もう泣いてもいいですか?

もう泣いてもいいですか?【27話】ネタバレ




 

こんにちは、ピッコです。

「もう泣いてもいいですか?」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【もう泣いてもいいですか?】まとめ こんにちは、ピッコです。 「もう泣いてもいいですか?」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介とな...

 




 

27話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 忍び寄る影

遠くから、夜の訪れを告げる鐘の音が響いてきた。

その音を耳にしたクライスは、手元の時計に視線を落とす。

「おっと、もうこんな時間か。そろそろ寮へ戻らないとな」

「はい……」

イビィは名残惜しそうに、広げていた本を片づけ始めた。その小さな背中を見つめながら、クライスは少し心配そうに尋ねる。

「私の教えは、少しは役に立っただろうか?」

「すごく役に立ちました! 私が分からなかったことも、全部丁寧に教えてくださいましたから」

「それでも、私の説明は少し難しかったんじゃないかい?」

「えへへ……」

さすがに「そんなことありません」と嘘をつくことはできず、イビィは照れくさそうに笑った。

その愛らしい姿を見て、クライスは心に固く誓った。今日の夜からは睡眠時間を削ってでも猛勉強し、本物の外国語教師らしく教えられるようになろう、と。

それは単に、教師としての体裁を取り繕うためではなかった。彼はイビィに勉強を教えること、その時間自体が純粋に楽しかったのだ。

イビィは一つを教えれば、その場で二つも三つも理解していく聡明な子だった。ついさっきまで知らなかった知識を次々と吸収し、自分の世界を驚くべき速さで広げていく。まるで、乾いた布がぐんぐんと水を吸い込むかのように新しい知識を取り込み、あっという間に先行する生徒たちに追いついてしまう。

かつて無知だった存在が、これほどの速度で成長していく。その姿に、クライスは深い感動すら覚えていた。

(教えるということが、これほどまでに楽しいものだったとは……)

かつてセラフィナからマレス教授の「教育熱心さ」について聞いたときは、大げさな話だと笑っていたものだ。しかし今では、クライスは彼を笑うことなど到底できなかった。このままでは、自分自身がマレス教授を超えるほどの教え好きになってしまいそうだった。

好奇心に満ちあふれたこの子どもに、望むものを何でも与えたい。そして、その子がどこまで高く羽ばたいていくのかを、この目で最後まで見届けたい。クライスの胸の奥から、もっとイビィに教えたいという強い欲求が湧き上がってくる。

(そのためには、まず自分がもっと学ばなければな)

クライスは、自分の手に持っていた外国語の教科書を見つめた。自身の仕事とは直接関係のない本を自発的に手に取るなど、一体何年ぶりのことだろうか。

「次は、もう少し分かりやすく教えてあげるからね」

「はい!」

イビィがノートを片づけている間、クライスは自分の指示で改装させた部屋を静かに見回した。

部屋のあちこちに、誰かが大切に使った形跡が残っている。この部屋を使うのは自分とイビィだけだ。つまり、自分がいない間もイビィが何度もここを訪れ、大切に部屋を使ってくれていたのだろう。

自分がこの子の好みを上手く見抜いていたのだと思うと、誇らしいような、少しくすぐったいような気持ちが込み上げてくる。しかしその時、彼はふと奇妙な違和感を覚えた。

鼻腔をかすめる、ある特有の匂い。

「……クッキー?」

さっきまでは集中していて気づかなかったが、帰ろうとして部屋を歩き回ると、ほのかに甘い焼き菓子の香りが漂っていることに気づいた。匂いの元を探るように歩を進めると、新しく運び込まれた本棚の近くで、その香りがひときわ強くなる。

「教授! もう帰りましょう!」

さらに匂いの出どころを突き止めようとしたその時、イビィが彼の腕をきゅっと引っ張り、急かすように外へと促した。その愛らしい催促に圧されて、クライスはクッキーの匂いのことをそれ以上深く考えることなく、部屋を後にした。

「鞄は私が持とう」

イビィの返事を待つこともなく、クライスはその小さな鞄をひょいと持ち上げると、もう片方の手を優しく差し出した。イビィはためらうことなく、その大きな手をそっと握り返す。

二人は、夕闇に包まれ始めた道を仲良く並んで歩き、寮へと向かった。

その微笑ましい様子を、隣の建物の窓からひっそりと見つめる冷ややかな視線があった。

――イズリエラだった。

イズリエラは昼間からずっと、イビィの後をつけていた。しかし、当のイビィは彼女の存在にまったく気づいていない様子だった。

イビィが人気のない建物へと入っていくのを見届けたイズリエラは、あえて同じ建物ではなく、隣の建物へと足を向けた。同じ空間に入れば、見つかる危険性が高くなるからだ。幸いにも、イビィが入った建物を一望できる位置にある教室が空いていた。

イズリエラは薄暗い教室の窓辺に佇み、外を睨みつけながら、イビィが出てくるのをひたすら待ち続けた。だが、門限の時間が近づいても、イビィは一向に姿を現さない。

(灯りがついているから、まだ中にいるみたいだけど……)

いっそ完全に灯りが消えてしまえば、「もう別のルートから寮へ戻ったのだろう」と判断して自分も帰れたはずだった。しかし、イビィが中にいる気配がある以上、イズリエラもその場を離れるわけにはいかなかった。

誰もいない薄暗い教室に一人で取り残されるうちに、彼女の心はますます焦燥感で波立ち始める。

この時間になれば、ほかの学生たちはみな寮の自室に戻り、間近に迫った中間試験の勉強に励んでいるはずだ。自分だって試験勉強をしなければならない身なのに、一体こんなところで何をやっているのだろう。

(シアン教授から、個人的に外国語を習っているって言っていたわね……)

自分はこうして惨めに隠れて見張りをしているというのに、あの子は特権的にのんびりと座って特別授業を受けている。そう思うと、イズリエラはますます腹立たしさが抑えきれなくなった。

(教授たちも、どいつもこいつもあの子をやたらと褒めちぎって!)

地方の田舎学校でいくら成績が良かったとしても、この「英才学院」のレベルから見れば大したことはないはずだ――最初はそう高を括っていた。ここにいる学生のほとんどは、幼い頃から一流の家庭教師に囲まれ、最高の英才教育を受けてきた名門の令嬢や息子の集まりなのだ。だから、すぐに本物の実力差が明らかになり、イビィは底が割れて脱落していくはずだと信じていた。

アルセルやルスカーといった学院の中心人物たちがイビィを相手にしているのも今だけで、もう少し時間が経てば、彼らもあの子の実力が誇張されたものだと気づいて離れていくだろう。そうであってほしかった。

しかし、現実はイズリエラの思い通りには進まなかった。

まだイビィと辛うじて親しくしている他の学生たちに探りを入れてみたところ、イビィがクラスに入ってからのというもの、授業のたびに教授たちはあの子を称賛するのに忙しいのだという。

『イビィさんは本当に頭が良い子なんですよ』

『あの子はあのマレス教授の授業も受けられているなんて、本当に羨ましいわ。本館の特進教室にいる他の三人(アルセル、ルスカーたち)は、誰もが一目置く名門貴族でしょう? まるで英才学院のエリートだけを集めた選りすぐりのクラスって感じよね』

『それに、あのマレス教授って、本当はものすごい権威の方だったのに、今まで表立って活動していなかったから私たちは知らなかったのよ。これからご自身の名を冠した大々的な研究会を立ち上げるそうだけど……若い直系の弟子はイビィさん一人だけだから、あの子は将来、先輩たちの莫大な支援を独り占めできるわね』

周囲の学生たちは、口では否定的なニュアンスを混ぜながらも、その羨望を隠しきれていなかった。そして、さりげなくイズリエラに対して「あなたが何とかして頂戴」という期待の視線を向けてくるのだ。そうでなければ、自分たちはもう二度と、かつてのようにアイリーンたちのグループに引き入れてもらえないかもしれないという焦りがあるのだろう。

「だから今日、こうして様子を見に来てあげたのよ……」

イズリエラは苦々しく呟いた。しかし、今日一日の追跡では大した収穫はなく、イビィ・エルデンの化けの皮を剥がせるような決定的な証拠は見つかっていない。

(……もう帰ろうかしら)

試験が終わってから改めて追いかけても遅くはない。

イズリエラがそう結論づけようとしたその瞬間、ようやくイビィが建物から出てきた。

だが、入っていったときとは決定的な違いがあった。イビィは一人ではなかったのだ。

イビィの鞄を代わりに持ち、優しく手をつないで歩く男。

かつて食堂でイビィが嬉しそうに話していた、あの背の高い金髪の男に間違いなかった。

イズリエラは息を潜めて建物を飛び出すと、気づかれないよう十分な距離を取りながら、静かに二人の後をつけた。

「この辺で別れるのがちょうどよさそうだな」

クライスは寮の手前、少し離れた街灯の影で立ち止まった。

門限が近づき、教室や教授室で遅くまで居残り勉強をしていた学生たちが、一斉に寮へと戻ってくる時間帯だった。この行き交う学生たちの中には、かつて両親に連れられて出席した皇宮の夜会で、皇帝である彼の姿を見たことがある子どもがいるかもしれない。

(それは非常に困るな……)

自分が「皇帝」であることを、この学院で明かすわけにはいかなかった。もし正体が知れ渡れば、周囲の目が変わり、二度とこうして気軽にイビィと会うことなどできなくなってしまう。そればかりか、彼の一つ一つの行動に、貴族たちが勝手な政治的意味や邪推をまとわせるようになるだろう。

不意に、過去の苦い記憶が脳裏をよぎる。

かつて、亡き娘と同い年くらいの子どもを見るたびに、「もし我が子が生きていたら、今頃このくらいの大きさだっただろうか」と、切ない目で追ってしまった時期があった。その噂を聞きつけた貴族たちが、皇宮をまるで託児所かと言わんばかりに、ありとあらゆる同年代の子どもを連れて陳情にやってきたのだ。中には、自分の子どもがいないからと、親戚の子や見ず知らずの他人の子を借りてまで連れてくる不届き者さえいた。

(あんな浅ましい光景は、もう二度と御免だ)

それはクライス自身にとっても不愉快な悪夢だったが、何よりイビィにとっても決して良い結果をもたらさない。皇帝が特別に目をかけている孤児だと世間に知られれば、どれほど多くの強欲な人間たちに目をつけられ、利用され、危険に晒されるか分からないからだ。

「教授は、このまま皇宮の外へお帰りになるんですか?」

「あに、私は別の用事があるから、一度本宮へ戻らなければならないんだ」

クライスはイビィに鞄を返した。その拍子に、再びふわりと甘い香りが漂う。先ほど部屋で嗅いだ、あのクッキーの香りだ。

(鞄の中にクッキーの箱が入っているようには見えないが……)

もし持ち歩いているなら、鞄を動かしたときにガサガサと軽い音がするはずだ。だが、聞こえてくるのはずっしりとした本が詰まっているような音だけだった。

(昼間のうちに、あらかじめ部屋の鞄へ入れておいたのかな)

そう考えれば、先ほど部屋の中に残っていたお菓子の匂いにも説明がつく。クライスは微笑みながら、心の中で次回の計画を立てた。

(次は、私が何か食べる物でも持ってきてやろう)

英才学院では全面的な生活支援を受けられるとはいえ、子ども向けのお菓子のバリエーションはそれほど多くはない。食べ過ぎによる健康への配慮から、食堂に並ぶデザートの種類は制限されているのだ。彼自身がかつてこの学院に通っていた頃も、量は十分にあったが、種類は決して豊富ではなかった。

クライスは、最近自分の食事量が少し増えたことで、皇宮の新しい料理長が張り切ってさまざまな新作デザートを作って出してくるようになったことを思い出す。

『料理長。これは本当に、私一人で食べきれる量だと思っているのか?』

数十種類もの色鮮やかなデザートを前に、クライスがうんざりした表情で尋ねたとき、料理長は平伏しながら『申し訳ありません、明日からは一種類にいたします』と答えていた。

(いっそ、あの子を本宮へ一緒に連れて行けたらいいのに)

そうすれば、あの広く美しい庭園で、イビィが「もうお腹いっぱいで食べられません」と言うまで、帝国中のありとあらゆる最高級のお菓子を心ゆくまで食べさせてあげられるのに。

クライスは胸に湧き上がる名残惜しさをぐっと飲み込み、穏やかに手を振った。

「それじゃあ、気をつけて帰るんだよ。また今度会おう」

「教授も、お気をつけて!」

そう言って挨拶を交わしたあとも、二人はしばらくその場で互いを見つめ合ったまま動かなかった。

「入らないのかい?」

「教授が行くのを見送ってから入ります!」

「いや、お前が先に入るんだ」

「でも、私は寮に帰るだけですけど、教授はまたこれからお仕事に戻るんですよね。だから、姿が見えなくなるまで手を振ってます」

そう言ったイビィは、それだけでは足りないと思ったのか、さらに愛らしい約束を付け加えた。

「本当に、教授が見えなくなるまでですからね!」

少しでもこの温かい時間を引き延ばしたかったのだろう。見えなくなるまで手を振るという無邪気な提案に、クライスはもう降参するしかなかった。

「よし、それじゃあ本当にお別れだ」

彼は苦笑しながら両手を上げると、そのままくるりと背を向けた。

数歩歩いてからそっと振り返ると、イビィは小さな片手を高く上げ、一生懸命に手を振っていた。約束を健気に守るその愛らしい姿に、彼の口元から自然と笑みがこぼれる。

彼が角を曲がり、その姿が完全に隠れて見えなくなるまで、イビィはずっと手を振り続けた。いや、姿が見えなくなってからもしばらくの間、誰もいない空間に向かって手を振り続けていた。

「イビィ? 一体何をしてるの?」

「あ、アイリーン!」

後ろから不意にかけられた声に振り向くと、親友のアイリーンが目を丸くして立っていた。

「シアン教授に、手を振っていたの」

その言葉を聞き、アイリーンはイビィが見つめていた方向へと視線を向けた。だが、そこには誰もいない暗い夜道が伸びているだけだ。

「もう少し早く出てくればよかったな。そうしたら、私もご挨拶できたのに」

「うーん、じゃあ明日、一緒に行く?」

イビィの無邪気な誘いに、アイリーンは少し困ったように首を横に振った。

「ううん、明日は私も補講を受けなきゃいけなくて忙しいの。試験勉強もしなきゃだし……。会いに行くのは、試験が終わってからにするよ」

アイリーンだからといって、その「シアン教授」に興味がないわけではなかった。

(あの魔法、本当に本物だったんだよね……)

かつて学院であれだけの騒ぎを起こした教授だ。今思い返しても、どうしてあんな貴重な魔導具を、孤児だったイビィにあっさりと言い値で渡したのか、不思議で仕方がなかった。けれど当のイビィは、その教授にまるで本当の父親のようによく懐いている。

(いつも一緒にいる私たちより、もしかしたらシアン教授のほうが好きなのかも)

イビィの話を聞く限り、彼はとても優しく包容力のある、理想的な保護者のような人らしい。自分たちが長期休暇で実家へ帰省していた間には、イビィを季節のお祭りへと連れて行き、外の広い世界をたくさん見せてくれたりもしたという。

「プレゼントも、たくさんくれるんだよ」

そう言いながら、イビィはポケットから木彫りのリスの人形を取り出してみせた。自分で彫ったのだと誇らしげに自慢するイビィの姿は、その人形のリスにどこかよく似ていて微笑ましかった。

(イビィは、シアン教授とそこまで長い付き合いというわけでもないはずなのに……)

それなのに、どうしてこれほどまでに全幅の信頼を寄せているのだろう。

しかし、アイリーンの胸の中にあった「シアン教授は何か怪しい人物なのではないか」という疑念は、イビィの笑顔を見るうちに次第に薄れていった。まだ幼く純粋なイビィは、自分に悪意や害意を持つ相手を本能的に見抜くところがある。そんなイビィがこれほど慕っている人物なのだから、きっと根は悪い人ではないのだろう、と納得することにした。

「とりあえず中に入ろう。夜はまだ冷えるから」

アイリーンは自分の腕を寒そうにさすりながら、イビィの手を引いて一緒に寮の中へと入っていった。

二人の姿が完全に消えた後、近くの大きな木の陰から、ゆっくりとイズリエラが姿を現した。

「よし……。まずは、あの男が『シアン教授』と呼ばれている人物だということは確認できたわ」

自室へと戻る道すがら、イズリエラは先ほど目撃した金髪の男の姿を反芻していた。

想像していたよりも、ずっと端正でまともな風貌の人物だった。いや、まともというよりは、驚くほど高貴で美しい容姿をしていた。体格も、およそ研究に没頭する教授というよりは、第一線の近衛騎士を思わせるほど大柄で、無駄な脂肪の一切ない引き締まった体つきだった。

(どう考えても、普通の教授には見えないわね……)

悶々としながら寮のエントランスを歩いていると、管理区域の職員がイズリエラを呼び止めた。

「イズリエラ様、ご実家からお手紙が届いております。急ぎの用件とのことですので、なるべく早めにご確認ください」

急ぎの用事? 差し出し人の名を見ると、彼女の兄からのものだった。

(お兄様、この件にはずいぶん熱心なのね……)

その理由は、何となく察しがついていた。きっと、例の「魔石」の話が兄の旺盛な好奇心を刺激したのだろう。

イズリエラの父は、国内外の極上の魔石を収集することを生業とする大コレクターだった。兄もまたそれを貴族らしい高尚な趣味だと考え、自分だけの至高の魔石を手に入れるため、たびたび秘密の競売場へ足を運んでいたのだ。だからこそ、英才学院を揺るがしたほどの強力な魔石の噂を聞きつけ、身を乗り出してきたに違いない。

(それに、お兄様ならあの『シアン教授』の素性についても、何か知っているかもしれないわ)

自室へ戻るなり、イズリエラはもどかしい手つきで急いで手紙の封を切った。

『イズリエラへ。

本当に「シアン教授」という人物が、今も英才学院に在籍しているというのか?

私が独自のルートで確認したところ、英才学院に公式登録されている「シアン・ロウェン教授」は地質学が専門の老教授で、現在は病気療養のため故郷へ戻っていることが判明した。

しかも、その御歳は七百歳を超えておいでだ。高齢ゆえに回復が思わしくなく、学院への復帰も無期限で延期されているそうだ。このままでは教授職も――』

「――このままでは教授職も辞め、完全に引退するつもりらしい……!?」

手紙を読み進めていたイズリエラは、驚愕のあまり目を見開いた。

「七百歳を超えているですって……!?」

そんなはずはない。先ほどイビィが親しげに「シアン教授」と呼んでいた男は、どう高く見積もっても三十代後半、働き盛りの壮年だった。七十歳ですらあり得ないというのに、ましてや七百歳の老教授など論外だ。しかも本物のシアン教授は、今も遠い故郷で寝たきり状態にあるという。

手紙には続けて、兄が裏社会の情報網を使い、何度も「英才学院に在籍するシアン・ロウェン教授」本人に関する事実であることを確認した、と書き添えられていた。

――ならば、先ほど自分が目撃した、あの忌々しいほどに端正な男は一体誰なのか。

イズリエラの驚きは、やがて邪悪な歓喜へと変わっていった。その口元に、冷酷な笑みが浮かぶ。

(ふん、誰だろうとそんなことはどうでもいいわ)

確かなのは、あの男が「本物の教授ではない」という揺るぎない事実。そして、偽物の分際で教授の肩書きを騙り、神聖なる英才学院を自由に出入りしているということ。さらに、哀れなイビィ・エルデンの保護者を自称して、裏で怪しい取引を行っているということだ。

「あの子、絶対に教授室に『何か』を隠しているわね」

前々から不審に思っていたのだ。イビィは校内のあちこちで不自然にしゃがみ込み、何かを拾っては自分の鞄へと詰め込んでいた。今日もそうだった。建物に入る前はパンパンに膨らんでいた鞄が、出てきたときに男が持っていたときには、明らかに中身が減って軽くなっていた。何かをあの部屋に置いてきた証拠だ。

「それに……最近、私物をなくしたって騒いでいる学生が結構いるのよね」

この前、教室で高価なブレスレットを紛失した女子生徒もそうだ。それ以外にも、校内で私物がなくなったと嘆く学生の声は少なくなかった。

イズリエラの脳裏に、一つの邪悪な仮説が浮かび上がる。イビィが人知れず学生たちの紛失物を盗み出し、あの鞄に入れて偽教授の元へと運んでいる姿が――。

もちろん、それは現時点では何の根拠もない、彼女の歪んだ嫉妬が生んだ妄想にすぎない。

だが、イビィを破滅させたい一念に駆られているイズリエラの中では、それはすでに「確定した事実」としてねじ曲げられて固まりつつあった。

「待ってなさい、イビィ・エルデン……」

イズリエラは勢いよく立ち上がると、部屋の本棚から「英才学院校則本」を狂ったように引っ張り出し、ページを激しくめくり始めた。

血眼になって探す彼女の指先が、ある一ページでぴたりと止まる。

【校則 第17条 第1項】

学生の持ち物を不当に窃盗・横領した者は、如何なる理由があろうとも即刻「退学処分」とする。

「見つけたわ……」

暗い室内で、イズリエラは勝利を確信したように、低く、深く笑った。それはまさに、今の彼女が喉から手が出るほど欲していた、目の上のたんこぶを合法的に排除するための、完璧な凶器だった。

 



 

 

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