こんにちは、ピッコです。
「幼い旦那様の黒幕妻です」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
53話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 銀の彗星と黄金の瞳
馬車が侯爵領を出て間もない頃のことだった。
車輪が石につまずくたびに激しい衝撃が走り、馬車が大きく揺れた。
だらりと座席に体を預けていた私は、危うく床へと転げ落ちそうになる。
(うわっ、危うく舌を噛むところだった……!)
すさまず手を伸ばしたキブリンとメネリクが、両脇から私をしっかりと支えてくれた。
「侯爵領の道路状況は、本当にひどい有様だな」
メネリクが心底うんざりしたように吐き捨てる。
公爵家の馬車には極上の安全装置や衝撃吸収の魔術が施されているはずだ。それでもこれほど揺れるということは、城の周辺を除けば、道などろくに整備されていない証拠だった。
次の瞬間、再び体が小刻みに震えるほどの激しい揺れに襲われた。
見かねたメネリクは、魔物の血で汚れた上着を脱ぎ捨てるなり、私をひょいと抱き上げて自分の膝の上に乗せた。
彼はキブリンにも手を差し伸べたが、返ってきたのは冷たくすました視線だけだった。相変わらずぎくしゃくした父子関係だな、と私が心中で苦笑していると、頭上からメネリクの呟きが聞こえた。
「今回の件で、あの侯爵も近いうちにあの世へ送られるだろう。心配するな」
(……それよりも、あなたは今まさにお義父様をあの世へ送りかけていますけど)
それに、原作小説『悪女は金の道でなければ嫌』でイングラム侯爵を死に追いやったのは、サブリナと契約した呪術師レベッカだったはずだ。彼女はサブリナと共に牢獄へ繋がれ、その後アカデミーの教授を務めていた結界術師が後任となったのだったか。
メネリクはぼんやりと座ったまま、地に落ちた侯爵領の評判を思い返しているようだった。原作には「統治の手腕はなかなか優秀だ」と、たった一行だけ書かれていたっけ。
私が原作の記憶を辿っていると、メネリクの大きな手がぽんと私の頭に乗せられた。
「眠いなら寝てもいいぞ」
「私、全然眠くありません!」
私は目に力を込めて必死に睡魔と戦った。
膝の上に座る私の表情は見えないはずなのに、メネリクはくすくすと胸を揺らして笑った。
「それじゃ、もうすぐやってくるキブリンの誕生日をどう過ごすか考えようか。何か良い案はあるか?」
(本人が隣にいるのに、どうして私に聞くんですか!?)
私はキブリンの顔色をうかがいながら、恐る恐る口を開いた。
「誕生日パーティー……」
その言葉が出た瞬間、隣に座るキブリンの肩がびくりと震えた。
私は慌てて言葉を言い直す。
「……みたいな大仰なことは絶対にしないで、身内だけで静かに過ごしましょう!」
キブリンが内心で安堵の息を漏らしたのが分かった。しかし、メネリクがいじわるく反論する。
「私は派手なパーティーも好きだが?」
(ちょっと! 今、坊ちゃんが嫌がっているのを知っていてわざと言っていますよね!?)
頭上からメネリクの楽しそうな笑い声が降ってきた。
「とにかく、一度は公式の場に顔を出しておかないと、不躾な仮面を贈ってくるような家門も減らないだろうからな」
(仮面? 顔のそばかすでも隠せってこと?)
私が首を傾げると、まるで心を開かされたかのようにメネリクが説明を足した。
「キブリンは次男だし、私とウィンターをちょうど半分ずつ似せたせいで、ひどい不細工に育つんじゃないかと危惧していたんだがね」
「うえっ」
キブリンは寝る直前に見ても、目を覚ました直後に見ても、とんでもなく可愛いというのに!
原作小説でも成人後の姿がメインで登場していたため、成長による劣化の心配など皆無だった。キブリンは作者公認と言ってもいいほどの、文句なしの美男子なのだ。
私のそんな思いを知る由もないキブリンは、至極あっさりと答えた。
「関係ありません」
「チェリアは、お前が嫌がることを無理にさせられたら心配すると思うが?」
「……」
(ちょっと、さっきからどうして私を盾にしてキブリン様を揺さぶるんですか!)
彼が人の多い場所を避ける理由なんて、私以上に知っているくせに。
私が顔を上げてメネリクをキッと睨みつけると、彼はあっさりと白状した。
「悪かった、もうやめよう。反応が面白いものだからついな」
「面白いだなんて……」
私が抗議しようとした矢先、キブリンが静かに口を開いた。
「冬の社交界は……うん、勘弁してください。寒くて辛いです」
「…………!」
私の口角がぐっと上がった。
冬でなければ、パーティーに出席してもいいという意味だ!
キブリンはメネリクが半ば冗談で私を巻き込んでいると分かっていながらも、私の手前、嫌な顔一つ見せなかったのだ。
「ほら、面白いだろう?」
ニヤつくメネリクに、私は容赦なく脅しを撃ち返した。
「私、城に着いたらお母様に全部言いつけますからね!」
メネリクの眉間に深じわが寄る。
「さっきキブリンが私を鼻で笑ったと言っても、信じてくれないつもりか?」
「嘘に決まっているじゃないですか!」
首が折れそうなほど見上げている私を騙せると思わないでほしい。
「……分かった。私が悪かった」
ふん! と私は鼻を鳴らした。
***
超越者の城に到着した頃には、すでに東の空が白み始めていた。
ウィンターは遅くまで会議が入っており、メネリクは私とキブリンを先に休ませることにした。詳しい報告は、ローズとセザールを通じて聞く手はずになっているらしい。後宮のゴシップに嫌気がさしていたセザールの報告も長引きそうだ。
おかげで私は、お気に入りの花冠を大切に引き出しへ仕舞い、お風呂に入って寝室へ向かうことができた。
何も考えずにふかふかのベッドへ飛び込もうとした、その時――。
窓から、コンコンと軽い音が響いた。
(ん?)
鼻歌を歌いながら窓辺へ近づくと、窓枠の隙間に一切れの紙が挟まっていた。
メラが置いたものではなさそうだ。不思議に思いながら取り出して広げてみる。
『今すぐ離婚することをお勧めします。』
「……離婚?」
――記憶もないくせに、どうして結婚なんてしたんですか! 今すぐあの人間カカシと離婚してください!
差出人の名前など書いていなくても、一目でチェシャだと分かった。
帝国で皇子を「人間のカカシ」扱いできる存在など、彼女くらいのものだ。
(次に会ったら、お酒はほどほどにするよう言っておかなくちゃ。文字までふらついているじゃない……)
その時、壁の隠し扉の向こうから、焦ったようなキブリンの声が聞こえてきた。
「チェ、チェリア様……?」
私の呟きが、耳の早いキブリンに届いてしまったらしい。
「私からそっちに行きます!」
声をかけると、キブリンはすぐに扉を開けてくれた。
彼の部屋へさっと滑り込む。暗闇の中でも、キブリンの美しい銀髪は砂糖を塗したかのように甘く輝いていた。彗星のような黄金の瞳が、私を不安そうに見つめている。
私は手にしていた手紙を見せた。
「さっき会ったチェシャが送ってきた手紙です。窓に挟まっていて」
「さっき、離婚って……」
瞳を揺らすキブリンに、私は慌てて説明を付け加えた。チェシャには災厄とキブリンが同一人物だということを伏せているのだと伝えると、彼の銀色の瞳がパチパチと瞬いた。
「打ち明けても大丈夫ですよ。平気です。チェリア様が会いたいとおっしゃるなら、ここに呼んでいただいても構いません」
「……でも、公子様の表情が晴れません」
「元々、あいつのことが嫌いでしたから」
「仲が悪かったんですか?」
チェシャが以前、災厄をひどく恐れていたのを思い出す。
キブリンは淡々と答えた。
「その……ただ、デル以外の存在が、すべて鬱陶しかっただけです」
私はギュッと唇を噛んだ。
思い返せばジェヘと出会った時も、私はキブリンの愛らしい顔に騙されていただけで、彼は平気でローズを拷問しようとしたり、使用人たちを脅したりしていたのだ。
なんとなく気まずくなり、手紙をテーブルの上に置く。
けれど、すでに一番危険な存在(災厄)を隣に置いている私にとって、チェシャに正体がバレることくらい、大した問題ではないのかもしれなかった。
「だって、もしチェシャが私やデルを裏切るようなことがあっても、公子様がいれば何とかしてくれそうですし」
私がそう呟くと、キブリンの顔にすっと綺麗な笑みが浮かんだ。
「ええ。今すぐ、何だってどうにかして差し上げますよ」
「……」
(ローズを拷問すると言っていた時のジェヘの姿がフラッシュバックする……)
キブリンは私が引き止める間もなく、いつもの可憐な少年の顔に戻っていた。
「ただ、これだけは約束してください。私は、チェリア様の健康が心配なんです」
「うん、分かってる。無理はしないよ」
私は彼のベッドによじ登った。ぽかぽかと温かな布団は、まるで甘いココアの中に沈み込んでいくような心地よさだ。
仰向けになると、何の飾りもないシンプルな天井が目に入った。
(あ、ここキブリンの寝室だった……)
馴染みすぎて、ごく当然のように横たわってしまった。
キブリンは私を追い出すどころか、嬉しそうに隣に寄り添って横になった。
うう、今日は本当に長く怒涛の一日だった。
あくびを噛み殺しながら、キブリンが丁寧に布団をかけてくれるのを眺める。窓の外の積雪のように真っ白な彼の手が好きだった。
布団の中で満足げな笑みを浮かべる。
色々なことがあったけれど、とても充実した一日だった。早くウィンターにも、火傷の痕が綺麗に消えたキブリンの手を見せてあげたい。後継者の不審な動きについても報告しなければ。
「次は、絶対に私の力で治してあげますからね。でも、だからといってまた怪我をしていいわけじゃありませんよ!」
「……はい。私は、チェリア様だけを信じています」
キブリンは目を三日月のように細めて微笑んだ。
私の緊張をほぐしてくれる可愛らしい笑顔だったが、念のため釘を刺しておく。
「近いうちに、チェシャを拷問するつもりはありませんよね?」
「今のところは、ありません」
何でもないことのように答えながら、キブリンが私の頬を優しく突っついた。
(「今のところ」って何ですか、違いますよ……!)
***
目を覚ました時には、すでに正午近くになっていた。
キブリンは私を起こさないよう、足音を殺して出て行ったらしい。
たっぷり眠ったはずなのに、なんだか体調が芳しくなかった。全身が重くずきずきと痛み、体を起こした瞬間に激しい頭痛が襲ってきた。昨日はしゃぎすぎただろうか。何度も前へ倒れそうになる頭を、必死で手で支える。寝相が悪かったのか、髪もあちこち跳ねてぐしゃぐしゃだ。
(世界最強の生まれ変わりが、こんなにボロボロだなんて……)
ウィンターから聞かされた物語の中のメルと、今の自分の情けない姿。比べものにならない乖離ぶりに自分でも笑えてくる。
目をこすりながらメラを呼ぶと、食べ損ねた朝食の代わりに肉のシチューと消化に良いパン、焼きキノコ、アスパラガスのフリット、さっぱりとしたサーモンサラダを用意してくれた。お腹を満たして薬を飲むと、幾分か元気が戻ってきた。
食後、部屋で待っていてくれたローズとお茶を楽しんだ。
ローズは時折鼻をすする私を、呆れたような、心配そうな目で見つめていた。
「あなた、本当に驚くほど弱いわね。封印術を解いたところでどうするの? その脆弱な体じゃパワーに耐えきれずに壊れてしまうわよ」
「こ、壊れる!?」
思わず裏返った声が出ると、ローズは慌てて補足した。
「今の状況なら、という意味よ! とにかく、その哀れな肉体だって成長くらいするでしょう?」
「……」
「……成長するわよね?」
「もちろんですとも!」
胸を張って答えたものの、私はそっとローズから視線を逸らした。
ローズが舌打ちをする。
「まあ、デルもこうなることを分かっていて、あえて『災害』に委ねるなんて非効率な手段を選んだのでしょうね。キブリンは無駄な口出しはしないでしょう?」
私はキブリンの言葉を思い返した。
「公子様も、デルがどうやって死んだのかまだ分からないから、軽々しく封印は解かない方がいいって」
「……あの子なりに、お前の体を気遣ってはいるのね」
ローズが渋々といった様子で認めた。
ふと疑問が湧いて、口に出してみる。
「ねえ、もしキブリン様なら、今でもデルの強い能力を問題なく受け入れられるのかな? 聴力もすごく良いし、動物たちも従わせられるじゃない」
「デルの基準を際限なく広げれば、一応は人間の範疇に収まるでしょう? でも、あっちは完全に“別物”よ」
完全に別物?
「でも、公子様はお母様とお父様の血を引いたお子様でしょう?」
「だから、根本が違うって言ったでしょ。それは今も昔も変わらないわ」
「……」
「別に、あの子を疑えって意味じゃないけれど」
「うん。どうせ公子様が私に危害を加えるはずもないしね!」
ローズが胡散臭そうに目を細めた。
「何を根拠にそこまで確信できるのよ?」
「だって公子様は可愛いですし! 優しいですし!」
(た、確かに一瞬間、ローズとチェシャを拷問しようか思案していたみたいだけれど!)
不満げに反論する私に、ローズはまるで妹の将来を本気で心配するような顔を向けた。
「あの子のご両親だって『優しい』なんて言葉じゃ括れないお方たちよ。あなたって本当におめでたいわね。奥様から『顔だけで男を選ぶな』って教わらなかったの?」
(お義母様、どうしてですか!?)
私が不服そうに唇を尖らせると、
「公子様は手もすごく綺麗なもの!」
「はいはい、あの子の言う通りね。メルがどうなったのか、もっと早く知っておけばよかったわ」
私の言葉に、ローズがぽつりと呟いた。
「その代わり……私のことを思い出すのも遅くなっていたんじゃない?」
私の指摘に、ローズの顔がカッと赤くなった。
「私を思い出すことなんて、大したことじゃないわよ! もう、お前は十分すぎるほど私を甘やかしているんだから。実の親でもないくせに大事にしすぎるから、どう接していいか分からないじゃない……!」
「ローズ、耳まで真っ赤ですよ」
「うるさい!」
くすくす笑う私に、ローズは照れ隠しに手で顔を扇ぎながら言った。
「とにかく! 誰か一人でもお前を苦しめる奴がいたら、相手がキブリンだろうとお前のろくでなしの両親だろうと、すぐに私に告げ口しなさい。それと、無暗に怒らないこと。無意識に異能が暴発したら、かすり傷じゃ済まないんだから。お前が苦しむのも嫌だけど、周りが焼け野原になるわよ」
物騒な捨てゼリフを残して席を立ったローズは、最後にこう付け加えた。
「私はこれから雪かきを手伝ってくるから、お前はおとなしく休んでいなさい。まったく、奥様がお前を呼んでいたけれどどうする? この体調じゃ無理だと伝えて――」
「行きます!」
私は勢いよく立ち上がった。
行かないわけにはいかない。お母様に報告したいことが山ほどあるのだ!
「大丈夫、行けるよ! 私が行かないと、心配したお母様が直接部屋まで来ちゃうもの」
そうしてローズと別れ、私は少しふらつく足取りでウィンターの元へ向かった。
窓の外では、依然として大粒の雪がしんしんと降り積もっている。除雪しても追いつかず、使用人たちが忙しく立ち働いていた。大雪の重みに耐えるため、屋敷の構造を魔法で少し傾けているほどだ。
魔石で暖められた廊下ですら身ぶるいするほどの寒さに、私は足を速めた。
執務室の前には、公爵家の家臣たちが控えていた。
原作小説において、彼らの中には軍馬事業で名を馳せた者や、オペラ興行を大成功させた者、アカデミーの教科書を執筆した高名な学者などがいた。原作では脇役に過ぎなかったが、今や公爵家を強固に支える優秀な人材たちだ。
一番前にいた老臣が私に気づき、なぜか破顔して声をかけようとした瞬間、副官がさっとドアを開けた。
「どうぞお入りください、チェリア様。旦那様がお待ちです」
まるで私の足音を待ち構えていたかのような手際良さだ。
私は家臣たちに軽く会釈をして部屋に入ろうとした。その時、老臣の後ろにいた若い女性家臣がはしゃいだ声を上げた。
「まあ! 公子様が私に挨拶してくださいましたわ!」
(ん?)
間髪いれずに老臣が反論する。
「これこれ、何を言っている。公子様は私をご覧になって会釈されたのだぞ!」
(え、ええ……?)
困惑する私を余所に、容赦なく扉が閉められた。
執務室の奥で、ウィンターが呆れたように鼻を鳴らした。
「お前の顔を一目見ようと、あの連中が20分も廊下に粘っていたんだ。もうすぐ正式なお披露目の場を設けるというのに、気の早い奴らだ」
「私を……? どうしてでしょう?」
副官が小さく咳払いをする。
「『もうすぐ』お披露目されるおつもりなど、最初からなかったくせに……コホン」
私は目を丸くした。
「もう一度戻って、ちゃんとご挨拶してきた方がよろしいでしょうか?」
「殊勝な心がけだが、その必要はない」
ウィンターがソファへ移動し、私もその隣にちょこんと腰掛けた。
「私にだけ可愛く見えるのかと思っていたが、どうやら皆同じように感じるらしいな」
お菓子が詰まった籠を運んできてくれた侍従のメイドが、にっこりと微笑む。しかし、ウィンターは真剣な面持ちで私を見つめていた。
「怪我はないと聞いているが、顔色が悪いな。後宮への答礼などさせず、もっと徹底的に追及しておくべきだったか?」
「大丈夫です、私は……」
ウィンターの冷たい手が私の頬に触れる。
「……私は、その『大丈夫』という言葉があまり好きではないのだが」
「……頭がガンガンして、時々鼻水が出ます」
私は素直に白状した。
「ふふ、鼻先が赤くなる前にエレナを呼ばないとな」
ウィンターが柔らかく目を細めた。
「せっかく君とキブリンを醜い後継者争いから遠ざけてやったというのに、あの侯爵め、我が家の後継者に何を求めていると思う? 最近始めた腕時計事業に、自分たちも一枚噛ませろと言ってきたのだ」
(冗談じゃない!)
危うく口から飛び出そうになった毒づきを、どうにか飲み込んだ。
たった数時間面倒を見ただけで、なんという図々しい見返りを要求してくるのだろう。それがどれほど爆発的な利益を生む事業か分かっているのだろうか!
私が目を吊り上げると、ウィンターが満足そうにくすくすと笑った。
「安心しろ、勿論断った。まだ初期段階で、デザインの詰めている最中だからな」
「絶対に大成功しますよ!」
私は鼻息荒く叫んだ。
現在流通している懐中時計は重くてかさばり、一般には普及していない。原作でもウィンターは、メネリクが身につけられるような軽くて実用的な腕時計を探していた。
その噂を聞きつけた腕利きの時計職人たちが、次々と公爵家を訪ねてきたのだ。資金難や悪徳雇主に悩まされていた技術者たちは、ウィンターの惜しみない援助を受け、公爵家に定着した。おかげで、宝石をちりばめつつも驚くほど軽量な腕時計が完成しつつあるのだ。
……もっとも、メネリクの威圧感のせいで最初は誰も彼を直視できず、腕時計は皇后が身につけたことで爆発的なブームとなったのだが。その後は、いくら積んでも手に入らない超プレミアム商品となる未来が約束されている。
私の言葉を単なる無邪気な応援と受け取ったウィンターが、嬉しそうに目を細めた。
「お前の期待に応えるためにも、急いで事業を再開しなければな。首都を離れる際に一時中断していたから」
「首都で進めていた事業ですか?」
「そうだ。私が直接赴いて指揮を執る必要があった。もはや神殿の連中に気兼ねする必要もないからな。拠点の移転も考えている」
イングラム侯爵は、まさか腕時計事業がそこまでの巨利を生むとは夢にも思っていないのだろう。商才があれば、領地を借金まみれにすることなどなかったはずだ。彼はただ口実を作って、義父を領地から追い出したいだけなのだ。
真剣な表情を深める私を、ウィンターが興味深そうに見つめる。
「侯爵家への対応は、適当な贈り物を送って済ませるつもりだったのだが……リックの奴が『自分が行く』と言い出してな」
「……父上がですか?」
「面白そうだと言っていた。世子の顔を見てくるのも興味が湧くらしい」
(……)
ウィンターが白金髪をサッと払い上げる。
「世子の正体を突き止めたのは確かだが、誰が――」
「私を殺しに来るんじゃないかと、かなり冷や冷やしているんだ。いっそ殺しに来てくれるなら、その方が話が早いんだが……」
今にも泣き出しそうなメネリクの呆れた評価に、私は心の中で深く同意した。
ウィンターが本題を切り出す。
「私は城を空けるわけにはいかない。チェリア、お前が一緒に行ってくれないか? もちろん、前回のようにリックが好き勝手に暴れるような真似はさせない。きちんとした『保護者』として振る舞うと約束させた」
私は目をぱちぱちさせた。
「私が、ですか?」
「リックがお前と代理戦に向かった時、奇跡的に誰も死なずに戻ってきただろう? あれは非常に大きな成果だ。今回も期待している」
断る理由などなかった。ウィンターの頼みなら何でも聞きたかったし、何より怪しい世子の動向も気にかかる。
「行きます!」
即答した私に、ウィンターは話を続けた。
「それと……キブリンがお前のことを酷く心配していたぞ」
「え?」
「キブリンの火傷を治すために、ウェン公爵夫人から怪しげなアーティファクトを買い叩いたそうだな?」
(そうですけれど、違います! 公爵様、どうしてそんな極端な要約をするんですか!?)
「それから、あの有名な宝石箱の店主……」
「それも耳に入りました。最高級の品ばかりを集め、噂が広まる前に後爵令嬢が独占しようとしていたとか。非常に怪しい動きです」
隣で控えていた副官のメイドが深く頷く。
(お姉さん、その手に持っているお菓子の籠、私に渡してくれてもいいんですよ……?)
チラチラと横目でお菓子を追いかける私を、ウィンターが嗜めるように見つめる。
「人を使って確認させたが、店主は二日酔いで数日は店を閉めて寝込んでいるそうだ。元々酒癖の悪い男らしい」
「……」
平凡な店主がチェシャのように振る舞っていたとしたら、今頃本当に破産していただろう。ウィンターが呆れたように舌打ちした。
「一体、侯爵は領地をどう管理しているんだ? あんな酔っ払いが店を構えていられるなど。……ああ、誤解するなよ。キブリンの手を治してくれたことには心から感謝している。神殿の力を借りたくないと意地を張るものだから諦めていたんだ。危険な森を彷徨わず、侯爵領へ出向いたのも正解だった」
「……」
「ただ、あそこは年々スラム化が進んでいる」
「領民たちの不満も爆発寸前だと、こちらの耳に届くほどですからね」
副官が肩をすくめて付け加える。
「先ほど廊下にいた貴族たちも、公爵家にこの機に乗じて侯爵を引きずり下ろしてほしいと望んでいるのです」
「まったく、暇人どもめ」
ウィンターは面倒そうに吐き捨てた。
「お母様は、侯爵家をこのまま放置されるのですか?」
「公爵家はすでに絶大な権力と財を持ちすぎている。これ以上領地を広げれば、皇室が警戒感を強めるだろうからな」
確かに、ネクタリアン公爵家は悪名を轟かせ、メネリクは狂気に憑かれているという噂が絶えない。ウィンターもメネリクも社交界を嫌い、パーティーに一切顔を出さないため評判は最悪だ。
それでも一族の影響力が揺るがないのは、桁外れの資本力があるからに他ならない。広大な領地と豊富な資源、魔塔の最大支援者としての地位。さらには帝国に5つしかないワープゲートを独占し、無数の宝石鉱山から巨万の富を得ている。これから始まる腕時計事業やブドウ事業も、数年後には莫大な利益を生むはずだ。
(……少し努力すれば評判なんてすぐに改善できそうなのに、単にやらないだけなのね)
原作『悪女は金の道でなければ嫌』でも、男主人公が公爵家を再建するきっかけは事業だった。馬車に代わる長距離列車の開発で公爵家の協力を得ようとしたものの、男主人公に先手を打たれて暗雲が立ち込める……という展開だったはずだ。
(……思い出したら急に腹が立ってきたわ)
「とにかく、チェリア。お前は自分の安全を最優先に考えなさい。リックにも言含めておくが、絶対に怪我をするな。知らない人間についていかないこと。酔っ払いには近づかないこと」
「はい」
ウィンターが片方の眉を吊り上げた。
「返事に誠意がないな。『はい、わかりました!』とハキハキ答えなさい」
(いやいや! ローズと世子だけで十分ですから!)
「怪我をしない、知らない人についていかない、酔っ払いには近づかない……それと!」
「絶対に病気をこじらせたりしません!」
「よろしい」
ようやく満足したウィンターが、主治医のエレナを部屋へと呼び入れた。
1. 道中の災難と父子のやり取り
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劣悪な道路状況: 侯爵領の道路整備が壊滅的で、公爵家の頑丈な馬車でも激しく揺れ、メネリクがチェリアを抱き上げて保護する。
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キブリンの誕生日: メネリクがキブリンの誕生日の過ごし方についてチェリアに尋ねる。派手な社交界や大人数のパーティーを嫌うキブリンに配慮し、「身内だけで静かに過ごす」方向でまとまる。
2. チェシャからの手紙とキブリンの反応
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「離婚勧告」の手紙: 窓枠に挟まれていたチェシャからの手紙(記憶のないチェリアに離婚を勧める内容)をキブリンに見せる。
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チェシャに対するキブリンの態度: キブリンはチェリアの健康を最優先に考えており、彼女に危害が及ばない限りチェシャをすぐに処罰(拷問)するつもりはないとする。
3. ローズとの会話と体の状態
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チェリアの体調: 前日の無理がたたって体調を崩し、頭痛や冷えに見舞われる。
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封印術と肉体: ローズから「脆弱な体のまま封印術を解けば壊れてしまう」と指摘され、異能の暴発や怪我に注意するよう警告される。
4. ウィンター(公爵夫人)との対談と今後の予定
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腕時計事業: 公爵家で進行中の腕時計事業について話し合い、将来の大成功と領地移転の可能性が示唆される。
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新たな任務: メネリク(チェリアの父)が世子(後継者)の動向を探るため現地へ赴くことになり、ウィンターからの頼みでチェリアも保護者役・暴走ストッパーとして同行することが決まる。