こんにちは、ピッコです。
今回は24話をまとめました。
ネタバレありの紹介となっております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
24話
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 一人きり
リプタンは耳元をくすぐる雨音に目を覚ます。
しばらくの間、気が付かなかった。
こんなに遠くて無気力な気分は初めてだ。
明かりがゆらめく暗い天井を見上げるのもしばらくの間、彼は柔らかい息の音に首をかしげる。
乱雑な赤い髪が枕の上に雲のように広がっていた。
彼は自分の腕を抜き、気絶するように眠っている女性を見て息を切らす。
薄く汗が滲んでいる湿った肌が彼の体にびたっとくっついていて、生臭い性交の匂いと彼女の体臭が入り混じって頭をくらっとさせた。
酔っばらいのようにぼうっと瞼を震わせる姿に、リプタンはすぐに自分が彼女を息詰まるほどぎゅっと抱きしめているという事実に気づき、ぎょっと腕を緩める。
しかし、落ちた肌の間から感じられる冷たい寒さに彼女を再び胸に抱いた。
彼女の細い骨の節々が、柔らかで滑らかな肌越しに感じられる。
彼は震える手つきで彼女の顔についた髪の毛を注意深く引き離し、柔らかい頬を包み込んだ。
髪の毛の色よりやや濃い赤褐色のまつげが雨水に濡れた羽毛のように垂れ下がっていて、赤くなった目元は少しただれている。
胸が締め付けられるように痛んできた。
リプタンは指先で彼女の丸い額と小さな鼻を触りながら、膨らんだ厚い唇を親指で軽くこすってみる。
甘い息遣いが指先をくすぐった。
彼女の存在が骨の髄まで食い込んでくるのを感じることができた。
遠くから眺めていた時も、彼を捕らえて放してくれなかった女性だ。
もう死ぬまで彼女を心から消すことはできないだろう。
彼は顔をゆがめ、ゆっくりと彼女から身を引いた。
そうすることが、生身を切り離すことよりも苦痛に感じられた。
リプタンは彼女の首まで布団を持ち上げてベッドの上に座り、かすかになった暖炉の火をしばらく眺める。
去らなけれはならない時間だということを知っていたが、水を飲んだ綿のように重い体がびくともしなかった。
彼は荒々しく顔をこすっていたが、苦労して席を立つ。
もう一度彼女の冬の湖のような瞳を見たかったが、彼女が快く思わないだろう。
目が覚めたとき、自信がないほうがいいだろう。
彼はおしぼりでざっと体を拭いて服を拾い上げて羽織った。
多少しでも遅らせては永遠に立ち去ることができなくなるのではないかと怖かった。
リプタンは無理をしてでも彼女のそばに残りたい衝動を抑えながら剣を持ち上げる。
そして、門の外に出る直前に、自分の妻になった女性を最後に目の中に入れた。
凄惨な悲しみが彼の内部で渦巻く。
リプタンは目を閉じてドアを開け、外に出た。
すると、入り口の前を守っていた女中と神官が部屋の中に入り、結婚が無事に成就したことを確認する。
「これで取引は完了しました」
執事長が彼に羊皮紙の巻物を一つ差し出した。
「これは公爵閣下が作成した出征代理任命状です」
リプタンはそれをじっと見下ろしてひったくる。
執事が廊下に待機して立っていた兵士たちに頭を振りながら話した。
「カリプス卿を地下牢に案内しなさい」
リプタンは彼女の面倒を見てくれと言おうとしたが、唇をかんだ。
執拗に虐めたくせに、自分にそんなことを言う資格があるのか。
リプタンは自嘲を飲み込み、兵士たちの後を追って重い足取りで歩いた。
階段を下りると、がらんとした会場を守って立った部下たちの顔が目に入る。
彼らは何かを言おうとして固く口をつぐんだ。
彼は部下たちを通り過ぎ、青く夜明けの光が明るくなる庭に素早く足を運んだ。
空には白く雲が立ち込め、氷のように冷たい冬の雨がしとしとと肩と頭の上に降り注いでいた。
「こちらです」
兵士が松明を持って雨道の中を素早く歩き、厚い城壁の片隅に位置した真っ暗なドアを開ける。
地下への階段が姿を現した。
リプタンは後を追ってきたウスリンとルースにここで待機するよう指示を下した後、エリオットだけを連れて階段を降りる。
先頭に立っていた兵士が階段の端に逹すると、二重になった鉄格子を開けて壁にたいまつをかけた。
すると、恐ろしい風景が目の前に広がる。
彼はこぶしを固く握りしめた。
湿気が溜まった床にはネズミたちの死体が黒い泥のように絡まっていて、四方から糞便の臭いが振動し、格子の内側には死んだのか生きたのか分からない囚人たちがびくともせずに横になっている。
たいまつを手に取って監獄の中を隅々まで照らしてみたリプタンは、ばちばちと音がするように歯ぎしりをした。
義父がこんな所に何日も閉じ込められていたという事実に、頭のてっぺんまで怒りがこみ上げてくる。
「お探しの人は一番奥の部屋にいます」
リプタンは兵士を殺すように睨みつけた。
「今すぐ案内しないで何をしているのか」
陰惨な声にびくびくしていた兵士が、すぐさま慌てて歩き出す。
リプタンは自制心をかき集め、後を追って歩いた。
もしあの人が間違っていたら、自分はクロイソ公爵を絶対に許さないだろう。
「こ、ここにいらっしゃいます」
廊下の突き当たりまで歩いた兵士が、松明で格子の内側を照らした。
すると囚人が小さく泣き叫んで隅に忍び込んだ。
リプタンは凍った目でその姿を見下ろす。
兵士は刑務所のドアを開けて入り、彼を立たせた。
すると、散発した髪の間から、甘ったるいカポチャのように膨らんだ顔が、丸見えになる。
リプタンはうめき声を上げた。
義父が真っ黒に痣ができた瞼を辛うじて持ち上げ、うつろな瞳で自分を眺めている。
割れた唇の間から恐怖に怯えたすすり泣きのようなものが溢れ出た。
リプタンはそれが慈悲を乞う言葉であることに気づき、顔を歪める。
「・・・早く外に連れて出ましょう」
ショックで立ち往生している彼の代わりに、エリオットが躊躇なく刑務所に入り養父を連れた。
リプタンは義父の体に手を出すことも考えずに振り向いた。
その恐ろしい場所から抜け出すと、階段の入り口に待機して立っていたルースが、まっすぐ走ってきて義父の状態を調べる。
「幸いにも消失した部分はないですね」
彼は安堵のため息をつきながらつぶやいた。
しかし、リプタンは少しの安堵感も感じられなかった。
ルースがすぐに治癒魔法をかけてくれたが、義父は苦痛が消えたという事実さえ認識できないようだ。
だらりと垂れ下がった義父の姿を見下ろしていたリプタンは、兵士に向かって大声を上げた。
「今すぐ馬車を出せ!」
しばらくして馬車が彼らの前に止まる。
リプタンは義父が馬車に乗るのを見て、自分の馬に乗った。
しとしとと降り注いでいた雨脚が、いつの間にか白く世の中を覆っていた。
彼は息が吹き出る氷のような寒気の中でクロイソ城を凝視する。
一時、羨望を込めて見上げていた巨大な城が、あざ笑うように彼を見下ろしていた。
水煙に包まれたように白く輝く灰色の砦を眺めていたリプタンは、すぐに馬に拍車をかける。
満身創撲になった義父を見るやいなや、彼の妻と幼い娘は泣き出した。
後ろで何も言わずにその姿を見守っていたリプタンは、宿の主人にお金をたくさん抱かせ、お風呂の水と良い食べ物を用意するように頼んだ後、外に出る。
雨はますます激しくなっていた。
「卿のせいではありません」
黒い空をほんやりと見上げていると、ルースが静かに横に近づいて言った。
「カリプス卿が渡した金貨がなかったら、クロイソ公爵は義父を人質にしたはずです」
「・・・」
リプタンは何の返事もしなかった。
彼の沈黙から拒絶を読んだのか、ルースがため息をついて話題を変えた。
「これからどうするつもりですか?ご家族をアナトールに移住させるつもりですか?」
「いや」
リプタンは丘の上の城壁に視線を固定する。
「アナトールは危険すぎる。トライデン子爵様の領地に送るつもりだ」
そもそも彼らは自分の家族でもなかった。
リプタンは首を回して、まだ一身のように抱き合っている義父とその妻を見つめ、沈んだ口調で話す。
「まず、準備が整い次第、騎士団と合流しなければならない。雨が止み次第出発できるように準備しておくように」
「・・・分かりました。それでは馬車を待機させておきます」
そう言って、ルースはおとなしく席を離れた。
リプタンは雨が降るのをもう少し見守った後、部屋に入って王室に送る電報を書き始める。
ルーベン王はきっと激怒するだろう。
クロイソを手なずけるという彼の野心的な計画は、自分のために拗れたわけだから。
「信じている剣に足の甲が刺されたようなものだ」と激怒することは明らかだ。
君主の険しい顔を思い浮かべながら眉をひそめていたリプタンはふと、自分が書いた文章が到底分からないほどめちゃくちゃだということに気づき、手を止める。
彼は眉間を寄せながら新しい羊皮紙を取り出し,再びペンにインクを飲ませた。
しかし、何度も文字が消えてしまう。
その時になってようやく彼は激しく震えているということを悟った。
喪失感のためか、怒りのためか。
骨の髄まで寒気がした。
背中を丸めてぶるぶる震えたリプタンは、急に沸き上がった激しい衝動を抑えきれず、壁にインク瓶を投げつける。
黒い液体が四方に飛び散った。
その真っ黒な染みをがらんとした目で凝視していたリプタンは、すぐに頭を抱えて座り、傷ついた獣のようにうなり声を上げる。
彼は今日一日で心の中に抱いてきた聖域をすべて失った。
リプタンは泣き叫ぶことができない悲痛なうめき声を上げながら頭をかきむしる。
ただ時々取り出して見ながら慰めを求めようとしただけなのに、それさえ許されなかった。
彼は汚物にまみれた胸を抱いて、自分を落ち着かせるために全力で書いた。
まだ崩れることはできない。
しっかりしなければならない。
自分にはまだ残された責任があった。
リプタンは必死に繰り返した。
やっと震えが収まった時は、窓を叩いていた雨の音がいつの間にか止まっていた。
リプタンは無表情な顔で戻り、窓を開けて灰色に染まった荒涼とした風景を眺める。
もう発たなければならない時だ。
彼は剣を取り上げた。
義父は馬車に乗って行く間に何も言わなかった。
リプタンもあえて彼に話しかけなかった。
数日間、妻のそばに座って疲れたようにびくともしなかった老人は、遠くから走ってくる自分の息子を見てやっと席を立つ。
リプタンは、彼がやせ細った腕で幼い息子をぎゅっと抱きしめる姿を見て、横に近づいたガベルに頼んだ。
「あの人たちを子爵領まで安全に連れて行ってくれ」
「卿が直接行かなくても良いのですか?」
リプタンは手綱を握りしめて暗い目で彼を振り返った。
「私はこれからやるべきことがある」
ガベルの顔にちょっと深刻な雰囲気が流れる。
彼が何かを聞こうとするように口を開けていたが、こちらを探る義父の視線を意識したように、口元にぎこちない笑みを浮かべた。
「心配しないでください。私が状況をよく説明した後、子爵領地まで無事に連れて行きます。トライデン様が、しっかり面倒を見てくださると思います」
「・・・頼むよ」
ガベルは頭を下げて、義父とその家族の方へ大股で歩いた。
リプタンは義父の憔悴しきった顔を見て、兵舎が張られたところに向かって体を向ける。
そこで席を外している間のことを簡単に報告してもらい、トライデン子爵に送る電報を作成した後、騎士たちを呼び集めてクロイソ城であったことを説明した。
彼らは自分の義父がクロイソ城の地下監獄に連れて行かれたという知らせを聞いた時からこうなることを予想していたらしく、落ち着いて反応した。
「それで、これからどうするつもりですか?」
「私が騎士団長職を辞任するのが一番安全だが、今の状況ではルーベン王がお前たちの中の一人に爵位と領土を下す可能性はない」
リプタンは兵舎に集まった約30人の騎士たちを見回しながら重い声で話した。
騎士団は徹底的に実力によって序列を決め、兵舎に集まった人々はそれぞれ発言権を持っている。
リプタンは彼らが十分に熟考できるように時間を与え、落ち着いて話を続けた。
「私に残された権限を使って、君たちが正規の騎士団に入団できるように措置を取ってやる。放浪騎士団になるよりその方がましだろう」
「ドラゴンが怖くて騎士団を出たやつが歓迎されると思いますか?」
兵舎の柱に背を向けて立っていたヘバロンが体をまっすぐにして、冷笑的につぶやいた。
「王室の騎士団に正式に編入されたとしても、臆病者の烙印を押され、一生嘲弄されることになるでしょう」
「・・・大げさに言うな」
リプタンは口元を固く引き締める。
「たとえそうだとしても、実力で黙らせればいいだけだ。君たちまでこの戦いに巻き込まれる理由はない」
「ルーベン王がクロイソ公爵を牽制する目的で今回の遠征で西部地域を排除しなかったら、レムドラゴン騎士団も出征命令を受けたはずです」
黙っていたロンバルドは口を開いた。
「騎士は常に君主の命令に従って命をかけなければならない存在です。死が怖かったら、そもそも騎士にもならなかったでしょう」
「王の命を受けて命をかけて戦うことと、クロイソ公爵の安危のために戦うことは全く別問題だ」
「クロイソ公爵のためではありません。私たちはレムドラゴン騎士団の名誉のために戦うのです!」
腕を組んで座っていたウスリン・リカイドが荒い口調で反論する。
「陛下の命令で遠征に出ることと団長について行くこと、私たちにはあまり差がないということです」
リプタンは少し驚いた表情をした。
ウスリンは王室に対する尊敬と忠誠心が格別な騎士だ。
そんな彼が言った言葉だったので、重みが全く違うように感じられた。
妙な沈黙が流れてしばらく、ヘバロンがふむふむ、咳払いをすると、ウスリンの肩をパチパチ叩きながら冗談を言った。
「久しぶりにお坊ちゃまが気に入ったことを全部言うね。あの狡猾な男に代わって遠征に出なければならないのは気に入らないが、どうせこうなったのなら、ドラゴンスレイヤーになって全大陸に名声をととろかすのも悪くないだろう」
「・・・普通、あなたみたいなやつが一番先に命を落とすものだよ」
「何?」
リプタンは片手を上げて彼らの喧嘩を止める。
「やめろ。今度のことは体面を気にして決めることじゃない」
「私たちを何だと思って・・・!」
「考える時間を与える」
リプタンはヘバロンの言葉を切り、厳しい目で彼らをちらっと見た。
「オシリアから派遣された神聖騎士団の一部が皆殺しにされたという知らせは皆間いただろう。これからどんなことが起こるか分からない。魔物がうようよする未知の領域に入り、全大陸を恐怖に震え上がらせた魔物と対抗することになるということだ。本当に命をかける覚悟ができているかどうかよく考えてくれ」
騎士たちは勇気を疑われたことが不快そうに顔を赤らめる。
しかし、リプタンは彼らに抗弁する機会を与えず、席から飛び出し起きた。
「返事は3日後に間く」
そうしてすぐに兵舎の外へ出ていく。
翌日、ガベルは従騎士たちと共に子爵領に向かう準備を終えて、彼の兵舎を訪れた。
リプタンはトライデンヘの手紙と金貨の入ったポケットを彼に差し出す。
「これを子爵様に伝えてくれ」
「分かりました」
ガベルは袋を受け取り、懐に入れた。
リプタンは再び机の前に座り、王室に報告書を書き始める。
その姿をじっと見下ろしていたガベルが慎重に尋ねた。
「公爵家のお嬢様はどうするつもりですか?」
リプタンは体をこわばらせた。
どういう意味かと言わんばかりに彼を睨みつけると、ガベルが落ち着いて話す。
「もうあの人は・・・、カリプス卿の奥様ではありませんか。卿が席を外したら、アナトールの管理は奥様がしなければなりません」
「アナトールの管理は魔法使いに任せるつもりだ」
「魔法使いは遠征についていくつもりですが?」
隅に静かに座って魔法書を覗き込んでいたルースが、大声で鼻を鳴らした。
リプタンは彼に厳しい視線を向ける。
しかし、ルースは瞬きもせず、平然と話した。
「私を引き離して行こうとするなんて、寂しいものですね。カリプス夫人がいるのに、私がなぜ領主代理の仕事をしなければならないのですか?」
カリプス夫人。
その言葉の妙な響きに、リプタンはかすかな戦慄を覚えた。
裸でベッドの上に横になっていた彼女の姿が思い浮かぶと、耳たぶがひりひりする。
彼は動揺を隠すために羊皮紙をのぞき込むふりをして唇を濶した。
彼がなかなか決断を下せなかったので、ガベルはやや堅苦しい口調で言った。
「公爵の娘だから信用できないのは理解できます。しかし、あの方がクロイソ城に残っていれば、カリプス卿の面子が削られます。私が帰る途中、あの方をカリプス城にお連れします」
リプタンは騎士の頑固な態度に眉をひそめる。
今頃は城壁も完成しているだろうし、カリプス城の補修工事も終わっているだろう。
しかし、クロイソ城とは比べ物にならない。
無意識のうちに彼女を気にしていたリプタンは唇をかんだ。
急いで行った結婚だったが、彼女は教団が認めた自分の妻ではないか。
もし自分が生きて帰れなかったら、財産、城、領土はすべて彼女に相続されるだろう。
(万が一、子供でもできたら・・・)
ひらめいた考えに彼は手のひらでまぶたをこすった。
ピリッとした興奮と恐怖が血管を伝って流れる。
もし彼女が息子を産んだら、その子はアナトールの次の領主になるだろう。
そして、自分のように生父の顔も知らないまま育つことになるだろう。
リプタンはうめき声を飲み込んだ。-
離れたくなかった。
本当に離れたくなかった。
彼は沸き立つ感情が落ち着くのを待ち、ゆっくりと唇を離した。
「・・・よし、彼女をカリプス城に連れて行ってくれ」
そしてすぐに新しい羊皮紙を取り出して、ロドリゴに彼女が安らかに過ごせるようにすべての便宜を見てくれと書いた後、ガベルに渡した。
騎士はそれを腕の中に入れて外に出る。
リプタンは再び机の上に積もった報告書に視線を落とした。
彼が遠征に出ると、王室軍か公爵の奉神のいずれかが国境地帯を守ることになるだろう。
ここの状況を詳しく記録しなければならなかった。
しかし、焦った頭の中はなかなか整理がつかなかった。
「お別れの挨拶でもしたらどうですか?」
ルースが再び口を挟んだ。
「これが最後かもしれないじゃないですか。後で後悔せずに見送りくらいは出て行ってください」
無視しようとしたが、最後という単語がとても気になった。
結局、リプタンは悪口をつぶやきながら席から飛び起きる。
兵舎の外に出ると、ガベルが馬の上に座り、部下たちに指示を.下す光景が目に入った。
その横に建てられた荷馬車の上に義父と義父の家族が次々と乗り込んだ。
リプタンは義父が自分の膝をかろうじて越える背の幼い娘を馬車に乗せる姿を見て、彼の後ろに近づいた。
すると義父が肩をすくめて、ぼんやりと曇った目で彼を見上げる。
傷をきれいに治療したにもかかわらず、彼の顔には苦労の跡がそのまま残っていた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ないことになった」
なまりのついたごつい声が、ぎくしゃくと鼓膜をかき落とす。
他人に接するようによそよそしい覗線を送っていた義父が再び頭を下げながら、一束にもならない荷物を馬車の上に置く。
「しかし、これからは私のことを気にしないで。騎士団長のような方が、布のことで何をしに出るというのですか」
リプタンは何も言わずに彼のやせ細った背中と白髪を見下ろしていたゆっくりとうなずく。
しかし、義父は地面を見つめていたため、彼の返事を逃した。
「地だけ見て生きなければならない」という養父の言葉が思い浮かんだ。
一生、地面だけを見て生きてきた男の曲がった背中を悲しい目で凝視していたリプタンは、感情を排除した声で話した。
「これが最後です。私があなたの前に姿を見せることはもうないでしょう」
義父のしわの寄った顔の上に安堵の色がよぎる。
老人が頭を一度上げて、馬車の上にひらりと座った。
リプタンは馬車のドアを閉めてかけ、ガベルに目配せをする。
運転手が部下に合図すると、馬車の車輪がゆっくりと転がり始めた。
リプタンは微動だにせず立ち、土ぼこりの向こうに馬車が遠ざかるのを見守る。
冷たい風が彼の首を掃いて通り過ぎた。
リプタンは青白い日差しに網膜がしみるのを感じながら眉をひそめる。
今度こそ、自分は本当に一人になった。
養父との最後の別れは、ほろ苦いものになりましたね・・・。
トライデン子爵なら、養父たちのことをしっかりと面倒を見てくれるはずです。