影の皇妃【２０７話】ネタバレ

慣れた寝床ではないからか、特に大きく聞こえる雨の音にエレナは目を覚ました。

シークレットサロン本館に位置するここは、Lとして暮らすエレナがこれからの生活拠点だ。

まだ不慣れでぎこちない部分もあるが、心だけは楽だった。

「緊張がほぐれたみたいね、一日中寝ているのを見ると」

寝坊するだけでは足りず、時々昼寝までする自分の姿がぎこちない。

回帰した後も皇妃時代の習慣を手放せなかったエレナだ。

寝坊どころか、早起きして身支度をするのは息をするのと同じくらい当然だった。

ところが、サロンに来てからはそんな習慣がすっかり消えている。

一日中寝てばかりいるエレナをカリフが心配するほどだ。

「そろそろ起きなきゃ」

エレナは布団を片付けて立ち上がった。

ガサガサ音と人の気配を感じたのか、誰かがドアをノックする。

「お嬢様、メイです」

「入ってちょうだい」

メイはメイドではなく、ドレスを着ていた。

令嬢たちが着るものに比べるとシンプルだったが、女中の頃は夢にも思わなかった衣装だろう。

「また外で待ってたの？」

「はい」

「私がいつ起きるのか分からないのだから。そんなことしないで」

エレナは軽くため息をつく。

メイがメイドの仕事をしなくなることを願っていたからだ。

これまで苦労したメイに、より良い生活をプレゼントしたかった。

「私がしたくてすることなので。これからもずっとお嬢様をお迎えしたいのです」

「頑固ね」

エレナは呆れたかのように首を横に振る。

今はその頑固さを折ることはできないが、いつかは。

エレナはメイの能力を高く評価しているので、いつかシークレットサロンの運営に欠かせない役割を任せる計画だ。

「新しい知らせはない？」

「・・・ベロニカ公女が帰ってきたそうです」

「そう」

エレナは淡々としていた。

戻ってくると予想はしていたから。

皇太子妃選出式の最終競合不参加と長期不在まで重なったため、戻らない理由はないのだろう。

（早く会いたいわ）

敵と変わらないベロニカを思い浮かべながらも、エレナは余裕を失わなかった。

地下監獄で悲惨に死んでいった時と比べると、多くのことが変わっているのだから。

シークレットサロンの女主人L。

文化芸術を先導する新女性。

首都の財界を牛耳る人物。

エレナが持つ名声に起因した社交界の影響力と人脈、そして文化的波及力は単なる大公家という背景を置くベロニカを足元に見下ろしていた。

「アンは？」

「今頃、公国に着いたはずです」

エレナは、侍女のアンを帝国から追放した。

大公家の騎士たちが死んだ事故と関連して疑われるという点から、ブルブル震えながら助けてほしいと懇願したのだ。

エミリオは、「生きたいなら帝国を離れるしかない」と言い聞かせて船に乗せた。

目的地はマリアナ群島。

口伝童話では地上の楽園と言及されているが、実状は海賊が沸き立って波が強くて漁業さえ容易でない捨てられた土地に送ってしまった。

「エミリオさんに会いに行きましょう」

「はい、お嬢様」

エレナは洗顔後、クリスティーナがデザインした日常ドレスを着る。

軽く飾ったエレナは寝室を出た。

原則的にサロン内部では仮面を被らなければならないが、本館最上階は例外だ。

サロンの実務を担当したエミリオやカリフのような数人を除いては、出入りが徹底的に統制されていたためである。

エレナはノックをして執務室に入った。

「私です」

「いらっしゃいましたか。こちらにお座りください」

書類を検討していたエミリオは彼女を歓迎する。

「お体は大丈夫ですか？」

「だいぶ良くなりました。相変わらず眠くなること以外は」

「良かったです。北方地域では睡眠こそ最高の休息だと考えています。眠くなったら必ず寝てください」

エレナは微かに微笑んで頷く。

その間に、メイが紅茶を用意してくれた。

「私がお願いしたことは、お調べになりましたか？」

「はい、恩人の仰るとおり、帝国北部の都市ナーディフにそのような名前と性を持つ貴族夫妻が住んでいました」

ティーカップを握ったエレナの手が微かに震える。

普通のことでは平常心が壊れない彼女が感情的に大きく動揺した。

「いかがお過ごしでしたか？」

「生活を聞くのなら、事業が繁盛したおかげで裕福な生活を送っていました。周りの人たちの話では仲睦まじく、その言葉は間違っていないと思います」

「・・・」

「恩人、もし失礼でなければ誰か聞いてもいいでしょうか？」

なかなか涙を見せたことのないエレナの目元が濡れている。

「私の両親です」

エレナはこれまで胸の中に埋めておいた二人を思い出す。

無事に脱出できたのか、生きているのか、元気なのか、健康は大丈夫なのか・・・。

胸の中についた言葉が結ばれていく。

サロンを開いて小さいながらも影響力を持った時、すぐにでも二人を見つけたいという熱望に巻き込まれた。

しかし彼女はじっと我慢した。

ややもすると、自分の復讐に両親まで巻き込まれてしまうのではないかと心配したからだ。

もう少し、もう少し、そう先延ばしにして結局ここまで来てしまった。