ヤンデレを演技していたら本物に執着されました

ヤンデレを演技していたら本物に執着されました【55話】ネタバレ




 

こんにちは、ピッコです。

「ヤンデレを演技していたら本物に執着されました」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【ヤンデレを演技していたら本物に執着されました】まとめ こんにちは、ピッコです。 「ヤンデレを演技していたら本物に執着されました」を紹介させていただきます。 ネ...

 




 

55話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 一人の男として

「うっ……」

最近、胸の奥を激しく掻きむしるような不快感が続いていた。まるで、目に見えない空気そのものが、容赦なく私の肉体を押しつぶそうとしているかのようだ。

かつてバハート皇帝ケリオンと対峙した時や、死の地レクティスの境界に近づいた時にも覚えた、あの忌まわしい感覚。

(ここにはケリオンもいない。レクティスでもない。皇都のど真ん中なのに、一体どうして……?)

何の変哲もない賑やかな街並みの中、私は込み上げる吐き気を必死に堪え、喉を整えながら平静を装った。手にした果物籠を落とさないよう指先に力を込め、目的地へと歩みを進める。

たどり着いたのは、先日ロザリンと共に訪れた大劇場の裏手、劇団の拠点だった。

あの完璧な剣さばきを見せた役者について調べたところ、本来出演するはずだった専門の劇団が来られなくなり、代役として舞台に立っていたのだという。どうりで、全体の動線にどこかぎこちなさがあったわけだ。

「まあ。またいらしたんですか?」

建物へ入ると、劇団の関係者が困ったような、苦笑い混じりの表情で私を迎えた。休暇に入ってからというもの、毎日のようにここへ足を運んでいたからだ。最初は「ぜひ役者として我が劇団に!」などと目を輝かせていた彼らも、今や完全に引き気味である。

当然、彼らは私が「ルウェイン公爵」だとは夢にも思っていない。

(……完全に第一印象を台無しにしたな)

初回の公演中にボックス席から大笑いし、あろうことかその後は楽屋裏で悪口まで筒抜けに聞いてしまったのだ。不審者扱いされても文句は言えない。私はひとまず、慎重に声を落として切り出した。

「先日の舞台に出演していた、あの役者について教えていただきたいのです」

「それはちょっと……」

「終盤の劇で、舞台の左側で剣を振るっていた人物です。あの卓越した剣技を持つ方の正体を知りたくて、ここへ通っているのです」

「申し訳ありませんが、役者の身元はお教えできない決まりになっておりまして」

これまで何度も繰り返されてきた、にべもない拒絶。

私はあらかじめ賄賂代わりに買っておいた、瑞々しい果物の籠を差し出してみた。

「実に見事な果物ですが……やはりお教えすることはできません」

関係者は頑なに首を横に振る。

ふと見れば、パン帽子に髪を隠した女性スタッフが忙しそうに横を通り過ぎていった。劇団というのは、この保守的な大陸において、女性が堂々と働ける数少ない職場の一つでもある。

(仕方ない。こうなったら、少々照れくさいが奥の手を使うか……)

私はさりげなく腕を組み、前世で培った、できる限り格好よく見える「至高の決め顔」を繰了した。

「……申し訳ありませんが、どれほどイケメンな方に頼まれても無理なものは無理なのです」

関係者の鉄壁のガードは崩れなかった。

(はあ……少しくらい教えてくれたっていいじゃないか。取って食おうっていうわけでもないのに!)

「本当に申し訳ありません」

「いえ、いいのです。これは皆さんで召し上がってください。せっかく持ってきたものですから」

これ以上食い下がるのは紳士ではない。私は果物籠を手渡し、名残惜しさを抱えながら背を向けた。

ゆっくりと階段を下り、劇団をあとにしようとした、その時だった。

「あら、また果物?」

「ええ。どうせまたラテルを訪ねてきた人でしょ? 誰かに熱烈に好かれてるんじゃない?」

「何言ってるのよ。あの人、帽子を目深にかぶってたじゃない」

「でも、この前ちらっと横顔を見たけど、もの凄く格好いい人だったわよ」

関係者が果物を楽屋へ運んでいったのだろう。奥から女性たちの小さな話し声が、かすかに響いてきた。

(ん……? ラテル?)

私が探している人物は、まさに今、あそこにいるのではないか。階段にかけようとした足を、私はゆっくりと止めた。

それにしても、聞こえてくる声の主は全員女性のようだ。

「あなた、あの剣を振るう姿に惚れ込まれたんじゃない?」

「そうだよ! あなた、毎日誰よりも練習してるもん。ラテルの剣さばき、本当に本当にかっこいいよ!」

「……くだらないこと言ってないで。私はもう行くから」

――なるほど。そういうことか。

点と点が、脳内で綺麗に繋がった。

あいつは、女性だったのだ。

だから劇団側は、頑なにその身元を隠そうとしていたのだ。この世界において、女性が剣を扱うことは法律や悪習によって固く禁じられている。もし表沙汰になれば、彼女の役者人生だけでなく、劇団そのものが取り潰されかねない。

楽屋裏の扉が開くかすかな音を耳にした私は、すぐさま劇場の外へと回り込み、先回りを試みた。

そして――。

「少し、お話を……」

路地から現れた人物の前に、私は滑り込むようにして立ち塞がった。

そこには、大柄な兜を小脇に抱え、艶やかな紫色の髪を後ろで一つに束ねた、まだ少女と言った方がいい年齢の剣士が立っていた。

私の呼びかけに、少女――ラテルは不審そうに足を止める。

その、瞬間だった。

ドクン、と心臓が跳ね上がり、急激に視界がぐらりと揺れた。

目の前にいるはずのラテルの紫色の髪が、滲むように遠ざかっていく。

(……あれ?)

頭の芯が酷く熱い。

「うっ……!」

突然襲ってきた強烈な目眩と割れるような頭痛に、私は思わず近くの壁に手をついた。冷や汗が滝のように流れ落ちる。息苦しさに耐えかねて、首元のボタンを荒々しく引きちぎるように外した。

どう考えてもおかしい。私の肉体は、ソードマスターの気によって常に最高の状態に保たれているはずなのに。

内側から競り上がってくる吐き気から逃れるように、私は劇団の敷地を飛び出し、近くの薄暗い路地裏へと転がり込んだ。

床にしゃがみ込み、荒い呼吸を繰り返す。視界はぐるぐると反転し、意識が闇に引っ張られていく。

(私、一体どうしちゃったんだ……?)

ハイレン帝国に事実上編入された、かつての不毛の地バイウード。

その地を治めていた元伯爵の後継者は、現在、ベレン公爵家の配下として「子爵」の爵位を授かっていた。

「私の人生において、これが最高で最良の決断だったな」

爵位こそ下がったものの、領民を飢えから救い、確固たる繁栄の道を築いてくれたルウェイン公爵への感謝と尊敬の念は、日々増すばかりだった。彼は城壁の頂に立ち、風にたなびくベレン公爵家の狼の旗を誇らしげに見上げていた。

「……! あれは……何だ!?」

子爵は突如、北方の地平線を見つめて絶句した。

遥か彼方、天を衝くレクティス山脈の全貌が、見たこともない漆黒の砂嵐と魔気の渦に飲み込まれ、空を真っ黒に染め上げていく。

(間違いない……レクティスの試練が、始まったんだ!)

ただの不毛の地だったバイウードが、真の価値を現す時が来たのだ。この伝説に魅了され、数々の古文書を読み漁ってきた彼には分かった。これは単なる魔獣の大量発生などではない。天が開いたかのような、神話の時代の到来。

「おい! 早く、その望遠鏡をこちらに貸せ!」

部下から望遠鏡をひったくるように奪い取り、レンズを覗き込む。

「ミスリルだ……。ついに、ミスリル鉱山を開発できるぞ!」

古文書の記述通りだった。レクティスの本格的な試練に挑むだけの『大いなる資質を持つ挑戦者』が現れた時、大地の地殻が変動し、伝説の希少鉱石であるミスリル鉱脈の洞窟が姿を現す。

その洞窟の出現予測位置は、まさに現在のバイウード領内だった。

「だから申し上げたでしょう、閣下。この地を手に入れれば、必ずやベレンの、そして貴女様の役に立つと……」

子爵は望遠鏡から目を離し、狂喜に満ちた笑みを浮かぜた。

(割れた……)

路地裏のコンクリートにうずくまりながら、私は頭の奥で何かが弾け飛ぶ音を聞いた。

バイウードで手に入れたシャビアンの装身具――その魔力を加工した残りの破片を、万が一の時の呪いの感知器としておばさんに預けておいたのだが、それが粉々に砕け散ったのだ。

世界に満ちていく、圧倒的な量の魔気。

腹痛と激しい頭痛に耐えかねて地面をのたうち回る中、私の指先に、今までになかった「奇妙な感触」が絡みついた。

(……え?)

長い。あまりにも長い。

目を開けると、視界の先で、光を湛えた赤みがかった美しい長髪が、泥まみれの地面に広がっていた。

首元を触る。喉仏が消えている。骨格が、肉体が、劇的な変化を遂げていた。

(嘘でしょ……まさか、私にかけられていた『男になる黒魔法』が、完全に解けちゃったの!?)

ケリオンが言っていた魔気の嵐が、本当に皇都にまで届いてしまったのだ。

しかし、驚愕している暇はなかった。

(なんでよりにもよって、こんな街中で元の姿に戻っちゃうわけ!?)

ここはハイレン帝国の首都の往来のすぐ近く。もし「ルウェイン公爵は実は女だった」などと知られれば、帝国はおろか大陸中がひっくり返る大スキャンダルになる。

私は必死に気を失いそうになる意識を繋ぎ止め、衣服の長すぎる袖を引き裂き、裾を素早くまくり上げた。さらに、現れた白く滑らかな肌を隠すため、地面の泥や土を顔や服にこれでもかと塗りつける。これなら、ただのみすぼらしい浮浪者にしか見えないはずだ。

(とにかく……ロザリンたちのいるあの廃屋までたどり着かなきゃ。そこでバロンを召喚すれば……!)

力が入らない脚を叱咤し、壁に手をかけて立ち上がろうとした瞬間、激しい目眩でバランスを崩した。

地面に叩きつけられるかと思った私の体を、誰かが背後から力強く支えた。

「……紫色の髪?」

ぼやける視界の先、驚いたように目を見開いているのは、さっきまで私が追い回していた次期ソードマスター候補――ラテルだった。

大陸中にその名を轟かせる「狂犬公爵」たる私が、まさかこんな無様な姿を晒すことになるなんて。

「……な、何をしているんだ、お前?」

ラテルは困惑したように私を見つめ、私の懐や服のあちこちを手探りし始めた。

(うわ、ちょっと待って。私がいま、見るからに浮浪者みたいな格好だからって、容赦なくスリを働こうとしてるわけ? ひどくない?)

「身分証明書は持っていないのか?」

「ある……わけ、ないでしょ……」

家に置いてきたし、そもそも「女の姿」の私を証明する書類など、この世のどこにも存在しない。

「……そうか」

ラテルは私を上から下まで見つめ、小さく溜息をついた。地面に座り込む私の姿は、どう見ても行き倒れの浮浪女にしか見えなかったのだろう。

「なあ。私が身分証を探していた理由が分かるか?」

ラテルは路地の向こう、大通りの喧騒を指差した。

「治安部隊が今、この区画の路地を完全に封鎖して、一人ずつ徹底的な身元確認を始めているんだ。突破は無理だぞ」

「どうして……そんなこと……」

「さあな。またどこかの馬鹿な貴族様が騒ぎでも起こしたんだろ。泥棒が入ったとかさ」

(よりによって今日、このタイミングで検問が始まるなんて!)

私は塀の陰からそっと顔を出し、鋭い眼光で警備の布陣を確認した。

(……駄目だ。ここを強行突破するのは不可能に近い)

かつて子爵が皇宮から脱走した事件の後、不審者を絶対に逃がさないための鉄壁の網を敷いたのは、他ならぬこの私、ルウェイン公爵だった。

まさか、自分が張った最高精度の罠に、自分自身が引っかかることになるなんて。もっと手を抜いて適当な警備体制にしておけばよかった!

「おい! そこにいる紫髪の奴、止まれ!」

その時、私を置いて一人で塀を乗り越えようとしていたラテルが、運悪く警備兵に見つかってしまった。

(おいおい、薄情な奴だな。私を置いて一人で逃げる気だったのね?)

「こっちだ!」

私は塀に手をかけていたラテルの腕を掴み、力任せに引きずり下ろした。ラテルは「何をするんだ!」と怒りの表情を浮かべたが、私は首を振る。

これは私が構築した警備体制だ。そんな安易な逃げ方をすれば余計に怪しまれて即座に包囲される。ここは、私に任せてもらうしかない。

「顔を上げろ!」

近づいてくる複数の足音に向け、私は泥に汚れた顔をゆっくりと上げた。

「身分証を提示しろ!」

「持っていません」

服はボロボロに裂け、顔は泥だらけ。どう見ても最底辺の浮浪者である私が、あまりにも堂々と、かつ気品を孕んだ声で「ない」と言い放ったため、警備兵たちは一瞬面食らった。

「ないなら、まずは警備隊の詰所へ連行する! 来てもらおうか!」

「……私を連行したことを、後で骨の髄まで後悔することになりますよ」

吐き気のせいで意識が飛びそうだったが、私は持てる全ての気迫を総動員し、傲慢な貴族特有の冷徹な笑みを浮かべた。その瞬間、空気が凍りつき、警備兵たちは本能的な恐怖から一歩後ずさった。

「ど、どうして後悔するというのだ!?」

浮浪者の女に気圧されたことが悔しかったのか、兵士は槍で地面を強く叩いて虚勢を張る。

真実を隠し通す最も鮮やかな方法は、真実をほんの少しだけ歪めて提示することだ。

「私は――先代ベルウェン公爵の、私生児です」

「な、何だと……?」

「つまり、現ベルウェン公爵の、異母姉にあたる人物ということです。公爵様は私の存在を深く隠匿しておられました。ですから、私には公的な身分証がないのです」

私は、懐に残っていた唯一の私物――上品な絹のハンカチを差し出した。平民の格好をしてはいるが、その隅には、紛れもないベレン公爵家の狼の紋章が精巧に刺繍されている。話し方も、旅の間使っていた平民の崩れた口調から、最高位の貴族が使う完璧な洗練された宮廷言葉へと切り替えた。

「このハンカチだけでは証拠にはなりませんが……うっ」

あまりの体内の拒絶反応に、私は思わず口を押さえてよろめいた。足元がぐらぐらと揺れる。

「公爵様は、ご自身のプライベートを騒がれることを何よりも嫌悪されます。……もし私を詰所へ連行し、この事実が世間に漏洩した場合、公爵様が貴方たち二人をどのようになさるか、想像がつきますね?」

警備兵たちの目が、侮蔑から恐怖、そして「もしかして本物なのでは」という確信の混じった疑心暗鬼へと変わっていった。上品な言葉遣い、そして何よりハンカチの最上級の手触りと公爵家の紋章。

「……おい、念のため、このまま通してやった方が安全じゃないか?」

「ああ。見たところ酷く具合も悪そうだし、泥棒には見えない。もし本当に公爵の身内だったら、俺たちの首が飛ぶぞ」

兵士たちは顔を見合わせ、私たちを放免することを決めた。

他の不審者を追う警備兵たちの背中を見送りながら、私は限界を迎え、ラテルの体に完全に体重を預けた。

「あなた……本当にあの狂犬公爵の異母姉なの?」

路地裏の闇に紛れながら、ラテルは私をずるずると引きずり、背中に背負い直した。

「あの公爵、身内にお金をくれないわけ? ……もしかして、不治の病にかかったからって、屋敷を追い出されて捨てられたの?」

ラテルがぶつぶつと毒づく。汗でぐっしょりと濡れ、青白い顔で荒い呼吸を繰り返す私は、彼女の目に「死期が近い哀れな重病人の貴族令嬢」として映ったのだろう。

「はあ……また熱が上がってきてる。全く、なんでこんな……」

文句を言いつつも、ラテルは私を落不さないようしっかりと抱き抱えてくれた。

(ちょっと、もう少し優しくして……そうすれば、吐き気も少しは……)

その瞬間、強烈な目眩と共に、完全な暗闇が私の意識を呑み込んだ。空がぐるりと反転する。

「おい……! しっかりしろ!」というラテルの焦った声を最後に、私は深い泥の中へと沈んでいった。

ハイレン帝国の美しい皇都。

中央広場の噴水の縁に腰掛け、長い脚を退屈そうに投げ出していたのは、皇子レシウスだった。

『今日の仕事が終わったら、街で一緒に遊ぼう』

そう言って、今日ルウェインと二人きりで街に出る約束をしていたのだ。しかし、約束の時間をとっくに過ぎ、太陽が傾き始めても、最愛の親友であり恋い焦がれる男(ルウェイン)は姿を現さない。

レシウスはついに辛抱たまらず立ち上がり、焦燥感を露わにして噴水の周りを歩き回った。

「あのルウェインが、待ち合わせに遅れるなんて絶対にあり得ない……」

二人きりで過ごしたいというルウェインの要望を受け、周囲を護衛していた「影」の部隊も全て遠ざけてしまっていた。影たちを呼び戻そうと、レシウスが手を上げかけた、その時だった。

「おい、万が一のことがあったらどうするんだ? 本当にベルウェン公爵の隠し子の異母姉だったら、俺たちの命はなかったんだぞ」

「だって、あの気品と公爵家のハンカチを見たら、疑いようがないだろ……」

広場を通りかかった治安兵たちの不用意な会話が、レシウスの並外れた聴覚に引っかかった。

(ベルウェン公爵の……隠された異母姉?)

ドクン、とレシウスの心臓が不吉な音を立てる。直感が、彼の全身の血を沸騰させた。

――ルウェインの身に、何かが起きた。

「おい、そこの二人。ちょっと待て」

レシウスは音もなく治安兵たちの前に立ち塞がった。その身から溢れ出る圧倒的な威厳と覇気に、兵士たちは言葉を失う。レシウスが有無を言わせぬ口調で問いただすと、恐怖に駆られた兵士たちは、さっき路地裏で起きた出来事を全て白状した。

――泥だらけでボロボロの服を着た、息を呑むほど美しい、赤みがかった長髪の女性。

――自分はベルウェン公爵の異母姉だと名乗り、公爵家のハンカチを持っていた。

――尋常ではないほど体調が悪そうだった。

兵士たちの証言を聞くうちに、レシウスの端正な顔は見る見るうちに怒りと焦燥で険しく歪んでいった。

ルウェインにかけられていた黒魔法が、何らかの理由で解けてしまったのだ。数字、彼女は今、女の姿のまま、病人のように衰弱している。

「その女性は、どちらへ向かった」

「は、はい……あちらの、一般住宅街の方へ……紫色の髪をした劇団の役者のような人物に、付き添われて、歩いていきました……」

治安兵が指差した先を見つめ、レシウスは奥歯が砕けんばかりに噛み締めた。

そこには、何百軒もの古い家々が密集する広大な居住区が広がっている。

(影の部隊を使うわけにはいかない……)

ルウェインが女性であるという絶対の秘密は、ベレン家の影たちにも決して知られてはならない。レシウスは即座に、自分単独で彼女を捜索することを決意した。紫色の髪の同伴者。それだけが唯一の手がかりだ。

「貴様たちの口を封じる必要はない。……だが、今聞いた話を一言でも他人に漏らせば、どうなるかは分かっているな?」

「ひっ……は、はい!」

社交界の根も葉もない噂として処理すれば問題ない。レシウスは治安兵たちに背を向け、弾かれたように住宅街へと走り出した。

密集する何百もの扉を前に一瞬だけ立ち尽くしたが、彼の緑色の瞳に迷いはなかった。

「必ず見つける。……待っていてくれ、ルウェイン」

ローブのフードを深くかぶり、レシウスは一軒一軒、民家の扉を激しく叩き始めた。

再び目を開けた時、私の額にはひんやりとした濡れ布巾が載せられていた。

顔の半分がしっとりと濡れていて、妙に心地いい。

(……あれ? 誰かが看病してくれたの?)

「あ、起きた!」

「本当だ。私が見てた通りに起きたよ!」

ぼんやりとした視界の向こうから、鈴を転がしたような幼い子供たちの声が聞こえてきた。せいぜい五、六歳といったところだろうか。あまりにもほのぼのとした光景に、一瞬、前世の夢でも見ているのかと思った。

重いまぶたを完全に持ち上げると、ベッドの周りを、頬をぷっくりと膨らませた可愛い女の子たちが取り囲んでいた。

「わあ、眠り姫さまだ!」

「違うよ、もう起きちゃったから、ただのお姫さまだよ!」

ふと自分の体へ視線をおとすと、泥だらけだった体は綺麗に拭かれ、服も着替えさせられていた。私が身にまとっていたのは、ゆったりとした純白の寝間着。男装用の硬い衣服とは違い、肌に吸い付くような感覚は、まるでロザリンが好むドレスのようだ。

(何これ……?)

寝間着の袖の生地に触れて、私は驚愕した。

「……もの凄い高級品じゃない、これ」

幼少期から最高級の品々だけに囲まれて育ったベレン公爵の指先が、その生地の価値を正確に計り知る。平民が手に入れられるような代物では断じてない。

「このお洋服、ラテルお姉ちゃんのものなの?」

「ううク! これはロズお姉ちゃんの上着だよ!」

「そうだよ! ロズお姉ちゃんが、私たちにって、たくさんお洋服を持ってきてくれた中の一つなんだよ!」

小さな侍女たちは、自分にできる精一杯の大きな丸を両手で描きながら、ふっくらした頬を綻ばせて自慢げに笑った。

(ああ、可愛い……癒される……)

子供たちの無邪気な会話に心を奪われそうになりながらも、私は窓の外の月明かりを見て、ハッと現実を思い出した。

(しまってい……レシウスだ! 街の広場で私を待っているはずなのに!)

一刻も早くここを出なければならない。しかし、この完全に女性の姿に戻ってしまった状態では、一歩たりとも外へ出るわけにはいかなかった。

「だめだよ、立ち上がっちゃ!」

「そうだよ、病気なんだから、ちゃんと横になってて!」

ベッドから下りようとした私を止めるように、幼い子供たちがもぞもぞとベッドの上へよじ登ってきた。どうやら、彼女たちにとってこの看病は、最高に楽しい「お姫さまごっこ」の延長線上にあるらしい。

頼むからみんな、一度降りてくれないかな。今の私の体は、鉛のように重くて指一本動かすのも億劫なのだ。

「お姉ちゃんのほっぺ、ふわふわして気持ちいい!」

「髪の毛もすっごく綺麗!」

「あれ? でも、おててには剣ダコがいっぱいあるよ? ラテルお姉ちゃんみたい!」

小さな手のひらで私の手を握る子供たち。私は諦めて、再びシーツの中に体を沈めた。マットレスがぐるぐる回るような残る目眩の中、(レシウスが待っているのに……)という思考だけが虚しく空回りする。

その時、部屋の扉が静かに開いた。

「もう! あなたたち、大人しく看病してあげてって言ったでしょ? 寄ってたってたかって、お姉ちゃんをいじめてどうするのよ」

食事を載せたお盆を両手に持ったラテルが、部屋に入ってきた。子供たちは「はーい!」と元気よく返事をしながら、蜘蛛の子を散らすようにベッドから降りていく。

ラテルは、再び苦しげに目を閉じた私を見つめ、小さくため息をついた。

「はぁ……」

ベッドの中で病気の子犬のように小さく丸まっている私の姿は、あまりにも痛々しかったのだろう。泥を洗い流した私の素顔は、ラテルが息を呑むほどに美しく、隠しきれない高貴な気品に満ち溢れていた。しかしそれとは裏腹に、彼女の手のひらは戦士としての過酷な修練を物語るように固く荒れている。

(本当に不治の病にかかって……あの冷酷なベルウェン公爵に捨てられちゃったんだな……)

ラテルは完全に、私が「公爵の哀れな異母姉」であるという嘘を信じ込んでいた。

「うぅ……」

体内で暴れる魔気の残滓のせいか、私は無意識に苦しげな声を漏らした。それを見たラテルは、自身の紫色の髪をがしがしとかき上げる。

「ああ、もう……なんでこんなに放っておけないのよ。……さっさと追い出さなきゃいけないのに」

ただでさえ配給が厳しく、口の多い孤児院だ。こんな素性の知れない、おまけに貴族の厄介者を連れ込んでしまった自分に腹が立つ。いくら顔が綺麗だからって、長居させるわけにはいかないのだ。この孤児院の最年長であるラテルは、もう一度大きな溜息をついた。

――ドンドン!!

その時、静まり返った孤児院の玄関の扉が、激しく叩かれる音が建物中に響き渡った。

「もう、こんな夜中に誰よ……みんな起きちゃうじゃない!」

文句をブツブツと言いながら、ラテルは足音を忍ばせて廊下を進み、重い木製の扉を開けた。

「夜分遅くに恐れ入ります。こちらで、ある人を探しているのですが……」

そこに立っていたのは、生まれながらにして世界の頂点に立つ者にしか許されない、絶対的な威厳をまとった美青年だった。その燃えるような鋭い緑色の瞳が、真っ直ぐにラテルを射抜く。

そして男の視線は、居間の椅子に無造作に掛けられていた「泥まみれの裂けた衣服」へと向けられた。

私が脱ぎ捨てた、あの公爵の服だ。

「……見つけた」

男はローブのフードを静かに脱ぎ払った。皇子レシウスだった。

どれほどあちこちの路地を駆け回って探していたのか、彼の仕立ての良い衣服は誇りまみれになっていたが、その瞳だけは寸分の揺らぎもなく、狂気的なまでの安堵と情熱を宿していた。端正な顔立ちから放たれる圧倒的なオーラに、ラテルは完全に気圧される。

「ベルウェン公爵の異母姉君が、こちらに保護されていると治安兵から聞きました」

レシウスは、爆発しそうな胸の動悸を必死に押し殺しながら、極めて紳士的に、しかし拒絶を許さない声音で尋ねた。

「その方の元へ、私を案内していただけますか」

ついさっきまで私を厄介者扱いしていたラテルだったが、目の前の超絶的な美青年の登場に、完全に固まってしまった。

(何この人……信じられないくらいの美形。……もしかして、このお姉さんの、恋人?)

冷徹な雰囲気をまとっていた青年が、私の安否を心配するあまり、今にも泣き出しそうな、それでいて必死な表情を浮かべているのを見て、ラテルは無言で頷いた。

「……こちらです」

ラテルに導かれ、レシウスは孤児院の階段を上った。ラテルが気を利かせて一階へ戻っていくと、レシウスは部屋の扉の前で、自身の拳を白くなるほど強く握りしめた。

戦場であらゆる死線を潜り抜けてきた彼が、たった一枚の木製の扉を開けることに、これほどの恐怖と緊張を覚えるなんて。

きぃ……。

静かに扉を開け、レシウスは部屋へと足を踏み入れた。

月明かりが差し込む窓辺。風に揺れるカーテンの隙間で、彼が焦がれ続けた、赤みがかった美しい長髪がふわりと揺れた。

「ル……」

思わずその最愛の名を呼びかけた唇を、レシウスは途中で止めた。

ベッドの上の私。月光に照らされた私の白い横顔は、状況を瞬時に理解し、静かに目を細めて彼を見つめ返した。

私は、自分が女の姿であること、およびそれをレシウスに見られてしまったことに動揺し、初対面の他人のフリをしてこの場を逃げ出そうと、ベッドの下へ脚を下ろしかけた。

しかし、レシウスが口を開いた瞬間、私の動きは完全に凍りついた。

「……初めまして、お嬢様」

よそよそしく、しかしこの上なく恭しい挨拶。レシウスは、私が「ベルウェン公爵の異母姉」という嘘の仮面を被り続けるつもりなら、その大根役に喜んで騙される道を選んだのだ。

レシウスはベッドの傍らに進み出ると、流れるような動作でその場に片膝をつき、深く頭を垂れた。

「偶然、治安部隊の検問での話を耳にいたしました。そこで、貴女様がベルウェン公爵の隠された異母姉君であることを知ったのです」

「……」

「私は、貴女様の異母弟であられるベルウェン公爵の、唯一無二の親友。……お身体が優れないと聞き、貴女様をお助けするために参上いたしました」

私たちは、ただの「男同士の親友」として、あまりにも長い時間を過ごしすぎてしまった。

そして、現実に横たわる「ベルウェン公爵は男でなければならない」という鉄の掟が、二人の未来を阻んでいる。だからこそ私は、彼を友人以上の存在として見ないよう、必死に心を鬼にして彼を遠ざけ続けてきたのだ。

あなたが私を遠ざけ、私たちはただの友人でいるべきだと、その仮面を外さないというのなら。

ならば私は、そのルールに従おう。

騎士が、生涯をかけて愛する唯一の主君に不滅の忠誠を誓うように。

月明かりの下、レシウスは私の白く細い手を取り、自身の大きな手のひらで包み込んだ。

鍵て、厳かに、愛おしさを隠すことなく、自らの唇をその手の甲へと寄せた。

「私は、レシウス・ド・ハイレンと申します」

友人の仮面を被ったままでいい。だが、ここからは私から近づこう。

ただの友人としてではなく――貴女を愛する、一人の男として。

 



 

 

  • 「男になる黒魔法」の完全な解除

    レクティス山脈の地殻変動と試練の開始に連動して皇都に莫大な魔気が満ち、主人公にかけられていた魔法が強制解除。本来の「赤みがかった長髪の女性の姿」へと戻ってしまいました。

  • 「公爵の異母姉」という偽りの身分

    女の姿のまま検問に引っかかりそうになった主人公は、とっさに「ベルウェン公爵の隠された異母姉」と名乗り、居合わせた次期ソードマスター候補の少女・ラテルの孤児院へと保護されました。

  • レシウスの「男としての選択」

    必死の捜索の末に主人公を見つけ出したレシウス。彼は彼女が女の姿であることに気づきながらも、主人公の意図(公爵は男でなければならないという鉄の掟)を汲み取り、あえて「異母姉君」という芝居に付き合いながら一人の男として向き合う決意をしました。

 

 

【ヤンデレを演技していたら本物に執着されました】まとめ こんにちは、ピッコです。 「ヤンデレを演技していたら本物に執着されました」を紹介させていただきます。 ネ...