こんにちは、ピッコです。
「ニセモノ皇女の居場所はない」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
139話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 地獄絵図
「いやあああっ!」
「神官様、助けてください!」
「どうして大神殿にモンスターがいるんだ!」
まさに阿鼻叫喚。
外に広がる惨状を目にしたフィロメルは、言葉を失うほかなかった。
「ギィエエエッ!」
剣のように鋭い爪を備えたモンスターたちが、人々を無慈悲に切り裂いていく。
「一、二、三、四……」
フィロメルはモンスターの数を数えかけて、すぐにやめた。
大雑把に見積もっても、一桁では済まない。
この場で目に入る数だけでもこれほどなら、大神殿全体には何百ものモンスターが出現しているはずだ。
――しかも、先ほどの神官の話が本当なら、数は今も増え続けている……!
遠くから、切羽詰まった悲鳴が聞こえてくる。
「神官様!」
「こちらへ!早く!」
神官たちは神聖力でモンスターに応戦していたが、明らかに手が足りなかった。
モンスターだけでなく、一般の民衆の数もあまりに多い。
今日は勇者選抜式の日だ。
大神殿は見物に訪れた人々で、すでに身動きが取れないほど混雑していた。
地獄絵図だった。
彼らの身体から噴き出す血の臭いが、フィロメルの鼻腔を強く刺す。
「……っ!」
胸の奥からこみ上げてくる吐き気を、フィロメルは必死に押し殺した。
人が――それも、これほど多くの人が死んでいく。
あまりにも現実味のない光景に、思考が追いつかない。
剣の柄を強く握り締めた彼女の手は、容赦なく震えていた。
フィロメルは無意識のうちに、懐にしまった通信石を探る。
『ルグィーン……!』
しかし、応答はない。
通信は完全に途絶えていた。――ちょうど、救世の塔が爆発した、その瞬間から。
だが、それはフィロメルの通信石に限った話ではなかった。
先ほどから通信石を握り締めていた者たちも、次々と同じ異変に気づき始めていた。
一人の神官が報告した。
「大司祭様!外部と連絡が取れません!何者かが通信を遮断しているようです!」
「内部との連絡はどうだ?」
「つながったり、つながらなかったりで不安定です。つながっても雑音がひどく……」
「可能な限り急いで連絡を回せ。大神殿の外へ、人々を避難させる必要がある!」
「そ、それが……」
若い神官が、ほとんど泣き出しそうな声で答えた。
「正門付近にいた者たちとは、たった今連絡が取れたのですが……あそこには、特に多くのモンスターが集まっています」
「……他の門は?」
「すべての地点を確認できたわけではありませんが……状況は、どこも似たようなものです」
大神官は言葉を切り、沈黙した。
突如として現れたモンスターの群れ。
外部との完全な遮断。
そして、守らねばならない――あまりにも多すぎる人々。
状況は、最悪と言っていい。
わずかな時間が過ぎただけなのに、息が詰まるほどに長く感じられた。
彼らを狙うモンスターの咆哮が、やけに大きく耳に届く。
「グルルル……」
現在この周囲では、数名の神官が神聖力を展開し、必死にモンスターの侵入を食い止めていたが――その結界も、いつまで保つかは分からなかった。
叫び声までは、もはや遮ることができなかった。
やがて、大司祭の決断が下される。
「人々を聖遺物保管庫へ集めなさい。ここで耐えられる限り、持ちこたえてもらう」
彼は言葉を続けた。
「外部との連絡は途絶えているが、この状況を見れば、いずれ救援は来るはずだ」
そのとき、誰かが手を挙げた。
「のろしを上げてはどうでしょう?最近はほとんど使われませんが、資材はのろし台に常備されています」
他の者たちも、次々と意見を口にし始める。
「前線部隊を出すのはどうでしょう?」
「ですが、空には飛行型のモンスターも確認されています。……避難用の飛竜が、無事に到着できるかどうかは――」
「やってみなければ、分からないでしょう」
その一言に、先ほどまで右往左往していた者たちは、大神官の指示のもと、次第に冷静さを取り戻していった。
「……あの、大神官様」
そのとき、一人の神官が控えめに声を上げた。
「人々を一か所に集める判断は……本当に最善なのでしょうか?」
周囲の視線が集まると、彼女は一歩前に出て、自らの考えを口にする。
「これほどの人数を一度に集めるだけでも大変ですし、人が密集すれば、それだけモンスターも引き寄せてしまいます」
「――それで?」
大神官は静かに問い返した。
「救世の塔が崩壊した今、我々にはあれらを一掃できるほどの火力はありません」
その言葉に、神官たちは救世の塔があった方角を振り返り、低くうめくように嘆息した。
「それならいっそ、各個撃破を狙うべきではないでしょうか」
「……残念だが、今はそれができる状況ではないな」
黙って神官たちの意見を聞いていた大司祭が、「茎」を指さした。
「あの下にある地面を見なさい」
フィロメルをはじめとする人々は、すぐに異変に気づいた。
地面が黒ずみ始めていた。
ただ一人――大神官を除いた全員が、モンスターにばかり気を取られていた。
そして今になってようやく、足元で起きている異変に気づいたのだ。
彼らを戦慄させたのは、それだけではなかった。
「……花や、草が……!」
視線の先では、黒ずんだ大地の上に生えていた草花が、次々と枯れ果てていく。
まるで、命そのものを奪われたかのように――。
「待ってください!あの黒い変色、広がっていませんか?」
一人の神官が上げた声は、的確だった。
よく見れば、黒く染まった地面は、周囲へとじわじわ侵食するように拡大している。
大神官が、低い声でその正体を告げた。
「……悪神の力によって、大地が汚染されている。生命を育む力を奪い、荒れ果てた大地に変えてしまうものだ」
人々は息をのんで唾を飲み込んだ。
「邪神だなんて……数日前に聞いた話は、本当だったんだな」
本来、イエリスの存在は神官の中でも一部にしか許されていない真実だった。
大多数の神官たちは、大司祭が神託を受けた後になって、ようやくその存在を知ったのだろう。
「その地を踏めば、人間も植物のように命を落とす。今は平気そうに見えても、確実に生命力を奪われていく」
「では、大司祭様が人々を一か所に集めた理由は……」
「我らの力で浄化できる範囲には、限界があるからだ」
つまり――神官たちは、大地を浄化しながら、同時にモンスターとも対峙しなければならないということだった。
今なお尽きることなく、大地の裂け目から這い出してくる、あの異形どもを相手に。
「そ、そんなこと……」
かろうじて抑えていた絶望が、再び胸の内に滲み広がる。
誰一人口に出さずとも、皆が同じ暗い予感を抱いていた。
――どうして悪神は、あれほど巨大な現象を引き起こせるのか。
――何の力をもって、これほどの数のモンスターを呼び寄せ、大地を侵しているのか。
答えは、あまりにも単純だった。
――《救世の塔》に集められていた、膨大な神聖力。それを、悪神が吸い上げていたのだ。
その瞬間、フィロメルの脳裏に、先ほど大神官が口にした言葉が、はっきりと蘇った。
ミオとイエリスは、まるで硬貨の表と裏の関係だ。
「となれば、神聖力を吸収することも可能かもしれない」
神聖力は本来、ミオ神から始まった力なのだから。
さらに言えば、邪神が神聖力を奪うには、今は絶好の時期だった。
勇者選定式の影響で大神殿には人が集まり、塔の警備は相対的に手薄にならざるを得ない状況だった。
「くそっ……!」
誰かが、怒りを込めた罵声を吐き捨てた。
常識的に考えても、これは勝ち目のない戦いだった。
千年以上の歳月をかけて蓄えられた膨大な力に、どう抗えというのか。
「今、何をしている!」
大神官が、ついに怒声を張り上げた。
その場にいた全員が、びくりと身を強張らせる。
これまで穏やかで、慈愛に満ちた表情しか見せてこなかった彼の叱声だったからだ。
「この人々を見ろ!彼らこそ、我々が守るべき存在だ!」
視線の先では、一般の民たちがこちらを見つめていた。
街のあちこちから逃げ延び、今はこの場所に身を寄せている者たち。
地獄のような光景の中で――それでもなお、救いを求める切実な眼差し。
そして、その中には、確かにフィロメルへ向けられた視線もあった。
「勇者さま……」
七つか八つほどに見える少年が、幼い妹の手をぎゅっと握りしめたまま、彼女を見上げていた。
その瞬間、フィロメルはようやく理解した。
――勇者という立場が持つ、本当の意味を。
「重い……」
決して軽い覚悟で勇者になろうとしたわけではなかったが、現実として突きつけられた危機は、想像をはるかに超えていた。
あまりにも過酷で、胸が痛む。
重圧に押し潰されそうになっているのは彼女だけではないのだろう。
神官たちの顔色も、さらに一段暗く沈んでいた。
大神官は一度大きく息を吸い込み、そして張りのある声で言い放った。
「連中が、我らの聖域で勝手に食い散らかしたツケは、必ず払わせる!」
ときには、華麗な修辞を並べた演説よりも、こうした率直で原始的な言葉のほうが、人の心を強く打つことがある。
『世界を救え』と言われると、あまりにも途方もなく感じる。
だが『目の前の人を助けろ』と言われれば、やるべきことははっきりする。
その違いがあったからだろうか。
神官たちは徐々に冷静さを取り戻し、それぞれが自分の役割を見つけ始めた。
誰かは各地へ連絡を飛ばし、誰かは救助に向かうための部隊を編成する。
フィロメルもまた、同行している仲間たちへ通信を試みた。
――ジジジッ。
だが、返ってくるのは途切れ途切れのノイズだけで、声はつながらない。
「……まあ、あの人たちなら無事でしょう」
むしろ今ごろは、各地でモンスターを討伐して回っているはずだ。
そう考えると、あの時、焦って悪神の本拠へ突っ込まず、待つ選択をしたのは正解だったのかもしれない。
そのとき。
「……ゆ、勇者さま……」
か細く、今にも消えそうな声が、フィロメルの耳に届いた。
「私……勇者さま……!」
震える声で、必死に彼女を呼ぶその声に、フィロメルは振り向いた。
さきほど見かけた、あの子だ。
「どうしたの?」
「勇者様も、神官様たちみたいに、ほかの人たちを助けに行くんですか?」
「そのつもりだよ」
一人でも多く救わなければならないこの状況で、勇者である自分が棒術を振るうことに迷いを抱いている場合ではなかった。
探せば、フィロメルよりも棒術をうまく使える者がいるかもしれない。
だが――
星灯り商店で売っている品は、プレイヤーの資格を得た人しか使えないから……
少年は少しもじもじしながら、言葉を続けた。
「もしよければ……僕も一緒に連れて行ってもらえませんか?」
「君たち……どうしてここに?」
「妹が……さっきからずっと泣いてて……」
少し離れた場所から、さらに幼い子がこちらへ駆け寄ってきた。
目は真っ赤に腫れ、必死に涙をこらえている。
「いつもなら、お菓子をあげるとすぐ泣き止むんです。でも……お菓子を入れてた鞄、落としちゃって……」
「……ごめんね。ここは危ない。他の場所は、もっと危険なんだ」
「……やっぱり、そうですよね」
小さく、諦めを含んだ声。
「でも――」
フィロメルはそう言って、背負っていた鞄に手を伸ばした。
中から取り出したのは、手作りのクッキーだった。
「これじゃ、だめかな?」
そう言って差し出すと、少女は一瞬だけ目を丸くし、すぐにうなずいて、妹のもとへ駆け寄った。
「ほら……」
小さな手でクッキーを割り、妹の口元へそっと差し出す。
泣き声が、少しずつ小さくなっていった。
やがてフィロメルは、少年と一緒に残っていたクッキーを食べた。
短いながらも、いくつか言葉を交わす。
「ご両親は、どちらにいらっしゃるの?」
「家です!」
「大神殿には、二人だけで来たの?」
「妹が選定式を見たいって言って……それで、親に内緒で来ちゃいました」
「ずいぶん自立してるんだね」
フィロメルは、思わず苦笑混じりに息を吐いた。
ここが大神殿の中でなければ、無事でいられる保証はなかっただろう。
クッキーをすべて食べ終えると、フィロメルは手を払って立ち上がり、口にした。
「じゃあ、私はもう行くよ」
「勇者さま、あの……!」
「どうしたの?」
「がんばってください! 私、勇者さまならきっとできるって、最初から思ってました!」
勇気を振り絞って放たれたその一言に、フィロメルは思わず微笑んだ。
「ありがとう。……うん、がんばるよ」
胸の奥で、絡まっていた糸がほどけていくような感覚があった。
――さっきまで、あれほど心が重かったのに。
こんな小さな子ですら、命がけで誰かを守ろうとしている。
それなら、自分が立ち止まる理由なんてない。
周囲を見渡すと、そこには様々な人々の姿があった。
真剣な表情で作戦を話し合う者。
必死に負傷者を手当てする者。
恐怖を押し殺しながらも、誰かの手を強く握りしめている者。
皆が、それぞれの場所で戦っている。
フィロメルは静かに息を整え、剣の柄を握り直した。
治療にあたる者、モンスターと戦う者、食べ物を分け与える者、子どもたちを守る者。
そのすべてが、命を懸けて動いている。
フィロメルだけが特別なわけではなかった。
「勇者だから邪神を倒す、なんて考えるのはやめよう。私は、私にできることをやればいい」
そう心に決めて、フィロメルは大神官のもとへ歩み寄った。
「大神官様」
「ん?」
床に座り、精神を集中させていた大神官が顔を上げる。
「すべての問題は、邪神を倒さなければ解決しない――そういうこと、ですよね?」
「……その可能性は、決して低くはないな」
結局のところ、ここで防衛を続け、援軍の到着を待つだけでは根本的な解決にはならない。
時間を稼ぐことはできても、災厄そのものは止まらないのだ。
「悪神は、あの異様な物体の中にいるんですか?」
「おそらくな。あそこから湧き出てくるモンスターは、すべて奴の権能の産物だろう」
フィロメルは静かに目を閉じ、胸の奥で呼吸を整えた。
恐怖はある。だが、それ以上に――逃げ場のない現実があった。
そして、ゆっくりと目を開く。
「私が、あそこへ行きます。……いいえ、行かなければなりません」
その言葉に、周囲の空気が一瞬、凍りついた。
返答は、ほんの一拍遅れて返ってきた。
「最も危険な場所だ。死を覚悟して踏み込むことになるぞ」
代司官の鋭い視線が、真正面から突き刺さる。
逃げも、誤魔化しも許さない問いだった。
フィロメルは、その視線を受け止め、微動だにせず答えた。
「覚悟なら、とっくにできています」
剣を握る手に、迷いはなかった。
その背中には、恐怖よりも強い意志が宿っている。
「私が勇者であるなら――誰かが行かなければならない場所には、私が立つべきです」
沈黙が落ちた。
やがて、大神官は小さく息を吐き、わずかに口角を上げた。
「……なるほどな」
それは諦観ではなく、覚悟を認める者の表情だった。
「行け。だが、戻ってこい。この地は、まだお前を必要としている」
フィロメルは深く一礼し、振り返らずに歩き出した。
黒く侵食された大地の向こう――すべての元凶が待つ場所へ。
間を置いて、短くうなずいた。
だが、どこか含みを持たせるように言葉を続ける。
「大神殿の中に、比較的安全な場所はありますか?それに、死を覚悟しているのは私だけではありません」
「……一本取られたな」
大神官は、くすりと笑った。
「君を試したわけじゃない。ただ、一度聞いてみたかっただけだ」
そう言うと、近くにいた神官を数名呼び寄せた。
「大神殿の主席司祭たちだ」
三人の神官が、フィロメルに向かって丁寧に一礼する。
「彼らが、救世の塔の周辺を調査し、そこにいる人たちを、助けると決めたんだ」
「それなら、私も……」
「いいとも。一緒に行こう。力は分け合ったほうがいい。決して小さくはない力になる」
「はい!」
こうしてフィロメルは、神官たちと共に“穢れ”の中心へ向かうことになった。