こんにちは、ピッコです。
「ニセモノ皇女の居場所はない」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
130話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 勇者の誓い
それから二日後。
ヴェレロフ帝国の聖地では、勇者の出陣式が盛大に行われていた。
純白の礼服に身を包んだキリオンは、大神殿の前で片膝をつき、静かに頭を垂れていた――。
老齢で、立ち上がるのもやっとといった大神官が静かに尋ねた。
「キリオン・エスカル、あなたは偉大なる我らの神々の御前にて、その身すべてを捧げることを誓いますか?」
「誓います。」
勇者の誓いが終わると、大神官はゆっくりと祭壇の両側に視線を巡らせた。
「この青年はまもなく正式に勇者として任命されます。その前に、皆さまに確認いたします。」
儀式の最後に行われる確認の問い。
「キリオン・エスカルが勇者となることに異議のある者はおりますか?」
この問いは、儀式の定めにより三度繰り返されねばならない。
しばしの静寂のあと――。
「もう一度問います。キリオン・エスカルが勇者となることに、異議のある者はいますか?」
勇者の出陣式の中でも、この「最終確認」の時間は最も厳粛に受け止められていた。
中には緊張のあまり喉を鳴らし、ため息をこぼす者もいる。
かつて「三度目の問い」で思わぬ波乱が起こった例もある――そんな話は、今では書物の中にしか残っていない。
勇者選定の手続きが体系化されて以降、神殿は無用な混乱を一切許さなくなっていたのだ。
もし、彼らが総力をあげて育てた勇者候補が、突如現れた無名の挑戦者に敗れでもしたら……神殿の威信は地に落ちる。
だからこそ、この場には常に張り詰めた空気が漂っている。
だが――今日の式場には、どこかざわついたような、不穏な気配が混じっていた。
誰かが隣の人間に、そっと耳打ちする声が聞こえる……。
「おい、今年も何事もないじゃないか。」
「妙な噂が立ってたから、もしかしてと思ったんだが。」
「やっぱりデマだったのか?」
「まったくだ。みんな騒いでたから、何か確かな根拠でもあるのかと思ったのに。」
壇の下にいた中年の神官が鋭い視線を送ると、彼らはすぐに静まった。
大神官が再び、苦しげに口を開く。
「最後にもう一度問います。キリオン・エスカルが勇者となることに異を唱える者はいますか?」
その時だった。
「ここにおります。」
誰かの声が響いた。
突如として現れたその人物の存在感に、場の空気が一変した。
ざわ……と、火花が散るように会場がどよめいた。
無地のヴェールを腕にかけたフィロメルが、一歩前に進み出て高らかに宣言する。
「私は――キリオン・エスカルが勇者になることに、異議を唱えます!」
「……あの人は……?」
突然の声に、式場は一瞬で静まり返った。
中には彼女を見知っている者もいて、ひそひそと囁きが広がっていく。
「ま、待って!あの顔……フィロメル殿下じゃないか!?」
囁きはやがて波紋となり、ざわめきはさらに大きくなった。
「フィロメルって……あの、ベルレロフ帝国の皇女……?」
「え、帝国の“元”皇女だろ!?」
「確か……魔塔主の娘だったはずじゃ……?」
キリオンの隣にいた中年の神官が声を上げた。
「レディ・フィロメル!今、なんとおっしゃいましたか!」
フィロメルはその人物を知っていた。
公式の場で何度か顔を合わせたことがある。
ヴェレロフ帝国出身の大司教、ミロフ。
今日のキリオンを育て上げたと言っても過言ではない人物だ。
ミロフ大司教はキリオンの遠縁にあたり、幼い彼を預かり、勇者として鍛え上げた張本人でもあった。
フィロメルは穏やかに答えた。
「私が何を言ったか、ですか?――キリオン・エスカルが勇者となることに反対すると申しました。」
緊張した面持ちのミロフは、思わずフィロメルに向かって身を乗り出した。
「……あなた、その発言の重みを理解しているのですか!」
「もちろんです」
フィロメルの落ち着き払った答えに、ざわりと空気が揺れる。
彼女に代わって声を上げたのは、当事者であるキリオンだった。
「レディ、最後の三度目の問いかけに異議を唱えるということは――単に勇者候補に反対する、という意味ではありません」
フィロメルは射抜くようなキリオンの視線を避けず、真正面から受け止めた。
「ええ、承知しています。つまり……別の勇者候補を推薦する、という意味ですよね」
「では伺いましょう。あなたが推薦する勇者候補とは――誰なのですか?」
キリオンの瞳がすばやく式場の中を走った。
そしてその視線は、すぐに観覧席の奥へと定まった。
――ナサールが、人々の間に身を潜めている場所。
キリオンは小さく、苛立ちを含んだ息を吐いた。
「お引き取りください。ここは、貴女の恋愛遊戯を見せる場ではありません。」
その言葉の裏にある意図を察して、フィロメルの唇がわずかに歪む。
「失礼ですね。今後、あなたが相対する相手の前では、もう少し礼を弁えていただきたいものです。」
「……なんと?」
「……すぐ目の前にいるじゃありませんか?」
フィロメルは堂々と胸を張り、はっきりと告げた。
「私が勇者候補として推薦するのは――この私、フィロメルです」
場内が、一瞬水を打ったように静まり返る。
幸い、彼女の言葉は全員の耳にしっかり届いていたようだ。
最初に反応を見せたのは、大主教だった。
「な、何という暴言だ!あなたが勇者になるですって!?」
「はい。私はこの勇者選抜の場に、正式な候補者として名乗りを上げます」
「馬鹿なことを言うな!」
「どうして馬鹿なことなんですか?資格さえあれば――誰だって」
「誰にでも勇者になる機会が平等に与えられるわけではありません。」
「では――あなたには、その資格があるとでも?」
その言葉を最後まで聞かぬうちに、フィロメルは静かに前へと歩み出た。
とく、とく、と。
静寂の中に響く足音が、場内の空気を張りつめさせる。
「資格なら、ここにあります。」
そう言って、フィロメルは指先で自らの頭上を覆った。
キリオンをはじめ、神殿側の人々がようやく彼女の頭上に輝く“それ”を認識する。
「ま、まさか!」
ミロフが慌てて立ち上がり、その光り輝く物体を掴み取ろうと駆け寄った。
「まさか……これが本当に《世界樹》の刻印だなんて、ありえない!」
しかし、“まさか”は往々にして人を捕まえる。
――わあああああっ!
大主教が神聖力を注ぎ込んだ瞬間、フィロメルの両腕に刻まれた刻印が光を放った。
それは、かつて《世界樹》が彼女に刻んだ証――まごうことなき、選ばれし者の刻印だった。
数人の口が、呆然と開かれる。
壇上に立ったフィロメルは、全員の視線を浴びながら再び高らかに宣言した。
「このフィロメル、正式に勇者の資格を認められし者として――キリオン・エスカルに決闘を申し込む!」
キリオンの表情が強ばった。
「あり得ん!そんなのは常識的にも――非常識だ!」
ミロフの叫びは、すぐにざわめきの波に飲み込まれていった。
場内が一斉にざわつく。
「では……フィロメル前皇女も、正式に“勇者の資格”を持つというのか?」
「本当にあれが“世界樹の冠”なら……」
「神官たちの反応を見るに、間違いなさそうだ。」
「ということは……」
その時、誰かがどよめきを切り裂くように叫んだ。
「――あの方こそ、噂に聞く“もう一人の勇者”だ!」
それをきっかけに、場内は一気に騒然となった。
配置されていた神官たちが慌てて鎮めようとしたが、群衆のざわめきを抑えることはできなかった。
「他種族からも認められていて……」
「帝国南部に広がった疫病を治す薬を作り出したとか……」
「今回の勇者選抜の場で、まるで彗星のごとく現れるって噂になってた……あの勇者候補なのか?」
――フィロメルは、思わず口元に笑みを浮かべた。
まるで、自分こそがその“噂の勇者”だと告げるように。
「そんなはずがない!」
ミロフは即座に否定した。
だが会場の多くの人々もまた、半信半疑の様子で互いの顔を見合わせていた。
フィロメルは肩をすくめ、余裕のある口調で言った。
「世界樹様に確認してくださっても構いませんよ。ああ、それと――これは妖精族とドワーフ族から授かった刻印です。」
そう言って、隣にいた別の神官へと手の甲を差し出す。
おそるおそる彼の手を取った神官が神聖力を注ぐと、白い肌に淡い光とともに紋様が浮かび上がった。
神官がその文様を確かめ、息をのむ。
「ドワーフ族の古い紋章……!内容は――」
「“ドワーフ族の恩人。白き悪魔を討伐せし勇士”とあります!」
続いて、フィロメルの耳元にも妖精族の印がほのかに輝きを放った。
妖精族の恩人──。
多くの人々を危険から救った、伝説の救援者。
その事実が確認されると、半信半疑だった人々もようやくフィロメルの言葉を信じ始めた。
「他種族が人間を認めるなんて、そう簡単にあることじゃない……」
「しかも妖精族とドワーフ族といえば、どちらも人間に対しては極めて排他的な種族だ……」
ざわつく空気の中、フィロメルは二人の人物を真っすぐに指差した。
「これ以上、何かおっしゃることはありますか?」
キリオンとミロフは顔をこわばらせたまま、言葉を失っていた。
聖地の一角にある食堂。
料理を前にしたフィロメルが、向かいに座るナサールに話しかけた。
「これだけでも、十分成功って言っていいですよね?」
「ええ。私が見ても、本当に見事な采配でした。」
勇者任命の式典は、突如現れたフィロメルの存在によって中断された。
神殿側は急きょ会議に入り、対応を協議しているという。
正式な方針は追って通達されるとのことだったが――
(結局、私とキリオンの二人で“勇者選定試験”を受けるしかないでしょうね。)
それが決まりであり――フィロメルが多くの人々の前で宣言した以上、神殿はその規定に従わざるを得なかった。
その頃、食堂には数人の客が入ってきた。
「先発式の話、聞いた?」
「まさか噂の勇者が、元皇女だったなんて……!」
「本当に噂通り、まったく予想外の人物だったわ。」
彼らは口々にフィロメルと先発式について話し始め、場は一気に盛り上がった。
ジェレミアの首飾りを身につけていたおかげで、周囲の目にはフィロメルがまるで別人のように映っていた。
――レクシオンがあの首飾りを譲ってくれたのは、本当に大きな助けだった。
今はもう紅炎の指輪もなく、ルグィーンがかけてくれた変身魔法もすでに寿命を迎えていた。
自動防御の魔法だけがかろうじて残っているが、それもいつまで保つか――。
「それで、結局“勇者”は誰になると思う?」
隣のテーブルから聞こえてきた会話に、フィロメルはふと耳を傾けた。
「噂では、元皇女様らしいじゃないか。」
「ちょっと待って、それ本気であり得ると思ってるの?」
「なんで駄目なんだ?」
「いや……何というか、みんな前からその噂ばかりしてるけど、どうにも自分だけ変に聞こえるというかさ。」
もっともな疑いだ。
――なんといっても、出所の怪しい噂なのだから。
高級拡声器の性能は、想像以上に優れていた。
フィロメルは魔塔を出る直前、その拡声器を使って噂を流したのだ。
内容はおおよそこんな具合だった。
「先発式の日、彗星のように現れる新たな人物が勇者となる」――と。
さらに、その人物に関する短い一文には、自身の“業績”…と呼ぶには気恥ずかしいが…を、これでもかと詰め込んでおいた。
直接、名指しでフィロメルの名が出たわけではない。
だが、その大胆な宣伝がプレイヤーによるものと受け取られたのか、噂は瞬く間に広がっていった。
そしてその噂は、フィロメルとナサールよりも先に、聖地へと届いたのだった。
あまりの速さに、思わず目を見張った。
噂というものの特性を考えても、これは非常識なほどの伝播速度だった。
ナサールも同じことを思ったのか、フィロメルに小声で漏らす。
「……一日もかからなかったみたいですね」
もし噂の広まりが想定より遅ければ、人を動かして意図的に流すつもりだった。
だが、二人が聖地に到着したときには、すでにその話題が町中を駆け巡っていたのだ。
――なんという上級拡声器の威力!
しかも、その拡声器の効果は単に“速い”だけではなかった。
『あのわがまま娘だった元皇女が、実は勇者になれるほどの実力者だった――?』
人々の中に、そんな衝撃と興味が一気に広がっていた。
多くの人々がこの衝撃的な“予言”を疑いもなく信じ込んだのも、通信魔導器の精度の高さゆえだった。
(……唯一の欠点を挙げるとすれば、ね。)
別のテーブルでは、身振り手振りを交えた女性が仲間に語っていた。
「フィロメル様って、たった一撃で皇宮の不正貴族を吹き飛ばしたらしいわよ!」
「まぁ、すごいわ!」
「違うわよ。私が聞いた話では、指先ひとつでその人の心臓を握り潰したって!」
「本当?やっぱり滅亡の危機から世界を救う、唯一無二の英雄ね!」
フィロメルは顔を引きつらせながら、無言でスプーンを口に運んだ。
『……あんなこと、言った覚えないんだけどな』
噂というのは、いつの間にか形を変え、完璧に仕上がっていくものだ。
「静かに暮らす」という当初の目標は、もうとっくに過去のものになっていた。
むしろ、日を追うごとに人生はどんどん賑やかになっている。
『……まあ、いいか。どうせ評判が上がるのは悪いことじゃないし』
フィロメルの名声が高まれば高まるほど、勇者になる上でも有利になる。
食事を終えたあと、二人はゆっくりと大神殿へ向かって歩き出した。
今回はジェレミアの首飾りは身につけていない。
勇者が過剰に身を隠すのも、また不自然というものだ。
「──あっ、フィロメル様だ!」
「応援してます!選抜式、がんばってください!」
フィロメルは、自分を見て歓声を上げる人々に軽く手を振った。
どうやら、早くも“支持者”らしき者たちまで現れ始めているようだった。
隣を歩くナサールが穏やかに口を開く。
「ルディアからも“応援しています”という伝言が届いています。」
彼らをここまで送り届けたルディアは、人混みが苦手だからと、夜明け前には自宅へ戻ったという。
「それと、“約束を忘れないで”ともおっしゃっていました。」
「もちろんです。再び連絡があったら、必ず守るとお伝えください。」
「どんな約束なんです?」
「――女の子同士の秘密です。」
それは昨日の出来事だった。
ルディアがもじもじと落ち着かない様子で、フィロメルのもとにお願いをしに来たのだ。
「ジェレミア様を……紹介していただけませんかですか?」
「はいっ、私の一生の夢なんです!本当は恥ずかしくて、先生にも坊ちゃまにも言えなかったんですけど……!」
彼女が剣術を学び始めたきっかけは、ジェレミアにある。
数年前、薬草採取の最中にモンスターに襲われたルディアを、偶然通りかかったジェレミアが救ってくれたのだという。
そのときの彼女の顔は、憧れと感激が入り混じった、まさにうっとりとした表情だった。
「……あの時、ビンゲル公子の華麗な剣技を見て、私もあの方のようになりたいと思ったんです!まあ、才能は全然なかったんですけどね!」
「……まあ、お会いできるだけなら、一言くらいは声をかけてみます。」
フィロメルは顔から火が出そうで、穴があれば入りたい気分だった。
こんな無邪気な人に嫉妬するなんて、自分も案外嫉妬深い性格だと改めて思う。
(うっ、また思い出しちゃった。選抜式のときに、すっかり忘れてたのに……)
「嫉妬」という言葉に反応するように、封じていた出来事が脳裏に蘇るのだった。
フィロメルは、ちらりとナサールに目をやった。
気がつけば、視線が何度も彼の唇へと吸い寄せられてしまう。
(……唇が、思っていたよりずっと柔らかかった)
昨日からずっと、そのことばかりが頭をよぎってしまい、ナサールとまともに目を合わせることすらできなかった。
彼もまた似たような心境なのか、二人の間にはなんとも気まずい空気が漂っていた。
(ルディアが、まるで見てはいけないものを見たみたいに、すごく慌ててたっけ……)
そんなとき、思いもよらぬ人物が二人の前に姿を現した。
「フィロメル様!お久しぶりです!」
――エミリー。
かつて、フィロメルの名のもとに偽エレンシアの下で侍女として働いていた少女だった。
「エミリー!?どうしてあなたが聖地に?」
「えへへ、最近は陛下のお世話をしているんですよ~」
「……陛下を、ですって?」
エミリーは周囲を見回し、声をひそめて言った。
「実はですね、陛下が極秘で大神殿を訪問なさってるんです。」
――ユースティスが、この場所にいる。







