シンデレラを大切に育てました

シンデレラを大切に育てました【236話】ネタバレ




 

こんにちは、ピッコです。

「シンデレラを大切に育てました」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【シンデレラを大切に育てました】まとめ こんにちは、ピッコです。 「シンデレラを大切に育てました」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介...

 




 

236話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 調査報告

新しい領主の到着によって、屋敷の中はどこか落ち着かない雰囲気に包まれていた。

それから数日が過ぎても、人々は“領主”という存在にまだ慣れておらず、どう振る舞えばいいのか分からずに戸惑っていた。自分の行動に何か問題があるのではないかと不安になり、誰もがどこか怯えている様子だった。

(まったく、これじゃ年末まで落ち着かないままだな――)

カルはそう思いながら、庭を横切って歩いていた。もしかすると、年末を待たずにすべてが終わるかもしれない。執事のウィリスの話では、新しい領主は使用人全員を気に入らなければ、全員を解雇するつもりらしいのだから。

「ウィドス」

そのとき、庭の向こうから新しい領主が姿を現した。今日はいつも隣にいる、派手な見た目の夫の姿がなかった。カルは一瞬、彼女がミルドレッドだと気づかずにぼんやりしてしまい、慌てて頭を下げて挨拶した。

「おはようございます、領主様」

彼女がまだ都にいた数年前までは、都の女性たちはふんわりとした大がかりなスカートを身にまとっていたものだが、流行が過ぎたのか、現在の領主の装いは簡素だった。広がりのないスカートに、シンプルな形のシャツ。上に羽織ったショールは、やや華やかな柄ではあったが。

「おはようございます」

そう挨拶を返すと、ミルドレッドはすぐにカルの方へ歩み寄った。挨拶だけして立ち去ると思っていたカルは、予想外の行動に目を丸くした。

「散歩ですか?」

「ええ。朝食を食べ過ぎたので、少し消化しようと思って」

ミルドレッドの言葉に、カルの頭には、料理人のアンナが張り切って用意していた朝食の光景が浮かんだ。「量が少ない」と小言を言われたのが悔しくて、アンナはつい張り切って皿を並べてしまったのだ。カルはくすりと笑いながら言った。

「ほどほどに断るのがいいですよ。アンナは加減を知りませんから」

「たしかに、そうね」

ミルドレッドは「野菜も出して」と言った結果、大皿いっぱいに盛られて出てきた山盛りの野菜を思い出した。野菜だけでお腹がいっぱいになるほどの量だった。

彼女はカルの後をついて歩きながら、庭を進んだ。建物から少し離れたところで、ふと口を開く。

「この屋敷で一番親しい人を挙げるとしたら、誰ですか?」

「親しい人、ですか?」

カルの顔に苦笑が浮かぶ。親しいも何も、みんなただの同僚だ。そう答えかけて、相手が領主であることを思い出し、慎重に言葉を選んだ。

「皆、似たようなものです」

「執事はどうです? 親しくはないんですか?」

「わざわざ“この屋敷で一番近しい人”を挙げるとすれば――それなら、ウィリスですね」

「そう」

ミルドレッドは小さくうなずいた。その答えはカルだけでなく、ハウスキーパーのモリーや料理人のアンナも同じだった。彼女は少し遠くを見つめてから、再び問いかけた。

「エマートには家族がいないと聞きましたが」

「はい。前の領主様が連れてこられた方です。何でも、領主様に命を救われたとか」

「ウィドスは? あなたには家族はいるの?」

「います」

ミルドレッドが視線で先を促すと、彼はほんの一瞬困ったような表情を浮かべてから答えた。

「兄の家族が、ここから少し離れたアセナに住んでいます」

「では、休みのたびにアセナへ帰っているのね」

「ええ、そうです」

何か引っかかるような表情で、ミルドレッドは小さく首を振った。そして続けて言った。

「エマートは一度も休暇を取っていないそうですね」

「仕事熱心な人ですから。……もちろん、他の人や私が適当に働いているわけではありませんが」

「そうでしょうね」

やはり領主だからだろうか。カルは建物へ戻っていくミルドレッドの背中を見ながら、複雑な気持ちになった。どう接すればいいのか分からない女性だった。貴族には何度か会ったことがある。前の領主も貴族だった。

それでもミルドレッドは違う。距離感がまったくつかめないのだ。

そのとき、彼の横を誰かが足早に通り過ぎ、声をかけてきた。

「ウィドス」

振り向くと、どこかへ出かけていたらしい領主の夫、ダニエルが庭を横切って屋敷へ戻っていくところだった。

カルの視線の先で、建物に入ろうとしていたミルドレッドが夫に気づいて立ち止まった。すぐに二人は軽く口づけを交わし、カルは思わず首を振った。

新婚だと聞いている。そりゃあ仲がいいはずだ。毎晩、領主の入浴中に夫が様子を見に来るとも聞く。もちろん、それだけで終わるとは思えないと、侍女たちがひそひそ話していたのを思い出す。

「手紙は無事に届きそうですか?」

ミルドレッドは、かかとを地面につけたまま、背伸びするようにしてダニエルに尋ねた。背の高い彼にキスをするには、彼が腰をかがめても、彼女自身が少し足を伸ばさなければならなかった。

ダニエルは、彼女がよろけないように支えていた腰の手を少し緩めながら答えた。

「ええ。急ぎで出しましたから、四日ほどで子どもたちのところに届くはずです」

本来なら急ぎで送る必要はなかったが、母親とこんなに長く離れるのが初めての子どもたちのために、ミルドレッドはできるだけ早く知らせてあげたかったのだ。それに、リリーの質問にも早く答える必要があった。

「その子はどうですか?」

ダニエルは自然にミルドレッドの腰に腕を回したまま、彼女を執務室へ案内しながら尋ねた。この土地も気に入ってはいるが、やはりミルドレッドと彼を悩ませる使用人たちは少なからず存在する。とはいえ、都のように四六時中母親を求めてくる三人の娘がいない分、いくらかは気が楽でもあった。

ダニエルは、もう少しここに滞在しようかと一瞬考えたが、すぐに思い直した。都に戻れば、アイリスの結婚式の準備をしなければならない。ミルドレッドもそれに反対する理由はなかった。

「さあ、どうかしらね」

ミルドレッドの視線は、ちょうど建物の中に入ってくるカルと、彼に近づいていくウィリスへ向けられていた。彼女は小さく肩をすくめて言った。

「逃げないか、よく見ておいたほうがよさそうね」

それは難しいことではない。ダニエルはミルドレッドと一緒に彼女の執務室へと入っていった。そして、有能な妻に付き従う“専業主夫”のような生活も悪くないな、などとぼんやり考えるのだった。

――もっとも、それも都へ戻るまでの間だけだが。

「領主様とは、どんなお話を?」

カルが屋敷の中に入ってくると、ウィリスがすぐについてきて尋ねた。カルは肩をすくめて答える。

「たわいもない雑談だよ」

「屋敷のことや、他の人のことは、話されなかったんですか?」

新しい領主の到来で、確かに皆どこか浮き足立っている様子だった。どこかそわそわした空気が漂っている。

カルはちらりとウィリスを見た。彼は新しい領主が来てからというもの、彼女が誰と何を話し、どこへ行くのかを細かく気にしている様子だった。

もっとも、それはウィリスだけではない。モリーも、アンナも、そしてカル自身も同じだった。実際カルは、もし解雇されるくらいなら、その前に自分から辞めた方がいいのではないかとすら考えていた。

自分でも分かっている。最近の仕事に、少し気の緩みがあったことを。都会から来た厳しい女性なら、カルのこれまでの仕事ぶりを気に入らない可能性は大いにあった。

「お前はどうだ? 領主様は、お前や他の人のことについて何か話してなかったか?」

カルの問いに、ウィリスの顔に困ったような表情が浮かんだ。予想どおり、ミルドレッドはカルだけでなく、モリーやアンナ、他の上級使用人についても質問していたのだ。ウィリスのその歯切れの悪い表情を見て、カルは眉をひそめた。

しかし、すぐに声を整えて言った。

「……何て言われた?」

「いや、別に……」

「ただ流されたってことか? 気に入らないとも言われなかったのか?」

少しの沈黙が流れた。ウィリスの表情に浮かんだ“答え”を見て、カルの顔が再び険しくなる。

「……ちっ。やってられるかよ。こんなとこ、さっさと辞めてやる」

「カル……」

ウィリスは困ったようにその名を呼んだが、カルの心はもう決まっていた。

「いいさ。アセナに行けば何とかなる。お前も来る気があるなら、一緒に来いよ」

家族のいるカルとは違い、ウィリスには頼れる身寄りがない。ここを追い出されれば行き場もなくなる彼のことを思っての提案だった。

だが、ウィリスは静かに首を横に振った。

「私はここに残ります。アセナに行っても、結局はあなたの足手まといになるだけですから」

「本当にいいやつだな……」

カルの顔に一瞬、やりきれないような表情が浮かんだが、それはすぐに消えた。彼は少し寂しげにウィリスの肩を軽く叩く。

「……あの女にクビにされたら、いつでもアセナに来いよ」

「はい。……それより、領主様は何を?」

話題は元に戻る。カルは顎をさすりながら答えた。

「いろいろだ。お前のことも聞かれたぞ」

「私のことを?」

「そんな顔するな。仕事ぶりについてだ」

「そうか……」

ウィリスの顔にうっすらと笑みが浮かんだ。彼は満足そうに軽くうなずいた。

だが、カルが不安に思っていた瞬間は、思っていた以上に早くやってきた。

翌日、ウィリスが青ざめた表情で彼を呼びに来たのだ。

「ポスター夫人を見ましたか?」

「モリーを?」

カルの頭に、いつものように腰の鍵をジャラジャラと鳴らしながら食料庫へ向かう彼女の姿が浮かんだ。カルは肩をすくめる。

「食料庫にいないのか? どうした?」

「領主様がお呼びです」

領主が? カルの顔も自然と引き締まる。彼女がこの屋敷に来てから、使用人を一斉に呼び出すのは初めてのことだった。

「……まさかな」

「嫌な予感しかしないな……」

ウィリスの覇気のない一言に、カルも一気に気が重くなった。やはり解雇か――だが構わない、アセナに行けばいい。そう自分に言い聞かせながら、彼はくるりと踵を返す。

「執務室に行けばいいんだな?」

「はい。私はポスター夫人を探してから向かいます」

カルが一緒に行こうとしたが、ウィリスは首を横に振って奥へ消えていった。彼の背を一瞬見送ってから、カルは執務室へと向かった。

「……領主様」

扉をノックすると、中からすぐに応答があり、扉が開いた。中へ足を踏み入れた瞬間、カルは思わず目を見開いた。

屋敷で働く使用人たちが、すでに全員集められていたのだ。

――どうやら、自分は三番目に遅れて来たらしい。

そう思った瞬間、カルはモリーの姿を見つけた。

あれ? ウィリスが探しに行ったはずじゃ……。声をかけようとした、そのときだった。

「全員そろったな」

入口の横に立っていたダニエルがそう言い、静かに扉を閉めた。そこにいたことすら気づかなかったカルは、思わず目を見張る。

ダニエルはゆっくりと歩き出し、まるで場を支配するかのように堂々とした足取りでミルドレッドの隣へ向かった。自然と、集まった使用人たちの視線が彼を追い、そしてそのまま机の前に座るミルドレッドへと集まる。

あの巨体なら押しつぶされてもおかしくない――カルは一瞬そんなことを思ったが、ミルドレッドは微動だにしなかった。

集まった全員の前で、彼女は変わらぬ威厳を保ったまま口を開く。

「私が来てから、皆が不安に思っていることは分かっています」

ミルドレッドの言うとおり、最初は戸惑いもあったが、使用人たちも少しずつ「女性の領主」という存在に慣れつつあった。カルが室内でウィリスの姿を探していると、彼の赤い髪の一部が、妙にきちんと整えられているのが目に入った。

「ここ数日、屋敷の様子を見て回り、皆さんとも話をして、仕事ぶりを確認しました」

ミルドレッドの基準は単純だった。

――自分の求めることを、きちんとこなせるかどうか。

身だしなみは清潔で整っていること。姿勢は正しく。動きは落ち着いて、しかし遅すぎないこと。通る声で、態度も悪くないこと。

大半の使用人は、その基準を問題なく満たしていた。

彼女は全員を見渡しながら、淡々と続ける。

「上級使用人を除いた方々については、そのまま雇用を継続します。お疲れさまでした。必要であれば、推薦状を書いてあげます」

全員雇用だと?

あまりに意外な結論に、カルは思わず口を開けたまま固まった。面談の様子から、ミルドレッドは誰かを大量解雇するつもりだとばかり思っていたのに。

だが、すぐに気づく。

“上級使用人を除いて”という条件。

つまり――アンナ、モリー、ウィリス、カル。彼らの処遇は、まだ決まっていないということだ。なんとも落ち着かない話だった。

カルは、明らかに緊張の糸が切れて、ホッとした様子で部屋を出ていく一般使用人たちの背中を見送った。そして、自分たちはどうなるのかと問いかけようとした、そのとき。

ダニエルが先に口を開いた。

「ベイカー夫人、昇給してやってくれ。これからも頼むぞ」

思いがけない言葉に、料理人のアンナの顔がぱっと明るくなり、すぐに頬を赤らめた。ミルドレッドとダニエルを交互に見たあと、深く頭を下げる。

「ありがとうございます!」

「解雇じゃなくて、昇給……?」

カルとモリーの顔に、わずかな安堵の色が浮かんだ。

だが次の瞬間、ミルドレッドが淡々と言い放つ。

「ウィドスン、あなたは解雇です」

「え……?」

悲鳴のような声は、カルではなくモリーの口から漏れた。

ミルドレッドとダニエルの視線が彼女に向く。モリーは一瞬言葉を失い、それから必死に問いただした。

「理由は何ですか? ベイカー夫人は昇給されたのに、どうしてカルが解雇なんですか?」

ダニエルが肩をすくめて口を挟む。

「心配しなくていい、フォスター夫人。君も解雇だから」

今度はカルの口がぽかんと開いた。なぜだ? 二人の顔には、理解できないという表情がはっきりと浮かんでいる。

ミルドレッドはその様子をしばらく静かに見つめたあと、机の上に置かれていた帳簿を開き、淡々と続けた。

「この帳簿はアメトン(ウィリス)がつけているものですね?」

「はい」

「ウィドスン、あなたが確認して前領主に報告していた、と」

その一言で、カルの顔から一気に血の気が引いた。なぜ――?

モリーが疑問を抱いたその瞬間、ダニエルが冷徹に告げる。

「一度も確認していないだろう」

事実だった。カルは帳簿の中身を一度もまともに精査していない。すべてをウィリスに任せ、言われたままにしていただけだ。報告書でさえウィリスが作り、カルの名で提出していたのだ。

ミルドレッドは視線をモリーへ移す。

「フォスター夫人、選ばせてあげます。解雇か、それとも監獄か」

その言葉に、モリーの顔が一瞬で真っ青になった。身体が小刻みに震え、かすれた声で問い返す。

「……どういう意味ですか?」

「どうしてですか? 私は……!」

ハウスキーパーの仕事は、使用人の管理だけではない。食料をはじめとした屋敷内の備品が十分にあるか、家具やカーテンが傷んでいないか、季節に合っているか――そういった細部まで目を配ることだ。モリーは、自分が完璧ではないにせよ、十分に役目を果たしていると思っていた。

だが次の瞬間、ミルドレッドは帳簿と領収書を差し出し、その自負をすべて覆す。

「配達料……?」

見たこともない項目だった。それどころか、一度も支払った覚えもない。モリーは帳簿と領収書を見比べる。記載されている配達料、そして異様に高い肉の価格。

――おかしい。

顔を上げ、彼女は覚悟を決めた声で言った。

「見抜けなかった私の責任です。罰を受けるのは構いません。でも……配達料なんて払ったことは一度もありません。これは捏造です!」

そのとき――

屋敷の裏手から、耳をつんざくような悲鳴が響き渡った。

「うわああっ!」

突然の叫びに、カルとモリーはびくりと肩を震わせた。

だがミルドレッドとダニエルは、まるで予想していたかのように眉一つ動かさない。二人は静かに視線を交わす。

「思ったより早いですね」

「ええ、想定内です」

――何を言っているの?

モリーは呆然と二人を見つめたあと、はっと我に返って駆け出した。誰かが叫んだのなら、ハウスキーパーである自分が確認しなければならない。

残されたカルは立ち尽くしたまま、どうすればいいのか分からない。そのとき、ミルドレッドがゆっくりと立ち上がった。

「裏で何か起きているようですね。見に行きましょうか?」

だが、差し出されたダニエルの手は、慌てて駆けつけるためのものではなかった。まるで舞踏会に向かうかのような二人の余裕の態度に、カルはただ呆然と従うしかなかった。ミルドレドはカルの方など一瞥もせず、ダニエルにエスコートされるまま、悲鳴のした裏口へと向かう。

「た、助けてくれ!」

声の主はウィリスだった。

裏口――使用人たちが出入りする扉の前で、彼は大きな網に絡め取られ、宙に吊るされて必死にもがいている。

ミルドレッドは、すでに駆けつけていた使用人たちの後ろに立ち、その様子を静かに見下ろした。

(思ったより早かったわね……)

そのとき、モリーが近くの下女に叫ぶ。

「何してるの! 早くナイフかハサミを持ってきて!」

さらに、ウィリスが落ちても怪我をしないよう、毛布を持ってこさせようと口を開きかけた――その瞬間。

ミルドレッドが、短く言い放つ。

「そのままでいいわ」

「そのままにしろって……どういうことですか、領主様!」

ようやくミルドレドの存在に気づいたモリーが、驚いて振り返る。

ミルドレッドは腕を組んだまま、網に絡まったウィリスを見上げていた。その視線は、ウィリスだけでなく――彼を吊り上げた罠の仕掛け、そして地面に落ちた大きな鞄へと向けられている。

「どこへ行くつもりだったのかしら」

これまで使用人にも礼を尽くしていた彼女の面影は、もはやどこにもない。冷えきった声に、周囲の空気が張り詰める。

「い、いえ……私は……」

ウィリスは言葉に詰まる。

「黙って抜け出そうとしていた理由、聞かせてもらいましょうか」

背後からダニエルが軽く口を挟み、ゆっくりと歩み寄る。そして無造作に、落ちていた彼の鞄を拾い上げた。

ダニエルはいつの間にか手にしていたナイフを、迷いなく鞄に突き立てた。そのままぐっと引き裂く。

ビリッ――。

鈍い音とともに、重そうだった鞄が裂け、中身が地面にばらまかれた。同時に、周囲に大きなどよめきが広がる。

「な、なんだこれ……」

「待て……これって……」

袋や小包がいくつも転がり落ちる。どれも明らかに高価そうな品ばかりだ。ダニエルはその中の一つを拾い上げ、中身を確認すると小さく息を吐いた。そしてそれをミルドレッドへ差し出す。

「ウィリス・アメトン。帳簿を照らし合わせたが、使途不明の金がずいぶんあるな」

その言葉で、モリーの脳裏にすべてが繋がった。

――配達料。一度も支払ったことのない、あの不自然な項目。

まさか。

ゆっくりと、モリーはウィリスへと顔を向ける。

その瞬間、ミルドレッドが無言でその袋をひっくり返した。

トサッと鈍い音を立てて、袋の中から金貨と銀貨が混ざった大量の硬貨が一気にこぼれ落ち、地面に散らばった。

それは、ダニエルがミルドレッドに渡した袋だけではなかった。使用人たちは息を呑み、次の瞬間には我先にと駆け寄って、裂けた鞄から落ちた他の袋も開け始めた。中に入っていたのは、どれも金貨と銀貨ばかりだった。

「そんな……」

「待って、これ……私の指輪じゃない!?」

袋の中には金だけではなかった。使用人たちが「失くした」と騒いでいた小物――ボタンや指輪までが混ざっていたのだ。

モリーは信じられないという顔で一歩前に出ると、地面に落ちた小さな欠片を拾い上げた。

「これ……あなたのところの品じゃない?」

差し出されたそれを見て、周囲の者が息を呑む。それは、数か月前に失くしたものだった。本来なら、領主の書斎に飾られていたはずの調度品の欠片。

「盗みじゃなかったのか……!」

場は一気に騒然となった。そのとき、カル・ウィドスが顔を真っ青にして「泥棒を捕まえろ!」と騒いでいた様子が、モリーや他の使用人たちの記憶に鮮明によみがえった。すべてはウィリスの自作自演だったのだ。

「この野郎!」

「最低なやつだ!」

怒りに駆られた使用人たちは、口々に罵声を浴びせながらウィリスに向かって拳を振り上げた。だが距離が届かないと分かるや否や、近くにあった石を拾って投げつける者まで現れた。

「止めますか?」

その様子を見ていたダニエルが、静かにミルドレッドへ問いかける。ウィリスは高いところに吊るされているため、体に当たる石は比較的少ないが、問題は頭の位置が低いことだった。

次の瞬間、硬い石が勢いよく飛び、ウィリスの額に直撃した。

そのまま地面に血が滴る。ミルドレッドは、傷口から細く流れ落ちる血を見て、冷ややかに尋ねた。

「その程度の傷で死にますか?」

「まさか」

「なら、そのままでいいでしょう」

容赦のない判断だった。「もう少し罰を受けるべきだな」と言わんばかりに、ダニエルはくすっと笑いながらミルドレッドの肩を軽く抱いた。

そのとき、遠くから郵便配達人が馬に乗って駆けてくるのが見えた。

「ダニエル・ウィルフォード様はいらっしゃいますか?」

配達人は、思わず見とれてしまうほど整った顔立ちの男に一瞬戸惑いながらも、手紙を渡してすぐに次の配達へと向かった。

「カル・ウィドス様!」

配達人がカルを探して別の手紙を渡している間に、ダニエルはすでに自身の封筒を破り、中身を取り出していた。ミルドレッドが訝しげな表情を浮かべると、彼はくすりと笑いながら言った。

「以前お願いしていた、彼の調査結果です」

早かったのか遅かったのか分からない。ミルドレッドも同じように薄く笑って尋ねた。

「一緒に見てもいいですか?」

「もちろん」

ミルドレッドの予想通り、モリーやカル、アンナについては特に問題のある内容はなかった。

だが――ウィリスだけは違った。

「ウィリス・アメトンは本名ではなかったようですね」

本名はビリー・デント。詐欺師であり、盗人であり、さらには首都に協力者までいる人物だった。

その事実を突き止めるのは、さほど難しいことではなかった。ウィリス――いやビリーは、数か月ごとに「ビリー・デント」という名義に金を送っていた。その金はすべて、首都の郵便管理所に積み立てられていたのだ。それはつまり、“ウィリス”という偽名で生きる彼のための隠し資産――いわば上がりのための退職金のようなものだった。

ミルドレッドは静かにその内容を読み進めた。呆れと感心が入り混じった表情で、なおも吊るされたままのウィリスを見上げる。

「少なくとも十年近く、偽りの身分で生きてきたわけですね。大したものです」

「私たちに見つからなければ、これからも続けていたでしょうね」

最初からここまで長く続ける計画ではなかったはずだ。前領主に取り入って報酬を得たら、そのまま姿を消す――そんなつもりだったのだろう。だが前領主は、あろうことかウィリスを屋敷の執事(実質的な管理職)に任命してしまった。

その結果、屋敷の内情を完全に握った彼は「この家の人間は騙しやすい」「もっと大きな金を抜ける」と気づいてしまったのだ。

「なんてことを……」

一方でカルは、自分宛ての手紙を開いて中身を確認し、深くため息をついた。

それは、彼が個人的に依頼していた“新しい領主夫妻”に関する調査報告だった。

その内容を知ったダニエルは、思わず苦笑しながらカルを見やった。ダニエルはカルが自分たちを調べようとしていたことには気づいていたが、あえて止めなかったのだ。「知らなければならないことを知ってこそ、現実を受け入れるだろう」と判断したからだ。しかも、すでに世間に広まっているミルドレッドとダニエルの噂は、ちょうど彼が望む程度に調整された内容だった。

「カル、どうしたの?」

モリーが様子をうかがいながら近づいてきたが、カルが読んでいた手紙をちらりと見た瞬間、思わず息を呑んだ。

(なにこれ……!)

そこには、新しい領主夫妻の“華やかな、そして恐ろしい経歴”が詳しく記されていた。

思わず二人に視線を移してしまう。柔らかい雰囲気だけの優しそうな男だと思っていたダニエルは、ただの貴族ではなく、莫大な資産を持ち王族とも繋がりのある怪物のような人物だと書かれていた。

そして――ミルドレッドの方もまた、権力者との強い繋がりを数多く持つ存在だと記されていた。それだけではない。ミルドレッドは“王子の元婚約者”――そう記されていたのだ。

「カル!」

モリーは慌ててカルの肩を掴み、強く揺さぶった。「しっかりして」という無言の合図に、カルもはっとして目を瞬かせる。

今の自分たちは、とても「アセナの兄のところへ行く」などと言えるような状態ではない。まずは、この莫大な横領を見逃し続けた自分たちの怠慢について、命がけで弁明しなければならないのだ。

呆然と立ち尽くすカルを見て、モリーは内心、ひそかに胸をなでおろした。

――少なくとも、自分はあの男のように吊るされず、“監禁か解雇”の選択肢を貰えたのだから。

 



 

 

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