こんにちは、ピッコです。
「メイドになったお姫様」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
136話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 募る想いと、満月の祈り
どこかひやりとするような、不穏な空気が漂う皇太子宮。
長椅子にもたれかかるラシードは、険しい表情のまま低く呟いた。
「……シアナは、私のことを忘れてしまったのだろうか」
(――いや、たぶんそうですね)
一瞬、護衛騎士のソルは正直にそう言いかけたが、ぐっと言葉を飲み込んだ。そんな残酷な現実を突きつければ、ただでさえ魂が抜けかけている皇太子が、今度こそ本当に倒れてしまいかねない。
代わりにソルは、ぎこちないほど明るい声を張り上げた。
「シアナ様は今ごろ、アシルロード王国でとてもお忙しいのでしょう!」
もちろん、ラシードもそれは十分に理解していた。
彼女が完全に連絡を絶っているわけではない。ブラックシャドウ騎士団を通じて、数日に一度は手紙が送られてきていた。
それでも――到底、足りなかった。
たった数行の無機質な文字では、この胸を焦がす想いは少しも満たされない。
シアナに会いたい。抱きしめたい。その声をこの耳で聞きたい。
そんな彼にとって、唯一の救いとなるはずの代物があった。遠く離れた相手と直接会話ができる、一対の“魔石”。
(これを使えば、今すぐシアナの声が聞けるだろうか……)
その衝動は、日に何度も胸をよぎった。しかし、ラシードはそのたびに必死で己を律した。
(シアナに、いつ本当の危機が訪れるか分からない。その時のために、魔石の力は残しておかなければならない――)
以前、すでに一度だけ魔石を使って会話を交わしている。残された使用回数は、あと二回。けっして軽々しく浪費していいものではなかった。
重苦しい沈黙の中、ラシードは魔石を指先で弄び続ける。その様子を見て、ソルは困ったように頭をかいた。
(昼間はまだいいんだ。貴族たちの対応や軍の整備で気が紛れているからな。問題は夜だ……完全に情緒が崩壊している)
どれだけ見慣れた主君の姿とはいえ、さすがに見ていられなくなったソルは、なんとか気を引こうと口を開いた。
「……そうだ、つくつく(白いフェレット)の爪でも切ってやったらどうです? 最近また伸びてきていますし」
「……伸びすぎていますね」
ラシードは視線を落としたまま、力なく首を横に振った。
「では……ナムナム(リス)に餌をあげるのは? 頬いっぱいにひまわりの種を詰め込んだ姿、思わず笑ってしまうほど可愛いですよ」
それでも、ラシードはまたもや首を振るだけだった。
ソルは密かに衝撃を受けていた。
(あれほど夢中で構い倒していたペットたちなのに、全却下だと……!?)
これは今までにない深刻な事態だ。どうにかして気分を変えさせられないかと頭を悩ませていると、ラシードがふいにすっと立ち上がった。
「殿下、この時間にどちらへ?」
慌てて後を追うソルに、ラシードは短く告げた。
「……少し、風に当たる」
このまま狭い部屋に閉じこもっていれば、シアナへの募る想いで本当に気が狂ってしまいそうだった。
皇太子宮を出たラシードが、無意識のうちに向かった先はルビ宮だった。
今は誰も住んでおらず、しんと静まり返ったその宮殿には、シアナとの大切な思い出が数多く残されている。ここに身を置いている時だけは、不思議と荒んだ心が少しだけ軽くなるのだった。
しかし、ルビ宮の敷地に足を踏み入れたラシードは、驚きに目を見開いた。
月明かりに照らされた小さな庭に、思いもよらない人物たちが佇んでいたからだ。
アンジェリナ皇妃と、その幼い息子、レイシス。
ラシードは警戒を孕んだ低い声で尋ねた。
「ここで何をしている?」
突然の冷徹な声に、アンジェリナははっとして振り返った。そこに立つラシードの姿を認めると、戸惑いながらも優雅に一礼して答えた。
「……散歩の途中でシアナ姫のことを思い出し、ルビ宮に立ち寄って少し祈りを捧げておりました」
「祈り、ですか」
「ええ」
アンジェリナは、恥らうように頬を少し赤らめながら言葉を続けた。
「月の女神は、遠くへ旅立つ者を見守ってくださると言われています。今夜はちょうど綺麗な満月でしたので、女神様にお願いをしていたのです。シアナ姫がどうか無事に、ここへ帰ってこられますように、と」
「…………」
ラシードは静かにアンジェリナを見下ろし、やがてぽつりと溢した。
「皇后とは、ずいぶん違うことをなさるのですね」
シアナが帝国を去った後、皇后は密かにその行方を追わせていた。ラシードがことごとく妨害したため、結局まともな情報は掴ませなかったが――それでも数日前、ついにシアナの居所と目的が公のものとなった。
アシルロンド王国から送られてきた、見たこともない不思議な花。
その稀少な花を外交の切り札として、帝国へ堂々と交渉を持ちかけてきた張本人こそが、シアナだったからだ。
数日前の御前会議。皇后は冷酷な無表情のまま、その提案を一蹴しようとした。
『たかが花をいくつか差し出された程度で、我が帝国が征服した国を手放すわけにはいかないわね』
しかし、アンゲルス公爵をはじめとする多くの貴族たちが、一斉にそれに反論した。
『もともと我が国にとって得るものの少ない小国を抱え続けるより、このような未知の宝を受け取る方が遥かに有益です。帝国の実利を考えれば、この提案は受け入れるべきでしょう』
それでもなお、頑なに首を縦に振らない皇后。そのとき、玉座の傍らで静観していたラシードが、冷徹な声を響かせた。
『――もしかして母上は、個人的な感情でこの交渉に反対なさっているのではないですか?』
『なっ……!?』
『この交渉を持ちかけたのは、アシルロンド王国の――』
言葉を濁そうとした皇后を遮るように、ラシードは淡々と告げた。
『アシルロンド王国のシアナ姫です。シアナ姫は現在、我が皇室の名において“皇后の試練”に臨んでいる最中。まさか母上は、その試練を故意に妨害するような真似をしておられるわけではありませんよね?』
『馬鹿なことを……!』
皇后は珍しく激昂し、感情をあらわにして声を荒げた。
皇后の試練は、皇室の威信にかけて行われる神聖な儀礼だ。それを主催者である皇后自らが妨害したとなれば、皇室への裏切りであり、大罪に等しい。
ラシードは静かに視線を落とし、冷ややかに微笑んだ。
『もしそうでないのでしたら、この交渉に反対なさる正当な理由を今ここでお示しください。そうすれば、諸公も納得するはずです』
その微笑みは穏やかで美しく、それゆえに酷く残酷だった。
皇后の顔は屈辱と怒りに歪んでいた。まるで、最も信頼していた身内に背後から刺されたかのような、激しい非難の視線がラシードへと突き刺さっていた。
アンジェリナもまた、皇妃という立場でその緊迫した会議に同席していたからこそ、事の顛末をよく知っていた。いや、今や宮中だけでなく首都の隅々に至るまで、皇后と皇太子の決定的な対立を知らぬ者いない。
アンジェリナは困ったようにラシードを見つめ、そっと優しい声をかけた。
「皇后陛下は殿下の実の母親でいらっしゃいますもの。私とは立場が違いますわ。これほど立派な息子を持てば、その伴侶となる方にも、きっと人一倍強いこだわりをお持ちになるのでしょう……」
それはラシードを懐柔するための嘘ではなかった。もし自分にラシードのような息子がいたなら、世界で一番素晴らしい花嫁を見つけてあげたいと必死になるだろう――アンジェリナは本気でそう思っていた。
自身の突飛な想像に気づき、少し気恥ずそうに微笑むと、彼女は言葉を繋いだ。
「ですから、時間が経てばきっとシアナ姫のことも認めてくださいますわ。シアナ姫は誰よりも気高く、優雅で、そして本当にお優しい方ですもの」
「……淑女、ですか」
傍らにいた幼いレイシスが、ぽつりと呟いた。その小さな声には、まだ願いを現実に変えるような力強さはなかった。
だが、不思議とラシードの胸の奥で渦巻いていた不穏なざわめきを、静かに、優しく撫でて溶かしていくような温もりがあった。
ラシードはしばらく黙って親子を見つめていたが、やがて張り詰めていた肩の力を抜いた。
「……ご一緒に、祈ってもよろしいでしょうか」
思いもよらない皇太子の言葉に、アンジェリナは驚いて目を丸くした。けれどすぐに、ぱっと大輪の花が咲くような笑顔を浮かべる。
「もちろんですわ、殿下」
満月の淡い光が降り注ぐ中、二人はそっと目を閉じ、手を重ねて祈りを捧げた。
少し離れた場所でその光景を見つめていたレイシスは、手にしていた画用紙へと視線を落とし、さらさらと筆を走らせる。
やがて白い紙の上には、月光を浴びて静かに祈る二人の姿が描き出されていった。それは何かを強く願う者たちの、厳かで優しい時間の記録だった。
きらきらと輝く満月の光が、まるで宝石のように彼らを祝福していた。
毎晩、欠かさず月の女神に祈りを届けていたからだろうか。
その夜、ラシードは奇妙な、けれど酷く甘美な夢を見た。
見渡す限り色鮮やかな花々で埋め尽くされた丘。驚くべきことに、そのすべての花が、エメラルドの瞳をした「シアナ」の顔で満ち満ちていた。
「空に輝く太陽も、シアナ」
「咲き誇る花も、シアナ」
「木々に実る果実も、すべてシアナ……」
狂気とも言える楽園のような景色の中で、ラシードはうっとりと恍惚とした表情を浮かべる。
「――お好きですか?」
鈴の鳴るような澄んだ声に振り返ると、そこには幻ではなく、本物のシアナが佇んでいた。その愛しい姿を目にした瞬間、ラシードの胸には熱いものが込み上げ、思わず涙が溢れそうになる。
あまりの幸福感に、ラシードはだらしなく頬を緩めた。
「……ああ。本当にいい。ずっと、ずっとここにいられたらいいのに」
柔らかな眼差しでシアナを見つめ、そっとその華奢な手を取る。
けれど――。
「……それは無理です、殿下。永遠どころか、五分も持たないと思います」
あまりにも現実的で冷ややかな一言が、脳内に響き渡った。
その瞬間、ラシードの体温が一気に引いていく。
はっとして目を開けた。
そこにいたのは、夢にまで見た愛しのシアナではなく――ラシードの手首をがっちりと鷲掴みにしている、従者のソルだった。
ソルは酷く困惑した顔で、ベッドに横たわる主君を見下ろしている。
次の瞬間、静かな寝室にソルの悲鳴が木霊した。
「な、なぜそんな親の仇を見るような目で睨むんですか!? 私はただ、朝起きない殿下を起こそうとして手を掴んだだけで……決して怪しい下心はありませんからね!」
「……それが罪だ」
「はい?」
意味が分からないと言いたげに顔を歪めるソルに向かって、ラシードは地を傷つけるような低い声で唸った。
今この瞬間、目の前にいるのがシアナではないこと――それ自体が罪だった。それも到底許されるはずのない、極悪無道な大罪だ。
「ひいっ! 誰か助けてください!!」
命の危険を本能で察したソルが絶叫した、その直後だった。
ラシードの首にかかっていた魔石が、不意にかすかな光を放った。
その刹那、ラシードの表情が劇的に一変する。さっきまでの殺気立った狂気は霧散し、まるで世界で一番大切な宝物を与えられた子どものような顔になった。
ラシードは慌てて魔石を口元に引き寄せると、祈るように呪文を紡いだ。
「シアナ……!」
次の瞬間、魔石が眩い輝きを放ち、スピーカー越しのように懐かしい声が響き渡った。
『――殿下、私の声、聞こえますか?』
「ああ、聞こえる」
そう真っ先に返すはずだった。それなのに、あふれ出た情動を制御できず、口を突いて出たのはまったく別の言葉だった。
「会いたい」
脈絡もなく飛び出した、子供じみた切実な一言。
けれど、通信の向こうのシアナは困惑することもなく、くすっと愛おしそうに小さく笑った。
『私もです』
そして、弾むような声で言葉を続けた。
『もう、すべて終わりました。できるだけ早く、殿下のもとへ戻りますね』
その瞬間、ラシードは言葉を失った。
何ヶ月もの間、片時も忘れることなく、ずっとずっと待ち望んでいた約束の言葉。
やがて――。
「うおっ……!」
胸の奥底から突き上げてくる激しい感情を抑えきれず、ラシードは拳をきつく握りしめて天井を仰いだ。
どんな過酷な戦場で完全勝利を収めた時よりも、ずっと熱く、強く。
これまでの人生で一度も味わったことのないほどの、至上の歓喜が彼を満たしていた。
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シアナへの恋しさで限界を迎えるラシード
離れて暮らすシアナへの想いが募るあまり、お気に入りのペットにも目もくれず、夜には情緒が完全に崩壊しかけている。
-
アンジェリナ皇妃との遭遇と「満月の祈り」
気を紛らわせるために訪れたルビ宮で、皇后(実母)と対立するラシードを思いやるアンジェリナ皇妃親子に出会い、共にシアナの無事を祈って心を落ち着かせる。
-
悪夢(ソルの顔)からの、魔石を通じた「至上の歓喜」
すべてがシアナに見える夢から覚め、ソルの顔を見て絶望した直後、残りの回数が少ない魔石が起動。シアナからの「もうすぐ戻る」という言葉に、人生最大の喜びを爆発させる。