影の皇妃【１３６話】ネタバレ

シークレットサロンに向かう馬車の中。

エレナの表情は強張っていた。

ベロニカが帰ってくる時期が不明なため、大公家の生活が薄氷の上を歩くようにハラハラしているからだ。

「時期だけでも分かれば対応できるのに・・・」

「ベロニカのことが気になりますか？」

エレナはその事情をすでにメイに伝えていた。

「そうね。やることはいっぱいあるけど、彼女がいつ帰ってくるか分からないから」

「調べる方法はないでしょうか？」

「それを今考えているわ」

最悪の場合、明日すぐにベロニカが復帰することもあり得るという仮定も排除できない。

エレナはアンを最大限利用してきた。

アンは大公家の内部事情に詳しく、かなり趣を掴んでくる。

しかし、結局アンはリアブリックが植え付けた「間者」だ。

「どうしても時間を稼がないと」

「何か妙案でもあるのですか？」

「あるわ。ベロニカが健在でも私を代役として使わざるを得ない奇抜な方法が」

エレナは大公家の不意をつくほどの才気に満ちた考えを思いつく。

この方法なら、ベロニカの復帰を確実に遅らせることができるだろう。

「私一人なら無理だけど、彼の力を借りれば出来ると思う」

「彼ですか？」

エレナは微笑んでシアンを思い浮かべる。

彼が乗り出せば、ベロニカの復帰を十分遅らせることができるはず。

（殿下が同意するという前提だけど）

計画を立てたのはエレナだが、実行に移せるかどうかはシアンにかかっている。

何度もエレナに良い感情を表したシアンだったため、可能性は未知数だ。

（それでも話を持ち掛けないと）

そう考えている間に、馬車がシークレットサロンに到着する。

秘密通路を通じて応接室に入ると、ソファに座って本を読んでいたカリフが嬉しそうに挨拶した。

「お帰り」

「エミリオさんは見えないんですね」

「学校設立に関する仕事で席を外しているよ」

学校設立関連の敷地と建物の買い入れは、財務を担当しているエミリオの仕事。

サロンの面倒まで見ていたら、体が二つでも足りないだろう。

「そうなんですね。それより先輩、今手紙を書きますから、ビレム伯爵に送ってくれますか？」

「分かった」

エレナは、今日か二日後に急いで会いたいという旨を書く。

そうしている間に、疑いを避けるために時間を置いてサロンに入ったメイとヒュレルバードが応接間に到着した。

「先輩、メイも来たし、私は変装します。遅れないように食事の支度をお願いします」

「本当に大丈夫？危険な相手じゃないか」

カリフは心配を打ち消すことができなかった。

学術院在学時代にレンが犯した行為を知っているため、大事を控えて接触することが憂慮されたのだ。

「危険ですけど、物事を弁えない人間ではありませんから、大丈夫ですよ」

「君がそう言うなら・・・。じゃあ久しぶりにルシアに変装するんだね。思い出すよ、短髪でメガネが似合う女の子を・・・」

カリフは朦朧とした目で学術院生活をしていた自分を変えたルシアのことを思い出す。

「新入生のくせに大胆で頭が良い子だったのに、今は・・・。ふぅ」

エレナを露骨に見たカリフは、ため息をついて首を横に振る。

「私の知っている後輩はもういないよ」

「あの女の子が私ですよ。どうして他人のように話すのですか？」

カリフは指を左右に振った。

「私の思い出を壊さないで」

「何を言っているのですか。それに、先輩は私の素顔の方が好きですよね？」

「私が？いつ？それは凄く大きな勘違いだ」

カリフの強い否定に、エレナは腕を組んで鼻先でせせら笑う。

「私はまだ鮮明に覚えていますよ。私を見て恥ずかくて、目も合わせられなかったじゃないですか？」

「ちょっと、私がいつそんなことを？」

「違うのですか？私に言ったじゃないですか。私のように美しい女性は初めて見たと。息も出来ないほど美しい女性だって」

「や、やめてくれ。私が悪かった」

勝利の気分のまま、エレナがメイを連れて応接室の隣にある部屋に向かおうとした時。

「変装してから、少しだけ向かい側の部屋に寄ってほしい」

「誰が来たのですか？」

「君に会いたがっている人」

「・・・」

これまで積もっていた感情が大きかったせいか、追求にもかかわらずカリフは最後まで答えず、エレナは諦めて応接室を出た。

メイの助けでルシアに変装した後、カリフが教えてくれた向かい側の待合室に立ち寄る。

斜めに開いた扉の隙間から、アヒルの仮面をつけた男が姿を現す。

上品な雰囲気に整ったオレンジ色の髪、そして仮面越しの光を受けて反射する片眼鏡まで、エレナの記憶の中の男性とそっくりだった。

「ラファエル先輩？」