メイドになったお姫様

メイドになったお姫様【124話】ネタバレ




 

こんにちは、ピッコです。

「メイドになったお姫様」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【メイドになったお姫様】まとめ こんにちは、ピッコです。 「メイドになったお姫様」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介となって...

 




 

124話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • アリスからの手紙

「……それでも、やっぱり一緒に行ったほうがいいんじゃないか?」

「身分を隠せばいいだろう?顔が目立つっていうなら仮面をつけるし……それでも怪しい?じゃあ女装でもしようか。うん?どうだ?」

などと、あれこれと言い募りながら、どうしてもシアナと一緒に行くことを諦めきれないラシードだった。

「知ってはいたけど、直接伝えるのはさすがに気まずいわね」

疲れた顔で部屋に戻ってきたシアナは、目を大きく見開いた。

皇太子宮の総括侍女エバが、部屋の前に立っていたからだ。

「どうされましたか?」

「シアナ様にお伝えするものがあって参りました。ちょうどお戻りでよかったです」

エバは手に持っていた小さな封筒を差し出した。

「アリス王女殿下からのお手紙でございます」

「……!」

その瞬間、シアナの心臓がドクンと大きく鳴った。

皇后の試練が始まる前、シアナはアリスに手紙を送っていた。

ラシードと正式に交際することになり、これから彼の隣に立つために婚約するつもりだと。

……そして私は、実はアシルンドの王女という内容だ。

どれ一つとして衝撃的でない内容はなかった。

だからこそシアナは、手紙を送ったあとずっと胸の奥が重かった。

アリスが自分に裏切られたと感じるのではないか、騙していたシアナを責めるのではないかと。

(十分あり得るわ。王女様は、誰よりも私を信じて大切にしてくださっていたんだから)

それでもシアナは、アリスが何を言ってきても受け止め、彼女の気持ちを解こうと決めていた。

それでもやはり緊張は抑えられず、シアナはごくりと唾を飲み込み、慎重に封筒を開けた。

手紙の一番上にいつも書かれている、あの甘い挨拶はなかった。

代わりに――

<うわあああああああああああああああああ!!!!!!!!>

激しい勢いで手紙は書き出されていた。

シアナは、まるで耳元でアリスの大きな悲鳴が響いているかのような気分になりながら読み進めた。

<お兄様と付き合ってるですって?しかも婚約まで考えてるって?シアナ、あなた本気でどうかしてるの?それとも魔女にでも操られてるの?あなた、どこが足りなくてあんなお兄様みたいなのを選ぶの!?お兄様なんて、できることといえば子どもにお菓子をあげることと、戦場で剣を振るうことくらいしかない、ただのバカなんだから!>

(王女様、私おかしくなってませんし、操られてもいませんよ。それに、いくらなんでもお兄様に対する評価が辛辣すぎます……)

冷静に考えれば的確な指摘ではあるのだが――と、シアナは心の中でぼやいた。

「……それでも、心配していたのとは違って、あまり悲しんでいる感じはありませんね」

悲しみはまったく感じられなかったが、その代わりにラシードに対する強烈な怒りが伝わってきた。

そのおかげで、シアナの緊張は少し和らいだ。

<いったいどうしてお兄様なのよ!まさか、あの程度でも見た目がいいから?あなた、たまにお兄様のことをぼーっと見つめてたことあったでしょ。もしそういう理由なら、あと7年待ちなさい。その頃には、私がこの帝国で一番の美人になってるんだから!それに対してラシードお兄様は、しおれた花みたいにくたびれたおじさんになってるに決まってるわ!>

シアナは、7年後のアリスの姿を思い浮かべてみた。

バラよりも鮮やかな赤い髪をなびかせ、猫のように気高い紫の瞳を輝かせる、17歳の少女――。

まるで咲き誇る花のように、アリスはみずみずしく美しく輝くだろう。

誰もが思わず見とれてしまうほどに。

(でも、公女様の言う通りにはならないはず)

7年後でもラシードはまだ25歳。

年を取るにはまだ若すぎる。

むしろ今より落ち着きが増して、余裕のある大人の魅力がにじみ出て、もっと格好よくなるに違いない。

17歳のアリスと25歳のラシードが並んでいる姿を想像したシアナは、思わず声を上げた。

「きゃっ!」

想像しただけで顔が熱くなる。

シアナは手でぱたぱたとあおぎながら呟いた。

「落ち着いて、落ち着いて……」

そして大きく息を吐いてから、再び手紙を読み始めた。

〈それとも、あなた――黄金の王冠が欲しいの?もしそうなら、なおさら兄上を選ぶ理由はないわ。私が兄上を押しのけて、その座を奪うから。私が皇帝になったら、その黄金の王冠をあなたにかぶせてあげる。だから、私を選びなさい、シアナ〉

本気なのか冗談なのか分からない言葉に、シアナはどう反応していいか分からない表情を浮かべた。

困惑したまま視線を落とす。

(――って言いたいところだけど……今のところは、兄上のほうが皇帝になる可能性が高いわよね)

手紙は次のページへと続いていた。

さっきまで乱れていた筆跡が、少し落ち着いていた。

〈昨日、メディチアン侯爵家の後継者候補たちに会ってきたの。おばあ様と曖昧な会話を交わしながら、はぐらかしてばかりの彼らに、私は率直に聞いたわ。“あなたをメディチアン侯爵にしてあげる代わりに、私に何を差し出せるの?”最初、彼らは祖母に溺愛されている幼い王女が生意気なことを言っているとでも思ったのか、取り繕った笑みを浮かべたり、嘲笑したりしていた。でも、私と視線を合わせる時間が長くなるにつれて、だんだん表情が変わっていった。まるで祖母を見ているかのように。私は、その中で一番多くのものを差し出せる者を選び、メディチアン侯爵家の当主に据えるつもりよ。そして共に東部を掌握して、力を蓄える。皇帝も、皇太子も――誰一人として、私を軽んじることができないように〉

まだ幼さが残る丸い字なのに、そこには大人でも持ち得ないほどの強い意志が感じられた。

手紙は続いていた。

〈だから待っていて、シアナ。あなたが皇太子の恋人でも婚約者でも……たとえ皇后になったとしても構わない。私は、あなたを必ず取り戻す。あなたの心を盗む(予定の)アリスより〉

シアナは困ったような顔で手紙を撫でた。

結局この手紙には、シアナが王女であるという事実については一言も触れられていなかった。

まるで、そんなことは少しも重要ではないと言わんばかりに。

ただ、シアナに向けられたアリスの切実で、少し強引なほどの愛情が詰まっているだけだった。

シアナは小さくつぶやいた。

「いつの間にか本当に恋愛小説のヒロインみたいになってるね、私たちの姫様」

いつもは可愛らしいことしか言わないアリスの言葉に、初めて胸がどきりとした。

もちろんラシードには絶対に秘密だけど。

 



 

翌日、シアナはすぐにアシルンドへ向かう準備を始めた。

ラシードが言った。

「準備くらいは手伝わせてくれ」

ラシードは直接手を貸すことは断ったものの、この程度なら頼ってもいいだろうと、シアナはうなずいた。

だが――

「これは何?」

目を丸くしたシアナの前にあったのは、巨大な馬車だった。

しかも、真っ白な装飾にきらびやかな黄金をあしらった、これ以上ないほど豪華な一台。

ラシードが目を細めて穏やかに言った。

「帝国で最も美しいと称される馬車だ。帝国最高の芸術家であり職人でもあるレオ・サルセが作った」

「……」

「見た目だけじゃない。ふかふかの毛皮を敷き詰め、その上を柔らかな革で覆った座席に、どんな悪路でも滑らかに進む車輪のおかげで、長時間乗っても体が痛くならない」

誇らしげに語るラシードを見て、シアナは手を打ち合わせながら言った。

「わあ、すごいですね!これに乗って外に出たら、隠れていた盗賊たちが“おっ、いい獲物が来たぞ!”って大喜びで飛び出してきそう!」

ラシードは、シアナの言葉の意味をすぐに理解した。

目立ちすぎて長旅には向かない、ということだ。

だが、ラシードは愚かではなかった。

ちゃんと対策を考えていた。

彼は親指と人差し指を合わせて「パチン」と鳴らした。

その瞬間、シアナの目がさらに大きく見開かれる。

ドドドドッと響く重い足音とともに、黒い甲冑に身を包んだ騎士団が現れたからだ。

騎士団を見ながらラシードが言った。

「私が最も信頼している騎士団だ。彼らが護衛に付けば、どんな盗賊でもお前に指一本触れられない。だから安心しろ、シアナ」

「……」

ラシードの言う通り、この騎士団を連れていれば、盗賊や山賊も物音ひとつ立てずに隠れてしまいそうだ。

「ただ、立ち寄る町ごとに敵軍が攻めてきたのかってくらい大騒ぎになりそうですけどね」

それほどまでに圧倒的な人数と威圧感を放つ騎士団だった。

シアナは小さくため息をつき、ラシードを見上げた。

「殿下、私はできるだけ目立たずに移動したいんです。ですから、あれは少し……やりすぎです」

はっきりした物言いに、ラシードは一瞬だけ落胆した表情を見せる。

それを見て、シアナはやわらかく言葉を添えた。

「でも、殿下のお気持ちを受け取らないわけではありません」

そして、自分の希望を丁寧に説明する。

馬車は、誰の記憶にも残らないくらい地味な見た目で十分。

その代わり、長時間の移動になるから座り心地はできるだけ良くしてほしい。

それに、風のように速く走れる馬と、腕のいい御者を用意してほしい。

シアナはすっかり地味になった馬車を見て、思わず笑った。

「これなら十分です」

一方で、ラシードの表情はあまり納得していない様子だった。

本音を言えば、こんな地味な馬車では物足りなくて、きらびやかな宝石や華やかな装飾で飾り立ててやりたかった。

だが、そうすればさっきのようにシアナに睨まれるのは目に見えている。

ラシードはぐっとこらえて口をつぐんだ。

そして尋ねる。

「では騎士団はどうする?まさか連れて行かないつもりじゃないだろうな?」

それだけは譲れなかった。

実際、ラシードはシアナが皇宮を離れることに強い不安を感じていた。

もし道中で事故に遭ったらどうする。

悪人に出くわして誘拐でもされたら――。

「にこにこ笑いながら甘い言葉で近づいてくる詐欺師に騙されるかもしれない。皇宮の外は危険だ」

ラシードの真剣な表情に向かって、シアナはこくりとうなずいた。

「知らない人について行くほど子どもじゃありません。でも、あなたの心配はよく分かります」

女性が一人で長旅に出るのは、どう考えても危険が多すぎる。

だからシアナも護衛をつけないつもりはなかった。

「ただ、あんな大人数はいりません。アシルロンド王国を攻めに行くわけじゃないんです。私を守れる人数がいれば、それで十分です」

幸いラシードは「だめだ、全員連れて行け!」と駄々をこねることはなかった。

「……分かった。なら騎士団の中でも腕の立つ者だけを選んで同行させよう」

「そうしていただけると助かります」

こうして馬車と護衛騎士の問題は、ひとまず落ち着いた。

もちろん、ラシードの助けはそれで終わりではなかった。

ラシードはシアナを皇太子宮の奥にある部屋へと連れて行った。

部屋に入った瞬間、シアナは思わず息をのんで口を押さえた。

室内には剣、弓矢、斧、槍、鞭など……この世に存在するあらゆる武器がずらりと並べられていた。

中にはシアナが初めて見るような武器もあった。

「これ、いったいどうやって使うの?」

鉄の棒同士が鎖でつながった武器を手に取り、くるくる回してみるシアナに、ラシドが真剣な顔で言った。

「どれだけ護衛の騎士がいても、危険な瞬間が来るかもしれない。そのときのために、自分用の武器をひとつ持っておいた方がいい」

シアナはラシドの言葉に強くうなずいた。

テーブルの上に並べられた武器を、慎重に選び始めた。

しばらく悩んだ末、シアナは腕を伸ばして小さな短剣をひとつ手に取る。

「これがいいです。手にぴったり合って、扱いやすそうです」

「でも刃が小さくて薄いから、殺傷力は弱いぞ」

「じゃあ、刃に毒を塗ればいいんじゃないですか?」

「いい考えだ。かすっただけでも命を奪えるような毒を用意してやろう」

「念のため、解毒剤も別で用意しておいてくださいね」

後ろで二人のやり取りを見ていた護衛騎士たちは、なぜか頭がくらくらするような気分になった。

(普段は殿下だけがおかしいと思っていたが、こういう時を見ると二人とも同じくらいおかしいな……)

 



 

「ついに終わった!」

シアナは部屋のベッドにどさっと倒れ込んだ。

ここ数日、遠出の準備で慌ただしく過ごしていた。

何をするにも豪華にしようとするラシードを止めるのに、なおさら気を使った。

「……いよいよ明日には皇宮を出るのね」

久しぶりに戻る故郷なのに、特別な感情は湧かなかった。

むしろ、気まずい親戚の家に行くような気分で、胸の奥が重く感じられるだけだ。

それがシアナを余計に物寂しくさせた。

そのとき、コンコンとドアをノックする音がした。

ドアを開けたシアナは目を丸くした。

そこにはラシードが立っていた。

二人は恋人同士ではあったが、会う場所のほとんどはラシードの部屋か皇太子宮の庭だった。

こんなふうにラシードがシアナの部屋を訪ねてくることは、ほとんどなかった。

それもこんな遅い時間に。

シアナは驚いた顔でラシードの手を引いた。

「とりあえず中へどうぞ」

厳重に警備されているラシードの部屋とは違い、シアナの部屋は人目に触れる危険が高かった。

バタン、とドアを閉めたシアナはラシードを見上げて尋ねた。

「どうしてここに?」

何か忘れ物でも届けに来たのかと思っているシアナに、ラシードは口を開いた。

「……明日、俺も一緒に行っちゃだめか?」

「……え?」

シアナは一瞬、言葉を失った。

ラシードの表情は、まるで置いていかれまいとする子犬のように必死だった。

――いいよ、一緒に行こう。

そう答えそうになった。

けれどシアナは、その気持ちをぐっと押し殺し、苦しそうに口を開いた。

「本音を言えば、私も一緒に行きたいです。でも、何度も話した通り、今回は私一人で行くことに意味があるんです……それに、私がいない間は殿下にもやるべきことがたくさんあるでしょう?」

シアナが出発した後も、ラシードがただ彼女を想って嘆いてばかりいられない理由があった。

皇后をはじめ、誰一人としてシアナの旅を邪魔させないように手を打たなければならなかったからだ。

さらに、すでに半分以上取り込んでいるアンゲルス公爵家を完全に味方につけ、その力を足がかりに他の貴族たちも一つずつ味方に引き入れていく必要があった。

ラシードが独自の勢力を築くためには、どれも欠かせないことだった。

それでも――ラシードは苦しげな表情でシアナを強く抱きしめ、言った。

「お前をほんの少しでも見られなくなると思うと……怖いんだ」

「……」

毎日、毎時間、歌うように澄んだその声を聞きたくて、温もりのあるこの小さな体を抱きしめていたくてたまらない。

それをどうやって我慢すればいいのか。

もうすでにこんなにも怖くて苦しいのに……。

シアナを抱きしめるラシードの手が、かすかに震えていた。美しい紫の瞳は、今にも涙がこぼれそうなほど揺れている。

その姿に、シアナの胸がきゅっと締めつけられた。

(きっと殿下は知らない。私がどれだけ弱い女かを)

帝国で最も強いはずの男が、こんなにも頼りなく見えるとき、シアナの胸には哀れみと同時に、愛おしさがあふれた。

(この人は、私がいないとだめなんだ)

その思いが、シアナの胸いっぱいに広がっていった。

シアナはラシードの頬にそっと手を添え、優しくささやいた。

「それでも、一緒には行けません」

「……」

予想していた言葉だったのか、ラシードの長いまつ毛がかすかに震えた。

シアナはそのまつ毛を指でなぞりながら、続けた。

「その代わり、殿下が私をしっかり待っていられるように、ひとつ贈り物をあげます」

「……?」

“贈り物”という言葉に、ラシードの表情がわずかに明るくなった。

期待に満ちた目でこちらを見るラシドに、シアナはそっと背伸びをした。

その瞬間、ラシードの目が大きく見開かれる。

シアナの小さな唇が、彼の唇にそっと触れた。

まるで天使が作ったプリンのように、やわらかくて弾むような感触だった。

そして、それで終わりではなかった。

わずかに開いた唇の奥へ、さっきよりもずっとやわらかいものが入り込んできた。

ラシードの頭の中は真っ白になった。

 



 

翌日、護衛騎士のソルがシアナの耳元でささやいた。

「シアナ様、殿下がまた何かなさったのでは?」

シアナは肩をびくりと揺らした。

答えないシアナを見て、ソルはさらに言葉を続けた。

「今朝、殿下のお部屋をのぞいたら、目を見開いたままベッドに横になっていらっしゃいました。まったく眠れていないご様子でした。ベッドに頭をつければすぐ眠る方なのに」

あの人が?

何度呼びかけても反応がなかったため、ソルはもしかして――と思った。

ラシードが目を開けたまま気絶しているのではないかと心配した。

呼吸しているか確かめようと、鼻先に指を当てているソルに向かって、ラシードはこう言った。

「ソル、この世界はなんて美しいんだろうな。お前のあの単純で無骨な顔でさえ、今日はなかなか愛らしく見えるぞ」

ラシードの声真似をしたソルは、ぞっとするような記憶を思い出したのか、巨体をぶるりと震わせた。

さらに恐ろしいのは、ラシードの暴走がそれで終わらなかったことだ。

「ソル、天使が作ったプリンを口に入れたことはあるか?それとも女神が育てたブドウを食べたことは?俺は分かった、今なら分かる。あれは本当に柔らかくて甘いんだ……」

――といった気味の悪いことを、延々と口にしていたという。

ソルは苦しそうな顔で耳をふさいだ。

ラシードのせいで、すでに耳が汚染された気分だったからだ。

苦しそうにしているソルを見て、シアナはさすがに何も言えなかった。

「実は昨夜、我慢できなくて殿下の唇に触れてしまったんです」

――などとは、とても言えるはずもなかった。

シアナは自分のせいで苦労しているソルに申し訳なく思い、その大きな背中をなでてあげようとした。

いや、なでてあげようとしたのだが――背中に手を置いた瞬間、ソルは青ざめた顔で、

「ひぃっ! これは何をなさるんですか!まさか殿下に、私の首が転がるところをご覧に入れたいのですか!?」と叫び、後ずさろうとして失敗した。

「……すみません」

シアナは空中で止まったままの手を下ろし、謝った。

ソルはその謝罪を受け入れた。

「今後はどうかご注意ください。私は象のような妻を迎えて百歳まで生きるのが夢なのですから」

「そうします」

シアナはうなずいた。

本当はこんなふうにのんびり雑談をしている場合ではなかった。

今日はシアナがアシルンド王国へ旅立つ日だったからだ。

ソルが言った。

「旅の準備はすべて整っておりますので、もう出発なさって大丈夫です」

シアナは指をもじもじさせながら尋ねた。

「殿下は……」

「ご心配には及びません。絶対に部屋から出られないよう、きちんと手を打ってきましたから」

ラシードはシアナの後を追いたい気持ちを抑えきれなかったのか、ソルに自分を止めてくれと頼んでいたのだ。

主の命令には何であれ従う忠実な部下であるソルは、ラシードの体を鎖でぐるぐるに縛り上げてしまった。

ソルが言った。

「全力で拘束しておきましたので、たとえ化け物のような力があっても、決して抜け出すことはできないはずです」

「……ソル様、口元がにやけております」

「ちっ、余計なことを」

動揺した顔でごまかしながら、ソルは表情を整えて言葉を続けた。

「さあ、お急ぎください。シアナ様が都を離れてからでなければ、殿下を解放できませんので」

「……」

シアナはラシードの顔を見ずに出発するのが、どうしても名残惜しかった。

けれど、自分を縛ってまで送り出そうとしたラシードの気持ちを思い、しっかりとうなずいた。

「では、行ってまいります」

背を向けたシアナの後ろから、ソルの声が届いた。

「どうか願いをすべて叶えてお戻りください、シアナ様。――あの方が、いつまでもあなた様をお待ちしておりますので」

シアナはこぶしを軽く握って応えた。

人目を避けて宮殿を出たシアナが向かった先は、宮殿近くの森だった。

そこにはラシドがシアナのために用意してくれたものが待っていた。

外見は質素だが内装は繊細に整えられた丈夫な馬車と、稲妻のように速く走る脚を持つ馬、そして腕の立つ御者。

そして――シアナは大きく目を見開いた。

暖かな陽射しと青々とした木々の下で、見覚えのある二人の女性が手を振っていた。

チュチュとグレイスだった。

シアナはまばたきをしながら言った。

「どうしてここに……?」

チュチュが肩をすくめて答えた。

「数日前、殿下がいらして、一緒に行ってほしいって頼まれたのよ」

グレイスはくすっと笑いながら言った。

「シアナを一人で行かせるのがどうしても心配だったのよ。あんな顔をしたお兄様、初めて見たわ」

思いもよらない展開に、シアナは戸惑った。

「でも、アシルンド王国に行くのなんて一日や二日で終わる話じゃないですよ。お二人とも、そんなに長く宮殿を空けるわけにはいかないでしょう?」

しかし、心配そうに言うシアナとは対照的に、グレイスは何でもないことのように答えた。

「大丈夫よ。お祖母様からちゃんと許可はいただいているもの」

「えっ!?」

「言ったでしょ?お祖母様はあなたの味方だって。あなたが立派な成果を上げて戻ってきて、皇后陛下に一泡吹かせるのを楽しみにしていらっしゃるのよ」

「……」

――まあ、グレイスはともかく。保護者の許可さえあれば、皇女の外出は大きな問題ではなかった。

だが、チュチュは?

「チュチュ、あなたは正式な侍女になってまだ日が浅い下級侍女でしょう?」

皇宮の侍女は外出許可書を提出すれば宮の外へ出ること自体は可能だった。

しかし、その期間が長くなりすぎると、不誠実だという烙印を押されてしまう。

そうなれば今後の昇進に影響が出るのはもちろん、運が悪ければそれを理由に侍女職を解雇されることもあり得た。

それでもチュチュは、まったく問題ないと言わんばかりに笑った。

「心配しないで。私は友達に会いに行くんじゃなくて、お仕えしているお姫様の世話をするために宮の外へ出るだけなんだから。休暇を取ったわけじゃないし、他の侍女たちに後ろ指をさされることもないし、お給金だってちゃんともらえるわ」

グレイスとチュチュは、自信満々の様子でシアナを見つめた。

「これでいいでしょ?」と言いたげな顔だった。

だが、問題はもう一つ残っていた。

「道のりはかなり険しいはずです。危険な状況に遭遇するかもしれません」

シアナは真剣に言ったが、チュチュとグレイスはくすっと笑った。

チュチュはシアナの丸い頭をなでながら言った。

「そういう心配は私たちがすることじゃなくて、あなたがするべきでしょ。どう見てもあなたのほうがずっと小さくて、力も弱いんだから」

グレイスも頷きながら続けた。

「それに……」

そう言って、グレイスはどこか一点を見つめながら声をかけた。

「ほら、早く出てきなさい」

「……?」

「出てこないなら、シアナのおでこにデコピンするわよ?」

冗談ではないとでも言うように、グレイスは親指と中指を合わせ、シアナの丸いおでこに向けて構えた。

その構えをした瞬間、茂みの中から体格のいい者たちが一斉に飛び出し、シアナを取り囲んだ。

あっという間に人に囲まれたシアナは、呆然とした表情になった。

「いったい、これは……」

驚くシアナとは対照的に、グレイスは予想していたかのように肩をすくめた。

「やっぱりね。あのラシード様が、あなたをそのまま行かせるわけないでしょ」

グレイスはシアナを囲む者たちを見回しながら尋ねた。

「どこの騎士団の人たち?紅炎騎士団?それともブルーローズ騎士団?」

シアナを囲んでいた騎士の一人が、少し困ったような表情でグレイスを見て答えた。

「ブラックシャドウ騎士団でございます」

その言葉に、余裕の表情だったグレイスが目を大きく見開き、

「うわ……」と、思わず感嘆の声を漏らした。

「ラシード様が抱える数ある騎士団の中でも、最強の実力者だけを集めたっていう、あのブラックシャドウ騎士団?一人で百人の兵士を倒せるっていう、あのブラックシャドウ騎士団のこと!?」

美しいお姫様にそう持ち上げられては、どれだけ寡黙な騎士でも思わず口元が緩んでしまう。

グレイスは興奮した様子で続けた。

「しかも、そんな騎士団の騎士が十五人もいるなんて!これならどこへ行っても安心ね」

その言葉に、騎士の一人が思わず嬉しそうに応じた。

「おっしゃる通りでございます。皆様がご旅行されている間、我々ブラックシャドウ騎士団が目立たぬよう徹底して護衛いたしますので、安全面につきましてはご心配なさらず、どうぞご安心くださいませ」

望んでいた答えを聞いたグレイスは、満足げに微笑みながらシアナを見つめた。

シアナは言葉を失った。

(殿下が護衛の騎士をつけることは知っていたけれど、まさかここまでの精鋭を呼ぶなんて……)

結局、シアナは観念したように眉を下げ、小さくうなずいた。

「分かりました。一緒に行きましょう」

「やったー!」

シアナの返事に、チュチュとグレイスはパンッと手を打ち合わせ、嬉しそうに荷物を馬車へ運び始めた。

シアナは目を丸くした。

小さなかばん一つしか持っていないシアナとは違い、グレイスの荷物は驚くほど大きかったからだ。

とても馬車の中には入りきらず、上に積んで固定しなければならないほどだった。

「ずいぶん荷物が多いですね。ドレスでも何着も詰め込んだんですか?」

しかしそれは、グレイスのことをよく知らないからこそ出た言葉だった。

シアナが、そのカバンの中身の正体を知るのに、そう時間はかからなかった。

 



 

 

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