こんにちは、ピッコです。
「ヤンデレを演技していたら本物に執着されました」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
48話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 心の奥深く
ハイレン帝国の片隅に佇む冷宮。
その日、ひときわ機嫌の良さそうなシャビアンは、つばの大きな帽子をかぶって外へと出てきた。
「いい天気ですね!」
きらきらとした笑顔で振り返る彼の後ろを、侍女たちが嬉しそうについていく。
「ですが殿下、公爵様は皇子殿下の外出を控えるようおっしゃっていましたが……」
「そうです。あまり宮殿の外へ出られてはいけないと……」
バハトの使節団が皇宮に滞在しているため、ルウィンがそう釘を刺し残していたのだ。だが、別の侍女がクスクスと笑いながら言った。
「それでも、あれだけお元気そうなのですもの。どうして止められましょうか」
「それもそうですね」
侍女たちも、護衛の騎士たちも気づいていなかった。だが、神に愛された存在であるシャビアンの尋常ならざる魅力に、彼らは知らず知らずのうちに魅了されていたのだ。そのため、あの恐ろしい公爵の命令すら頭から抜け落ち、シャビアンと共に外へ連れ立ってしまった。
「こっちにも行ってみよう」
気分の良いシャビアンは、ほころんだ表情で皇宮のあちこちを見て回った。
『殿下のものだもの』
昨夜の公爵の言葉を思い出すたび、胸が甘く疼く。あちこちを気ままに歩き回っていたシャビアンは、ふと、生い茂る緑の向こうから暖かな日差しとともに人の話し声がするのを感じた。
「今回、ロテア公爵様はずいぶんお困りでしょうね」
「ええ。皇帝陛下とカドリック様は見た目がとてもよく似ていらっしゃいますから、まさかそのお名前を借りて潜り込んでいらっしゃるとは思わなかったでしょうし……」
その会話を耳にして、シャビアンはハッと我に返った。自分がいつの間にか、バハト使節団の滞在している宮殿の近くまで来てしまったことに気づいたのだ。しかも、後ろについていたはずの侍女たちの姿がどこにも見当たらない。
(まずい――)
そう思ったシャビアンは、慌てて近くの茂みの中に身を隠した。
「ところで、あれは聞きましたか?」
「何のことです?」
「情報部の長が送った報告書を小耳に挟んだのですが」
シャビアンは、隙間から声の主たちの顔を覗き見た。見覚えのある顔――それなりの地位にいる役人たちだ。
「バイウドを占領する前、ベルウェン公爵がハイレンの夏の離宮で……」
役人はそこで一度言葉を切り、声を潜めた。
「一週間もの間、ハイレンの皇女と同じ部屋にいたそうですよ」
「――え?」
一週間? 同じ部屋に?
バハト使節団の役人たちの密談を聞いたシャビアンは、あまりの衝撃にしばらく瞬きすらできなかった。
違う。自分が公爵様から直接聞いていた話は、そんな内容ではなかった。
『で、では今回北部へ行かれた時も、皇女殿下とはなにも、なにもなかったのですよね』
『はい』
公爵様は確かにそうおっしゃった。私の目をまっすぐ見て、「はい」と。何もなかったのだと。なのに……。
「ははっ。では、その皇女と一緒にいたという噂は何だったんだ?」
「理由は二つでしょうな」
バハトの役人たちがくすくすと下品に笑う。
「ベルウェン公爵が途方もない女好きだったか」
「あるいは、何か公にできない後ろめたいことがあったか」
「ははは、後ろめたいことですか! それは傑作だ」
シャビアンの耳には、もう彼らの笑い声はほとんど届いていなかった。激しく脈打つ心臓の音が、鼓膜を破らんばかりに鳴り響いていたからだ。
どうして。どうして公爵様は自分に嘘をついたのだろう。
なぜ? 皇女殿下と一緒にいたのなら、どうしてそれを隠したのだろう。
どうして自分には、あんなに優しい嘘を吐いたのだろう。
(どうして……?)
引き裂かれそうな胸の痛みを抱え、シャビアンはただ立ち尽くしていた。
その頃、私はケリオンに呼び出されていた。
『お前の友人は私の臣民だ。生かすも殺すも私次第だぞ』
以前、冷宮へ押しかけてきた時のケリオンの脅しが脳裏をよぎる。あの言葉は本気だったのだろう。仕事を終えて冷宮へ戻る途中で捕まり、そのせいで今、私はケリオンとテーブルを挟んで向かい合っていた。
「一杯どうだ?」
おいおい、酒まで用意しているのか。私たちはそんなものを酌み交わすような仲じゃないだろう。
「結構です」
私はきっぱりと断った。ケリオンの引き締まった胸筋に、室内の灯りが淡く映っている。少しは服を隠せと言いたい。いつも胸元を大きくはだけさせているのだから。いい体なのは重々分かってるって。
「本当に飲まないのか?」
ケリオンの黒い瞳に、すっと警告の色が宿った。
――シャビアンの命は自分が握っている。だから大人しく言うことを聞け。
そんな無言の圧力だった。
「……分かりました。いただきます」
これくらいなら問題ない。それに万が一に備えて、私は黒魔法による防御をかなり強く張ってある。数杯くらいの酒なら無効化できるはずだ。
「ほら」
ケリオンは空の杯に透明な酒を注ぎ、私の前へ差し出した。私はそれを一気に飲み干し、杯をコトリと音を立てて置く。
「これで満足ですか?」
「どうだ、その酒の味は?」
「陛下と飲むからでしょうか。あまり悪くありませんね」
実際、美味しかった。私は酒が特別好きなわけではないが、この酒はすっきりしていて、ほのかに甘みもあった。度数もそれほど強くないようで、もう少しくらいなら飲めそうだ。
「私は公爵と一緒に飲む方が、もっと美味しく感じるがね。寂しいものだな」
杯を空けたケリオンは、余裕のある笑みを浮かべながら再び酒を注いだ。適当に酔ったふりでもして切り抜けようかと思った、その時だった。
「……シャビアン。あの子が君の前で口ごもる理由を、教えてやろうか?」
ケリオンは、私にとって絶対に断れない誘惑を差し出してきた。
私はずっと、シャビアンがただの恥ずかしがり屋だから言葉を詰まらせるのだと思っていた。でも、何か別の理由があるのだろうか? 酒も軽いし、もう一杯くらいなら問題ない。前に何杯か飲んだ時も平気だったし。
「何ですか?」
私は残っていた酒を飲み干した。シャビアンのことになると、あっさり自分のペースに巻き込まれる私を見て、ケリオンは意味深な笑みを浮かべた。
「飲んだな?」
「ええ」
「なら教えてやろう」
私の催促に、ケリオンはぽつりぽつりと口を開いた。
「あの子は七歳まで、母親と二人きりで閉じ込められるように暮らしていた」
「……」
「母親が亡くなってからようやく外に出た。だが、その頃には話し方がぎこちなくなっていてな……」
ケリオンはそこでわざとらしく言葉を切った。おい、そこで止めるなよ。
「もっと聞きたいなら、もう一杯飲め」
なんだその悪質な商売みたいなやり方は。……だが、気になるのは事実だ。仕方なく、私は差し出されたもう一杯を煽った。
「……外に出てからも、言葉がうまく出ないせいで、人と話すたびに笑われた」
「……」
「皇室で教育を受けて矯正したが、緊張すると今でも言葉に詰まる」
私は黙って空になった杯を見つめた。
そうか。シャビアンが時々言葉を詰まらせたり、言いたいことをうまく口にできなかったりするのは、ただの内気な性格のせいではなかったのだ。過去にそんな辛い事情があったからだったのか。
気の毒に思いながら視線を落としたその時、ふと頭の中に小さな疑問が浮かんだ。
でも、どうしてケリオンは「私の前でだけ」シャビアンが言葉に詰まることを知っているんだ? シャビアンは、私がいない時は普通に話しているように見えるのに。
「ですが陛下、どうして私の前でだけ殿下が言葉に詰まるとご存じなのですか?」
ケリオンは杯を空にしながら、人差し指で自分の頭を軽く叩いた。
「忘れているな」
「……はい?」
「あの子の記憶が消えていることを」
ケリオンはほとんど空になった酒瓶を眺めながら、妖しく微笑んだ。
「この酒の長所であり欠点だ。最初は軽く感じるが、後から一気に効いてくる」
その言葉を聞いた瞬間――急に、頭がぐらりと大きく揺れた。顔が一気に熱くなる。
とはいえ、まだ数杯しか飲んでいない。前回のような大失敗にはならないはず、そう自分に言い聞かせたが。
「私がなぜあなたに酒を飲ませたと思う?」
ケリオンは私が身構える間もなく、ぐっと距離を詰めてきた。彼が立ち上がった拍子に、座っていた椅子が後ろへ倒れ、ガタンと大きな音を立てる。
「君の記憶を、一度失わせてみたかった」
ケリオンの大きな手が伸び、私の顎を指でグイと持ち上げた。どこか痛みをこらえるように眉をひそめながらも、その鋭い瞳は獲物を狙う肉食獣のように私を見据えている。
頭の中を無理やりかき回されるような違和感と、強烈な酔いが混ざり合う。この感覚、以前の祝宴で味わったものと全く同じだ。
(本当に、記憶を失わせる酒だったんだ……!)
私はその異様な感覚を振り払おうとして、全力で身を引いた。だが、慌てたせいで足元がもつれ――。
ドサッ。
床へと無様に倒れ込んでしまった。
椅子が倒れる音と同時に、ケリオンが転びそうになった私の背中を素早く支える。そのまま意識を失いかけた私は、ケリオンの腕の中にすっぽりと収まる形になってしまった。
――ちょっと待て。この体勢、ロザリンを相手に何度も練習した「壁ドン」や「押し倒し」の形じゃないか。どうして私がやる側じゃなくて、やられる側になってるんだ!
「陛下、少々失礼します」
私はそのまま、ケリオンのすねを思い切りキックした。本当に酔いが回っていたのだろう。ふらつきながらも、なんとか立ち上がる。見よ、この窮地で放ったキックの切れ味を!
「……痛っ」
ケリオンは珍しく顔をしかめ、自分の足を押さえた。まあ、あれだけ鍛えている化け物だから大した怪我ではないだろう。
「腫れていないか確認しておきます」
ああもう。相手が敵国の皇帝だから手加減してやったのに。
私は軽く会釈をして、その場を後にした。視界は激しく揺れ、足取りは覚束ない。それでも私は半ば無意識に歩き続けた。向かう先は――私が一番安心できる、あの場所。
その頃。
ルウィンがケリオンと一緒にいるという報せを聞いたレシウスは、狂わんばかりの焦燥に駆られ、ケリオンの宮殿へと駆け込んでいた。
バンッ――!
巨大な扉が乱暴に開け放たれる。
「やっと来たか」
肩で息をしながら入ってきたレシウスを見て、ケリオンはベッドに腰掛けたまま、不敵に酒を傾けた。床に転がる椅子と酒瓶。その荒れた光景を見たレシウスの目に、すさまじい怒りが宿る。
「愚かだとは思っていたが……予想以上に愚かだな」
レシウスは床に落ちていた金色の勲章を一つ拾い上げた。ルウィンの服から落ちたものだ。
「ははっ。君だけか?」
ケリオンは、怒りに燃えるレシウスの目を見つめた。普段は温厚な皇帝として大人しく振る舞っているのが不思議なくらいだ。あの底知れない気性の激しさを、これまですべてどうやって抑え込んできたのだろうな。
「君はこれまで、自分のやりたいことを好きなようにやって生きてきた。そして、これからもそれができると思っているのだろう」
レシウスは床を転がる酒瓶を冷酷に蹴り飛ばしながら、一歩、また一歩と近づいた。
「だが、それは思い違いだ」
「思い違いだと?」
「私と出会った以上、その思い違いから目を覚ますべきだ。以前のようには生きられないのだから」
レシウスは、ケリオンがこの皇宮に来る前からすでに手を打っていたのだ。
「もう感じているはずだ。体が以前のようには――以前のようではなくなっていると、気づいているだろう?」
皇室は事前に情報を得ており、ケリオンを牽制するための神具を数多く周囲に配置していた。
「まあ、私を狙うのが君だということくらいは分かっていたがな」
「分かっていたなら、まだ救いようがあるな」
レシウスはケリオンの襟首をがっしりとつかみあげた。
「大戦で悪魔どもを打ち破れたのは、神の加護を受けた人間だったからだ。悪魔を討つために使われた道具が、今も残されているということだ」
この宮殿だけでも、魔力の流れを抑制する神具がいくつも設置されていた。そして『神の恩寵』という強力な神具は香水に偽装され、すでにルウィンへと贈られている。もちろん、レシウス自身もそれを常に身につけていた。
「今なら、この手で君の仮面を剥がしてやることもできそうだな」
レシウスは目を細めると、襟首をつかんでいない方の手をゆっくりと持ち上げた。『神の恩寵』がたっぷりと染み込んだ手だ。その神具に触れれば、悪魔は激しい苦痛を受け、ひどければ消滅すらする。ケリオンなら最終的には回復するだろうが、その間は人前に出られなくなるはずだ。そうなれば、二度とルウィンを呼び出してちょっかいをかけることもできなくなる。
「友人のことになると容赦がないな」
ケリオンは、レシウスの振り上げた手を見ながら忌々しげに舌打ちした。あれで温厚だというのだから恐ろしい。公爵は本当に純粋な人間に騙されているらしい。
「やってみろ。そうすれば公爵のところへ行って、お前の正体を全部話してやる。証拠もあるからな。今度こそ信じてもらえるかもしれないぞ」
ケリオンはレシウスの最悪の急所を的確に突いた。「公爵」という言葉を聞いた瞬間、レシウスの手から目に見えて力が抜ける。それを見逃さず、ケリオンは皮肉げに笑った。
「偽善ぶるのはやめろ。正直に言ってみろ……誰よりもそうしたいんじゃないのか?」
ケリオンは、いつもの芝居がかった口調を捨てて冷たく言い放った。彼は知っていた。ハイレン皇帝レシウスが、自分と同じ種類の人間だということを。欲しいものは力ずくでも手に入れ、自分の望みのためなら手段を選ばない、あちら側の人間。
「だが、君と私には決定的な違いがある」
レシウスは拳が白くなるほど強く握りしめていた手を、ゆっくりと緩めた。それはケリオンの言葉に納得したからではない。ただ、冷徹に理性を取り戻しただけだった。自分は、この獣のような男と同類にはなれない。
――どうせ近いうちに神殿から人が来る。わざわざ自分がここで手を汚す必要はない。
レシウスはルウィンの勲章を握り締めたまま、扉に手をかけた。そして静かに告げた。
「一つ勘違いしているようだ。その違いが、時にはすべてを変えることもある」
レシウスが外へ出ると、ケリオンの配下と入れ替わるように周囲を警戒していた影たちが緊張を解いた。重苦しい空気の中でも、レシウスは考え込んだまま皇帝宮へ向かって歩き続けた。
――『お前だって誰よりもそうしたいんだろう?』
自分が? ルウィンに対して?
違う。自分はあの獣のような男とは違う。ただ、誰よりもルウィンを大切にしたいだけだ。
「……ルウィン、何をしている?」
皇帝宮の自室に戻ったレシウスは、寝台の柱に寄りかかってうたた寝しているルウィンを見つけ、静かに声をかけた。
「公爵様が酔われたようでしたので……」
控えていた侍従が答える。「分かった。あとは私が見る」
酒に酔って頬を林檎のように赤らめた顔が、妙に愛らしく見えた。月明かりに照らされた彼女の細い首筋を見た瞬間、昔の記憶がふと脳裏をよぎる。あの白い首に自分の手を回した、あの日。白い首に残る、魔法による傷跡。そして、その傷に口づけた自分の記憶――。
レシウスは思わず拳を強く握り締めた。
「……レシウス?」
「うん」
「レシウス……?」
完全に酔っている。レシウスは小さくため息をついた。素面のルウィンを前にするだけでもこれほど心臓がうるさいのに、酔ったルウィンの相手など、正気でいられる自信がない。
「悔しい……」
「何が悔しいんだ?」
レシウスが優しく肩を抱いて寝台へ寝かせようとすると、ルウィンは不満そうに唇を尖らせた。
「これよ。私がどれだけ練習したと思ってるの。押し倒す体勢……」
その瞬間、ルウィンの手が目にも留まらぬ速さで動いた。
視界がぐるりと反転する。
気づけばレシウスは寝台に押し倒され、ルウィンがその上に覆いかぶさっていた。ルウィンが彼の両肩を押さえつける。思った以上に力が強い。酔っているせいで加減ができていないらしい。
「私がやるはずだったのに。どうしてあの人が……」
「……何を?」
「押し倒す練習……」
意味不明なことをブツブツと呟いていたルウィンは、そのまま満足したように首を傾け、すとんと眠り込んでしまった。
『お前も誰よりもそうしたいんだろう?』
ケリオンの言葉が何度も頭の中を巡り、レシウスの胸が苦しいほど高鳴る。顔が熱い。
自分は――。
「ルウィン……」
誰よりもそうしたい。それは事実だった。甘い果実酒の香りを纏い、自分の下で無防備に眠るルウィンを見下ろしたレシウスは、強く唇を噛んだ。
だが次の瞬間、彼はゆっくりと目を閉じた。そして、ルウィンの身体に優しく毛布を掛け直す。胸の奥で黒く渦巻く独占欲も執着も、すべて心の底へと押し殺して。ただ、彼女が幸せであることだけを願うと、あの日に決めたのだから。
「おやすみ」
レシウスは掠れた声でそう呟いた。隣で眠る彼女の前では、どうせ今夜もまともに眠れないだろう。それでも。
「いい夢を見ろ、ルウィン」
強く握り締めすぎて血の気が失せた手で、レシウスはそっとルウィンの柔らかな髪を撫でた。
そして、同じ夜のハイレン帝国離宮。
シャビアンは青白い顔のまま、寝室の中を何度も何度も歩き回っていた。
『いつ来るんだろう』
聞きたいことがあった。なぜ自分に嘘をついたのか。なぜ皇女と一週間も一緒にいたことを隠したのか。
だが、彼がどれだけ待ち焦がれても、待ち人はついに現れなかった。
夜が明けても。
眩しい朝の光が部屋を満たしても。
公爵は一度として、その姿を見せなかった。