こんにちは、ピッコです。
「メイドになったお姫様」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
138話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 傀儡の皇帝
「パチンッ!」
静寂を引き裂くような高い音が、密室に響き渡った。
皇后マリアは怒りに顔を歪ませ、強く振り下ろした己の手を震わせている。その手の先で頬を打たれたのは――驚くべきことに、この帝国の最高権力者である皇帝だった。
「このろくでなし! この愚か者!」
普段の気品と慈愛に満ちた姿からは想像もつかない、激しい罵倒が皇后の口から飛び出す。しかし、打たれた皇帝は何の反応も示さなかった。ただ無表情のまま、赤くなった自分の頬にそっと手を当てるだけ。その瞳には、光も、感情も宿っていない。
それにいっそう腹を立てた皇后が、再び手を上げようとしたそのとき、長年仕える侍女のイブリンが慌ててその手を阻んだ。
「おやめください、マリア様。これ以上は痕が残ってしまいます。皇帝陛下が皇后さまと顔を合わせた直後、不自然な傷があれば、周囲の者が怪しみますわ」
「……っ」
皇帝の背後には多くの侍従や侍女が控えている。みっともない醜態を晒すわけにはいかなかった。皇后は悔しげに唇を噛みしめ、ようやく手を下ろすと、額を押さえて椅子へと崩れ落ちるように腰を下ろした。
「大丈夫ですか?」
「いいえ、まったく大丈夫ではないわ」
皇后は苦しげに胸元を押さえた。
彼女は長い時間をかけ、病気療養という名目で皇帝を都から遠ざけた。だがそれは、世間で言われているような治療のためではなかった。その期間、皇帝に特殊な“精神の魔法”をかけるためだったのだ。
魔法にかかった者は、まるで石のように感情を失う。何事にも無関心になり、深く考えることもやめ、見た目はそのままに、ただの動く抜け殻(にんぎょう)と化す。
「それで十分だと思っていたのに……!」
皇后には実子である皇太子ラシードがいた。皇帝さえ大人しく操り人形になっていれば、ラシードを通じて帝国絶対の権力を握れるはずだった。
――だが、計算は狂った。
自分の思い通りに動くはずだった息子ラシードが、明確に反抗し始めたのだ。たった一人の女、シアナに心を奪われたせいで。
気が狂いそうなほどの怒りに震える皇后の手を、イブリンがそっと包み込む。
「落ち着いてください、マリア様。……まもなく、私どもの見つけた『本物の魔法使い』が宮廷に到着いたします。あの者さえいれば、皇帝陛下にさらに強力な魔法を上書きできる」
今度こそ、皇帝を完璧な人形に仕立て上げる。
「そうなれば、もう誰もあなたを止められません。望むすべてが手に入りますわ」
その言葉にすがるように、皇后はイブリンを見つめ、やがて彼女の胸に顔を埋めて、呪詛のように呟いた。
「必ず……必ずそうしなければ。あの忌まわしい男も、その血を引く息子も、すべて私の手で不幸にしてやらないと……」
それだけが、彼女を突き動かす唯一の執念だった。
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『ラシードの恋人シアナ、皇后の試練を突破』
その報せは、瞬く間に社交界を駆け巡った。
貴族たちは色めき立ち、どこへ集まってもその話題でもちきりだった。
「あの侍女がやり遂げたのか?」
「いえ、侍女ではありません。アシルロード王国の王女だそうです」
「いや、それも古いですよ。今や新しく興ったアシルロード新国の『総理』だとか」
「総理だと? 女性が国の最高政務官になったというのか」
旧国の王女にして、新国の総理。相反する二つの肩書きを持つシアナの存在は、貴族たちの好奇心を大いに刺激した。何より、試練を突破したということは、彼女が次期皇后たる皇太子妃になることを意味している。
貴族たちは我先にと、愛情と関心をこれでもかと詰め込んだ手紙を書き始めた。
しかし、封筒に宛名を書こうとした段階で、誰もがふと首を傾げた。
「……この手紙、どこへ送ればいいのだ?」
「決まっている。皇太子殿下の宮へお届けするのだ」
その頃、シアナは未だに皇太子宮の一角で暮らしていた。
かつて使っていた侍女の部屋ではない。それよりもはるかに広く、豪華絢爛な客間を与えられていた。
窮屈な礼服から楽なドレスに着替えたシアナは、窓辺で小さく息をつく。
(もう私は殿下の侍女ではなく、婚約者。本来ならこの宮を出て相応しい屋敷に移るべきなのに……どうしても踏ん切りがつかないわ)
理由は分かっていた。ラシードに強く引き留められたからだ。
『シアナ、お前は遠くから来た俺の愛しい恋人だ。俺には、お前という大切なリスに、安全で温かい場所を用意してやる義務がある。だから、ここで過ごしてくれ』
『ですが殿下、流石に外聞が……』
『何もおかしくはない。大切な客が来たら、自分の家の部屋を空けて泊めるだろう? それと同じだ』
至極真面目な顔で、理路整然と言い切られてしまった。
(でも、さすがに結婚もしていないのに、いつまでもここにいるわけにはいかないわよね……)
落ち着いたら、彼を説得して別の住まいを探そう。そう心に決めたものの、今の彼女にはそのことを深く考える余裕すらなかった。
「シアナ王女様、本日届いたお手紙です」
アシルロードから同行してきた侍女のガネットが、両手いっぱいに手紙を抱えて入ってきた。
同じく側近くに控える侍女のリナも、目を丸くしてうなずく。
「ここ一週間で届いた手紙は、優に百通を超えていますよ。毎日毎日、減る気配がありません」
驚くべき量だった。だが、侍女たちをさらに驚かせたのは、シアナがその何百通もの手紙すべてに、自らペンをとって丁寧に返事を書いていることだった。
「本当に一通一通、すべてお返しになるおつもりですか? こんなに無理をして、お体を壊されたらどうするのですか」
心配するガネットに、シアナはふっと柔らかく微笑んだ。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ、私、見た目よりずっと体力があるの。それにね、これはとても大事なことなのよ」
シアナは視線を落とし、手元の羊皮紙を見つめた。
ラシードは、彼女が不在の間に多くの貴族を味方につけた。それは大きな成果だったが、その関係はまだ不安定だった。貴族たちがラシードに従っているのは、彼の圧倒的な武力と、それに伴う「恐怖」ゆえだったからだ。
「恐怖だけでは、安定した基盤にはならない。殿下はいずれ皇帝になる方ですもの」
ラシードと貴族の間には、もっと深い信頼と、自発的な結びつきが必要だった。
だからこそシアナは、手紙を送ってきたすべての貴族に返事を書いた。地方の小貴族や、没落しかけた名ばかりの家門であっても、決して漏らさずに。
期待もせずに送った手紙に、皇太子の婚約者から直筆の返事が届く――それだけで、彼らの忠誠心は跳ね上がるはずだ。
「人望というものは、上から流れるものではなく、下から積み上げていくものですから。この手紙が、私への好意となり、巡り巡って殿下に対する印象を変えていくはず。それに、新アシルロードの地位も上がりますし……私にとっては一石三鳥なんです」
はにかむように微笑むシアナを見て、ガネットは思わず呆れたようにつぶやいた。
「……やっぱりうちの姫様は、あの血の気の多い皇太子殿下にはもったいなさすぎるわ」
ラシードが聞けば即座に不機嫌になりそうな言葉だが、ともあれ、シアナはすべての手紙に返事を書き終えた。
しかし、これで終わりではない。午後からはさらに本格的な社交が待っていた。
「ガネット、リナ。宴会場へ行く準備をしてちょうだい」
手紙だけでなく、直接会って親交を深める。そのためにシアナは、貴族たちが主催する夜会に毎日のように出席していた。
髪を整え、化粧を施し、無数のサファイアが散りばめられた美しい緑 of ドレスを身にまとう。蜜色の髪が絹糸のように揺れるその姿は、満開の五月のバラのように華やかで、気品に満ちていた。
あまりの美しさに侍女たちが息を呑んでいると、背後から深く低い声が響いた。
「本当に綺麗だ、シアナ」
いつの間にか、ラシードが部屋に入ってきていた。シアナは目を丸くする。
「殿下? 今日は騎士団の訓練で夜遅くなると仰っていませんでしたか?」
今日はラシード抜きで宴に出るつもりだったのだ。だが、ラシードは彼女のそばへ歩み寄り、その白く細い手を取って愛おしげに持ち上げた。
「貴族どもの巣窟に、お前を一人で行かせるわけにいかないだろう。それに……最近は互いに忙しくて、お前と過ごす時間が圧倒的に足りない」
貴族との面会や婚約式の準備で、シアナは多忙だった。大してラシードもまた、自ら積極的に政務に関わるようになり、かつてのように暇ではなくなっていた。同じ宮殿にいながら、まともに顔を合わせられるのは朝の茶会か、深夜のわずかな時間だけ。
ラシードは真顔でシアナを見つめ、大真面目につぶやいた。
「婚約式など飛ばして、いっそ今すぐ結婚式にしたほうがいいんじゃないか? そうすれば、夜くらいはお前をこの手で独り占めできる」
「で、殿下……っ!」
あまりにも直球な独占欲に、シアナは顔を真っ赤にして抗議した。だが、周囲の侍女や護衛騎士たちは「また始まった」とばかりに、慣れた様子で天井を見上げるだけだった。
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ハープの優雅な旋律が流れ、満開の桃色のチューリップが咲き誇る。
見事な夜会が催されているのは、クロイテン伯爵の邸宅だった。伯爵夫妻と娘のレイチェルは、今か今かと入口を気にしていたが、やがて待ち望んだ主客が姿を現した。
皇太子ラシード、そしてシアナ。
二人が現れた瞬間、会場の空気が目に見えて引き締まる。
「ようこそお越しくださいました、皇太子殿下。そしてシアナ様……」
呼び方に一瞬迷った様子の伯爵に、シアナはやわらかく微笑みかけた。
「“公女”とお呼びください、伯爵」
彼女は自身の立場を明確に使い分けていた。ラシードの恋人として社交界に出る場では「公女」。新アシルロードの代表として振る舞う場では「総理」。
呼称を整理され、ほっと表情を緩めた伯爵は言葉を続けた。
「シアナ公女様、今や社交界はあなたをお招きしたくて大騒ぎです。我が家をお選びいただき、心より光栄に存じます」
それは決してお世辞ではなかった。今や「シアナがどの夜会に出席するか」は、その貴族家の権威を示す最大のステータスになっていたのだ。
「こちらこそ、素晴らしいお庭に招いていただき光栄です。先日、レイチェル様から伺ったチューリップのお話が忘れられなくて。お噂以上の美しさですね」
シアナが伯爵令嬢に視線を向けてそう告げると、令嬢と夫妻の顔にぱっと喜びの色彩が差した。
挨拶が終わるや否や、待ち構えていた貴族のご婦人方が一斉にシアナの元へ押し寄せてきた。
「公女様、新アシルロードのお話をぜひお聞かせください!」
「歴史上、これほど穏やかに建国された国はないと評判ですわ」
「神秘の花は個人的に購入できないのですか?」
シアナは一人ひとりに、誠意を込めて丁寧に答えていく。
その話の内容は深く、言葉遣いは上品で、態度も優雅。貴族たちは彼女との会話にすっかり魅了され、隣に立つ「動く死神」こと皇太子の存在すら忘れかけていた。
一方、ラシードは細めた目で、じっとシアナを見つめていた。
(……あの女、シアナに近すぎるな。なぜあんなに親しげに笑いかけているんだ?)
凄まじい嫉妬の視線だが、周囲にいるのが全員女性だったため、ラシードは辛うじて理性を保っていた。
男性貴族たちは、シアナに一歩たりとも近づくことができなかった。少しでも近づこうとすれば、ラシードから放たれる、物理的な殺気を伴う眼光に射すくめられるからだ。いくら魅力的な女性でも、命を捨ててまで口説こうとする猛者は存在しなかった。
行き場を失った男たちは、そっとラシードの方へ近づき、必死に機嫌を取ろうと言葉をかけた。
「殿下がこうして夜会に頻繁に足を運ばれるなど、実に感慨深いです」
「正装のお姿、実に素晴らしい。会場の女性陣が皆、頬を赤らめておりますよ」
だが、ラシードは彼らには一瞥もくれない。グラスのワインを無言で煽るだけだ。
そのとき、父に連れられてきたばかりの、まだ十五歳ほどのあどけない少年貴族が、無邪気にラシードに問いかけた。
「殿下、恐れながらお尋ねします! 殿下とシアナ姫の恋物語は有名ですが、お二人は一体どのようにしてご縁を結ばれたのですか?」
その瞬間、周囲の貴族たちはぎょっとして凍りついた.
(なんて不敬な質問を……! 首をはねられても文句は言えんぞ!)
しかし――冷ややかだったラシードの目が、その言葉にきらりと輝いた。ラシードはくるりと少年を振り返り、身を乗り出した。
「……私と彼女の話が聞きたいのか?」
「はい!」
勢いよくうなずく少年に向かって、ラシードは口を開いた。
――アンド一時間後。質問した少年と、その場で巻き込まれた男たちは、全員が引きつった笑みを浮かべて白目を剥きかけていた。
「シアナが淹れてくれるお茶は本当に最高だ。どんな安い茶葉でも一級品になる。お茶を淹れる姿はまるで蝶のようでな、息をするのも忘れて見惚れてしまう」
「食事のときも、よく噛んで実においしそうに食べる。あの小さな口が動く様子がまた愛らしくて……」
ラシードの話は、ひたすらシアナを狂信的に褒め称えるだけのものだった。
(皇太子殿下は、完全に夢中……というか、正気ではないな……)
男たちは「もうおやめください」と言うこともできず、ただただノロケの嵐に耐え続けるしかなかった。
少し離れた場所でその様子を見ていた中年の貴婦人が、くすくすと上品に笑った。
「いつもは無口な皇太子殿下が、ああして楽しそうに(?)殿方と会話をされているなんて。あれもすべて、シアナ姫のおかげですね」
シアナは顔を赤らめ、「ええ、たぶん……」と恥ずかしそうに微笑んだ。
そのシアナを優しく見つめる貴婦人は、第四皇妃アンジェリナによく似ていた。それもそのはず、彼女はアンジェリナの実母、ビルヘルム侯爵夫人だった。
シアナが社交界に出た初日、夫人はいち早く彼女に手を差し伸べた。
『帝国の社交界は複雑で、狐のような者ばかり。聡明な姫君であっても、一人では苦労されるでしょう。よろしければ、私が道案内をいたしますわ』
それは、娘アンジェリナと孫レイシスを救ってくれたシアナへの、ビルヘルム侯爵家からの最大の感謝と報恩の証だった。おかげでシアナは、夫人の解説付きで社交界の人間関係を驚くべき速さで吸収していた。
「エスタ侯爵夫人は気弱なだけですから、こちらから声をかければ喜びますわ」
「アムラン伯爵夫人は計算高い狐。あの方を動かしたいなら、情ではなく確実な見返りを提示なさい」
長年社交界のトップクラスに君臨してきた夫人の知識は正確無誤だった。
ちなみに、かつて侍女時代のシアナに脅しをかけられた夫のビルヘルム侯爵は、彼女の正体が「他国の姫にして皇太子の婚約者」だと知って以来、恐怖のあまり自室に閉じこもって爪を噛んでいるらしい。
(あのどうしようもない人。この機会にたっぷり肝を冷やして、性根を叩き直されればいいわ)
夫人は胸中でそう毒づきながら、ワインを一口含んだ。
そんな夫人を見つめていたシアナが、ふと声を落として尋ねた。
「ところで侯爵夫人、一つお伺いしてもよろしいでしょうか。……最近、貴族の方々があまりにも気軽に私に近づいてこられるのです。まるで、皇后陛下のご機嫌をまったく気にしていないかのように」
皇帝の関心が薄れ、ラシードと対立する皇后の権力が弱まっていることは知っていた。だが、貴族たちの態度の変わりようは急激すぎた。中には、皇后の失脚を面白がるように悪く言う者までいる。
「皇后陛下は、多くの人々に敬われていたはずではなかったのですか?」
夫人はわずかに目を見開いた後、困ったように眉を下げた。
「姫様は普段はとてもお優しいのに、こういう時はずいぶん率率直におっしゃるのですね。……ええ、おっしゃる通りです。貴族の中で、心から皇后陛下を敬っていた者など、最初からほとんどおりませんわ」
「なぜ、なのでしょう? 贅沢に溺れることもなく、振る舞いも気品に満ちておいでなのに」
シアナはラシードを苦しめる皇后を好いてはいなかったが、一人の王妃・皇后としての表向きの非の打ち所のなさには疑問を持っていた。夫人は静かに首を横に振った。
「皇后陛下の実家――ボアロネ家は、貴族と呼ぶのも憚られるほどの、東の果ての没落した『男爵家』だったからです」
当時の皇帝が、そんな身分の低い令嬢を皇后に迎えると発表したとき、社交界はひっくり返るほどの猛反発が起きた。だが、皇帝は一切の反対を撥ね退け、見せつけるかのようにボアロネ男爵家に莫大な財宝を与え、借金を清算し、強引に結婚を押し通したのだ。
「貴族たちは皇帝陛下の寵愛を恐れ、表向きは皇后陛下を祝福し、丁寧に支えました。ですが、それは本心ではありません。特に、皇帝の寵愛や皇后の座を狙っていた貴婦人たちにとって、彼女は嫉嫉と憎悪の対象でしかなかった。だからこそ、陰では醜い噂が絶えなかったのです」
「噂、ですか……?」
夫人は一度周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、シアナの耳元で密やかに囁いた。
「――皇后陛下には、かつて結婚を約束した別の恋人がいた、という噂です。彼女は皇帝から授けられる黄金の冠に目がくらみ、その男を無情に捨てた。未練から宮殿に忍び込んできたその男を、過去の発覚を恐れた皇后陛下は、誰にも知られぬよう密かに『始末』してしまった……と」
その瞬間、シアナの背筋にゾクリと冷たいものが走った。
あまりの恐ろしい内容に目を見開いたシアナを見て、夫人は慌てて苦笑した。
「ああ、怖がらせてしまいましたね。先ほども申し上げた通り、これは貴族たちの悪意が生んだデマですわ。当時の皇帝陛下は、彼女が他の男と話すだけで露骨に嫉妬されるほど夢中でしたもの。もし本当に男がいたのなら、皇帝陛下が真っ先に気づいてその手で処理していたはずです」
結婚して二十年、つい最近まで二人の仲は完璧に見えた。だからこそ、貴族たちは本音を隠すしかなかったのだ。
「けれど最近になって、皇后陛下の権威が失墜した。その隙を突いて、貴族たちが長年押し殺してきた本音(悪意)を表に出し始めているのです。実に嘆かわしいことですけれど」
夫人の話を聞き、シアナは深く考え込んだ。
(私は、殿下に皇后陛下と対抗できる力を持ってほしい。けれど……お二人が破滅的な結末を迎えることは望んでいないわ)
ラシードは表に出さないが、かつては母の愛を強く求めていたはずだ。誰が何と言おうと、皇后はラシードの実の母親なのだから。
(いつか、誤解が解けてうまくやっていける道があればいいのだけれど……)
華やかな夜会の片隅で、シアナの胸には、一筋の消えない懸念が残り続けていた。
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皇后の失脚と皇帝にかけられた「魔法」の秘密
皇后は感情を失わせる「精神の魔法」を皇帝にかけて傀儡にしていましたが、息子のラシードがシアナのために反抗したことで計画が狂い、より強力な魔法使いを宮廷に呼び寄せて支配を強めようと画策しています。
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シアナの「一石三鳥」の堅実な社交とラシードの溺愛
皇太子妃としての地位を固めるため、シアナは身分の上下を問わず貴族からの手紙にすべて直筆で返書きを送り、地道な人望集めに奔走します。夜会に同行したラシードは、男たちを凄まじい殺気で遠ざけながら、周囲にシアナのノロケ話を延々と語り倒して周囲を呆れさせます。
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明かされた皇后の出自と、シアナが抱く新たな懸念
ビルヘルム侯爵夫人から、皇后が元は「没落男爵家の出身」であり、貴族たちから陰で軽蔑され「昔の恋人を始末した」という醜い噂を流されていた過去を知ったシアナ。ラシードのためにも母子の完全な破滅は望まないシアナの胸に、複雑な懸念が残ります。