに首を傾げる。

「そうですか。それなら――私が口を挟むことではありませんね」

二人は、腹の底をさらけ出して語り合えるような間柄ではなかった。

この場でこれ以上、踏み込む理由もない。

フィローメルは彼の横をすり抜け、中央庭園の出口へと歩き出す。

「一つだけ、言っておきます」

最後に、それだけを残して――。

「私も“立派な皇女”になるために努力はしました。でも、本当はそうやって生きたかったわけじゃないんです。」

中央庭園を完全に出る前に、彼女はちらりと後ろを振り返る。

キリアンは、少し前のその場に、杭でも打たれたみたいに立ち尽くしていた。

 



 

二つ目の試験が始まった。

フィロメルが最初の試験に勝ったという知らせのせいで、今日は昨日よりもさらに多くの人だかりができている。

闘技場の中は、観客たちでざわめき始めて、その建物の外は、入場を許されなかった者たちで溢れ返っていた。

第一試験が「勇者としての武」を測るものだとすれば、第二試験は「精神」を試す場である。

――しかし……。

精神力と言っても、実態は「誰がより長く、肉体的苦痛に耐えられるか」に近い内容だった。

その傾向は、あらかじめ用意されていた試験方式からも、はっきりと見て取れる。

精神力は武力とは異なる、精神の領域のもの――そういう建前のもとに、形式だけは“それらしい”試験方法が複数準備されていた。

「候補者は、その中から好きな方式を選ぶことができる」

一番穏当そうに見える方法は断食の修行で、参考までに歴代最長の断食記録は一週間だった。

ほかには、激しい滝に打たれて精神修養をすることや、岩を背負って山に登ることなどもある。

一言で言えば、狂っている。

正直に言えば、フィロメルは死んでも、目覚めたあとにキリアンにその方法で勝てる自信はなかった。

『ただ一つだけを除いて。』

しかしキリアンは決してその方法を選ばないだろう。

そう考えて、フィロメルが選ぶ番になった。

進行役がフィロメルに尋ねた。

「どの形式の試験を受けるか、お決まりですか?」

フィローメルは、あらかじめ神官から手渡されていた二つ折りの紙を、指先でつまんだ。

そこには、第二試験として用意された方式の一覧が、整然と記されている。

「はい、決めました。――十三番目の方式で」

その言葉に、周囲の神官たちが一斉に表情を曇らせた。

「じゅ、十三番目……?」

ざわめきが広がる中、ミルフ大主教が前に出て、わざとらしく大きな声で笑った。

「ははは!どうやら説明をきちんと聞いていなかったようですな!十三番目の方式は――もう長らく、選ばれることのない試験なのですよ!」

その口調は軽いが、そこに含まれた響きは、明らかに警告だった。

それでも、フィローメルの表情は変わらない。

――むしろ、その方式だからこそ。

フィロメルのそばにいた別の神官が、口を挟んで説明した。

「大司教さまのおっしゃる通りです。十三番目の方法を実行するには、ある“物”が必要でして……」

大司教は、にじり寄ってきた。

「問題は、その物が今となってはどうやっても手に入らないということです!まったく、たった一度勝ったくらいで思い上がって……」

フィロメルはその言葉を遮った。

「繰り返しません。十三番目でいきます。」

「話を聞いていなかったんですか?」

ミルフが興奮して、言葉をまくし立てた。

「十三番目の方式では、“斑白ワイバーンの毒”が必要になります。しかし……その斑白ワイバーンは、ずっと昔に絶滅したはずで――」

「絶滅していません」

「……え?」

「斑白ワイバーンは、絶滅していませんよ。もちろん――その毒も、解毒剤も、ちゃんと存在しています」

そう言って、フィローメルは懐から小さなガラス瓶を取り出した。

瓶の中では、透明な液体が、かすかに揺れている。

それを見た瞬間、ミルフをはじめとする神官たちの顔色が、一斉に変わった。

「ば、馬鹿な……!あの種は、滅びてから、もう十年以上が経っているはずだ!」

その声に、フィローメルは肩の力を抜くように、くすりと笑う。

「――ええ。“表向きには”、そういうことになっていますからね」

静かに落とされたその一言が、十三番目の試験をめぐる常識を、根こそぎ揺さぶっていた。

「実は、私の実父が“最後に残った斑点模様のワイバーン”を見つけて、保護していたんです」

「魔塔主が……?」

「どれだけ凶悪な魔物でも、一つの種そのものが消えてしまうのは、惜しいことですからね」

嘘だ。

ルグィンは、ただ格好いい乗り物が欲しくてワイバーンを飼っていただけだ。

それでもフィロメルは、自信満々に顎をくいっと上げた。

「信じられないのなら、この液体の成分を調べてみればいいでしょう」

嫌な予感が、胸の奥にじわりと広がる。

だが――ガラス瓶に入った液体の成分調査は、驚くほどあっさりと終わった。

「……間違いありません。これは確かに、斑白ワイバーンの毒です」

神官の一人がそう断言すると、ミルフは思わず顔を歪めた。

ほかの試験方式ならともかく、十三番目の方式に限って言えば――キリアンが敗れる可能性は、確かに存在する。

そんな空気を切り裂くように、キリアンが静かに口を開いた。

「大主教様。どうか、ご心配なさらないでください」

つい先ほどまで、どこか力の抜けた様子だった彼の瞳に、今ははっきりとした――冷たく研ぎ澄まされた光が宿っている。

「……必ず、やり遂げますから」

その視線は、もはや迷いを知らなかった。

「……私は必ず勝って、勇者になります。それが私の運命ですから。」

フィロメルもまた、同行者たちと試合前の会話を交わした。

レクシオンが弟に言った。

「今回も三つ目の試験があるんだから、あまり無理はするなよ。」

「勝つから平気です。」

「おお、自信満々だな!よしよし、あんな生意気そうな顔のやつは一発でぶっ飛ばしてやれ!」

「……カーディン、今回はそういう試験じゃないよ。」

「ばか!ふざけてないで説明をちゃんと聞け!」

三兄弟のやり取りを聞いているうちに、いつの間にか緊張が解けていた。

 



 

やがて、決行の刻が訪れる。

二つの杯を載せた盆を掲げ、神官が大きな声で宣言した。

「――毒酒が、用意されました!」

毒をもって成る酒。

あまりにも直截的で、逃げ場のない名前だ。

フィローメルは、神官から差し出された杯を受け取りながら、静かに思案する。

――この酒には、希釈された斑白ワイバーンの毒が含まれている。

試験の名にふさわしい、生と死の境をなぞる一杯だった。

昔、勇者に選ばれた斑点模様のワイバーンに噛まれたまま戦いに勝ち、戻ってきて平然と酒杯まで飲み干した――そんな逸話があるらしい。

『その偉業をたたえて作られた試験方式。』

毒酒だとしても、命を心配する必要はない。

斑点模様のワイバーンの毒はとても珍しく、直接的に命を脅かすものではないからだ。

「さあ、二人の候補者は杯を空にしてください。」

フィロメルとキリアンは、それぞれ自分の杯を口に運んだ。

『うっ、苦い。』

舌に残る味を意識した、その直後だった。

毒の気配が、容赦なく体内を駆け巡る。

――くらり。

視界が揺れた瞬間、傍らにいた女性神官が、すぐにフィローメルの身体を支えた。

「指定の部屋までお連れします」

フィローメルは、周囲で見守る人々に向けて――心配はいらない、という意味を込めて小さく手を振り、そのまま神官の後を追った。

案内された部屋は、演壇の裏手に設けられた簡素な一室。

灯りは乏しく、空気はひどく静まり返っている。

フィローメルは神官に導かれるまま、寝台に横たえられた。

新しい布の、かすかな匂い。

――そして。

隣の部屋でも、同じように横になっているのだろう。

今ごろキリアンもまた、彼女と同じ毒を体に巡らせながら、静かに天井を見つめているはずだ。

「ここでお待ちいただいて、意識が戻ったら外へ出てきてください。」

神官が部屋を出ながら言った。

「ご存じの通り、先に出てこられた方が今回の試験の勝者となります。」

一歩遅れるか、あるいは自力で目を覚ませないほうが敗者だ。

フィロメルは目を閉じた。

ぞくぞくするのに、熱い気配が全身に広がっていく。

意識がぼんやりする。

二つ目の試験が、いよいよ本番を迎えた。

「……あぁ。」

――ふと、忘れていたことを思い出して、フィローメルは目を開いた。

『意識を手放す前に……これを……』

彼女は、袖の内に隠して持ってきていた小さな物を取り出し、そのまま口に含む。

瞬間、鼻腔を突き抜けるような、強烈な香りが広がった。

――役に立つかどうかは分からないけれど……やれることは、やっておかないと。

そのまま、視界がゆっくりと滲んでいく。重たい眠気が押し寄せ、抗う間もなく――

フィローメルの意識は、静かな闇の底へと沈んでいった。

 



 

――闘技場、観客席。

「うーん……」

考え込んでいたカーディンは、頭をぼりぼり掻いた。

「つまり、十三番目の方法って何だっけ?」

「このバカ!説明を何回聞けば分かるんだよ!」

レクシオンが、二番目の兄を叱りつける弟を軽く小突いた。

「言いたいことは分かりますが、大声は控えてください。室内では静かに。」

兄弟の代わりに、ナサールが丁寧にもう一度説明してくれた。

「斑点模様のワイバーンの唾液の毒に中ると、ある幻覚を見るそうです。」

「……幻覚、ですか?」

「ええ。――極めて苛烈な記憶です。斑白ワイバーンの毒に侵された者は、その記憶に精神を削られ、正気を失うか、行動不能に陥ることが多い」

レクシオンは、静かに説明を続けた。

「今回の試験は――自らのトラウマを、どれだけ早く乗り越えられるか。その一点で、勝敗が決まります」

ナサールの整った顔に、はっきりとした陰りが落ちる。

「……フィローメル様が、そんなものをご覧になると思うと……勝利のためとはいえ、正直、胸が痛みます」

その心情を察してか、レクシオンは穏やかに言葉を重ねた。

「ご心配には及びません。あの子は――相当に、精神が強いですから」

その断言は、希望であり、祈りでもあった。

「それは分かっています。フィロメルさまは今回の試験に備えて、瞑想の鍛錬もよくされていましたし。」

「本当に真面目ですね。」

彼らの話を聞いていたカーディンが、顔を上げた。

「変な話なんだけどさ……」

「言いたいことがあるなら、はっきり言いな。」

ジェレミアの言葉に、カーディンは重たい口を開いた。

「実は昔、クックが食べてた肉を奪って食ったことがあってさ。」

「頭おかしいのか!お前は魔物かよ、なんで奪って食うんだ!」

「はは、あまりにうまそうで、どんな味か気になっちまってさ。」

レクシオンは、かすかに眉をひそめた。

「……ときどき、自分の体に、あなたと同じ血が流れているという事実を、認めたくなくなることがあります」

「にゃあ」

傍らの猫も、同意するかのように短く鳴いた。

その反応に構うことなく、カーディンは淡々と話を続ける。

「でも、肉を数切れ口にしただけで、妙な光景が見え始めてね」

レクシオンは、鼻梁を押し上げるように眼鏡に触れた。

「……肉に付着していた斑白ワイバーンの毒に、軽く中毒したのでしょう」

「うん。そのときは、ただの夢だと思っていたけど……今になって振り返ると、どうやら――そういうことだったみたいだ」

何気ない会話の裏で、十三番目の試験が孕む“本質”が、静かに浮かび上がっていた。

「それで?あなたにも苦しい記憶があるのですか?」

「いや、それがさ……すごくよかったんだ。」

「……え?」

「よかったんだよ!幻覚の中で俺は強いやつらと血まみれになって戦って、うまい飯を腹いっぱい食ったんだ。」

カーディンはどこか恍惚とした表情で、過去を思い出していた。

「ちょっと、変ですね。」

カーディンの話が正しいとすれば、彼が見たのは「苦痛の記憶」ではなく「幸福な幻」だった。

「まさか……」

レクシオンは緊張した目つきで、ある人物の顔を見た。

「――キュキュが混血だから、毒の成分にも違いが出るんでしょうか?」

「キュキュ……混血だったのか?」

ナサールが目を瞬かせて問い返す。

「確か、普通のワイバーンの血も混じっていると、どこかで聞いた覚えがあります。見た目は斑白ワイバーンそのものですけど」

レクシオンは、自分の肩にちょこんと乗っている猫の耳元に口を寄せ、小さく囁くように問いかけた。

「……そうなのかい?」

「にゃ、にゃ……う、うん……」

一瞬で目を泳がせた猫の反応が、何よりの答えだった。

その様子を見て、誰もが察する。

キュキュは混血――そして、ルークもまた、その事実を最初から知っていたのだ。

「じゃあ……キュキュの毒に中毒すると、見る幻覚も、少し違うものになるのかもしれませんね」

「苦しみだけじゃなくて……?」

「ええ。恐怖や痛みだけでなく、場合によっては――“甘美で、幸福な幻”を見せる可能性も、否定できません」

その言葉に、場の空気がわずかに張り詰めた。

それは救いか、それとも――
より残酷な罠か。

誰もが、闘技場の奥――いまも眠り続けるフィローメルの行く末を、思わず想像してしまった。

「それでいいんじゃないか?」

カーディンが明るく微笑んだ。

「フィルがつらい記憶じゃなくて、いい幻を見るってことだろ?」

「そんな単純な問題じゃない。」

ジェレミアは表情を引き締めた。

「つらい記憶と幸せな幻のどちらなら、目覚めたいと思わない?」

「……え?そりゃ幸せなほう?」

「この勝負は、先に目覚めた者が勝者になる。」

レクシオンが続きの言葉を代わりに言った。

「その子が見る幻が幸せなら、幸せになるほど、敗北する可能性は高くなります」

「フィローメル様……」

ナサールは、彼女が眠るであろう方角へと視線を向けた。

だが、今の彼にできることは、祈ることだけだった。

 



 

 

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