悪役令嬢の推しに選ばれました

悪役令嬢の推しに選ばれました【30話】ネタバレ




 

こんにちは、ピッコです。

「悪役令嬢の推しに選ばれました」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【悪役令嬢の推しに選ばれました】まとめ こんにちは、ピッコです。 「悪役令嬢の推しに選ばれました」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介...

 




 

30話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 見捨てられた舞踏会

時は少し遡り――アンシ子爵家のパーティーが始まる、約30分前のこと。

グスト伯爵家の舞踏会場は、まさに閑散としていた。

「……」

「……」

館のなかに、重苦しい空気が漂う。

毎年開催しているこの夏のパーティーは、グスト伯爵家にとって非常に重要な催しだった。社交シーズンのパーティーは、基本的に各地域の有力貴族が主催するものだ。

つまり、グスト伯爵家はこれまで毎年開催してきた夏のパーティーを通じて、「自分たちは南部でこれほどの影響力を持っているのだ」ということを周囲に誇示してきたのである。

だからこそ、伯爵家は毎年この催しに多額の費用を投じていた。もちろん今年も、相当な予算をかけて万全の準備を整えていたのだが――。

(アンシ子爵家のパーティーに客を取られるとは思っていたけれど……)

セラフィナはぎゅっと唇を噛み締めた。

(まさか、クラウディウス公爵家の威光がこれほどまでだなんて!)

会場には、人影がほとんどなかった。

部屋の隅で待機している楽団は、楽器を抱えたまま互いに顔を見合わせ、所在なさげにしている。豪勢に用意された料理も、誰にも手をつけられないまま、虚しく冷めていく。その光景は、あまりにも物寂しかった。

(このままでは駄目だわ……)

セラフィナはふと、自分の手元へ目を落とした。

その手には、一枚の上質な紙が握られている。アンシ子爵家から届いた招待状だった。

相手は隣接する領地を治める貴族であり、かつては両家の間で縁談の話まで出たことがあった。そのため、ただの「礼儀」として送られてきたはずの代物だった。

「……」

セラフィナは招待状を握る手に、思わず力を込めた。手の甲に白く骨が浮き出る。

(悔しい……!)

セラフィナ自身も分かっていた。わざわざ招待状を送りつけ、相手の神経を逆なでするような真似は、彼女自身がこれまで何度も楽しんできたことだったからだ。

だが、それでもこのまま引き下がるわけにはいかない。

客が一人もいないグスト伯爵家の会場で、ただ呆然と時間を潰している場合ではなかった。今、アンシ子爵家には南部の名士たちがこぞって集まっているのだ。何としてでもあちらのパーティーに潜り込み、他の貴族たちに自分の存在を印象づけなければならない。

そう判断したセラフィナは、すっと長い首を巡らせ、グレゴリーを呼んだ。

「ねえ、グレッグ?」

椅子に腰かけ、落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしていたグレゴリーが、はっと顔を上げた。

セラフィナはできるだけ穏やかな、いつもの笑みを浮かべる。

「私、アンシ子爵家のパーティーへ行ってくるわ」

これまでグレゴリーは、セラフィナの言うことに逆らったり、拒んだりしたことが一度もなかった。だから今回も、当然のように従うものだと思い込んでいた。

だが――。

「何だって!?」

セラフィナの予想は、完全に裏切られた。

グレゴリーがみるみる顔色を変え、勢いよく立ち上がったのだ。

「セラ、それはどういう意味だ? さっきまで話していたことはどうするんだ!」

セラフィナは驚きに目を見開いた。いつも自分に優しかったグレゴリーの姿は、そこにはなかった。初めて見る彼の険しい表情に、セラフィナは思わず言葉を詰まらせる。

「グ、グレッグ、落ち着いて……」

「僕を置いて、アンシ子爵家のパーティーを見物しに行くっていうのか!?」

グレゴリーは血走った目でセラフィナをにらみつけた。

「こんなことになったのは、一体誰のせいだと思ってるんだ!」

そうだった。

クラウディウス公女が突然アンシ子爵家のパーティーに出席すると宣言したのも、すべてはセラフィナが原因だった。セラフィナが余計なことをしてラリテを刺激しなければ、事態はここまでこじれなかったはずなのだ。

グレゴリーの胸には、激しい怒りが燃え上がっていた。

「僕が家でどれだけ責められているか、君だって知っているだろ!」

「グレッグ、私は……」

「父上が今回の件で、どれほど怒っていたか分かるか!?」

怒りを抑えきれず、グレゴリーは拳を強く握りしめた。

「何としてでもクラウディウス公爵家との関係を改善しろって言われたんだ!」

その言葉通り、グレゴリーは最近、その件でかなりの重圧を受けていた。

いつも従順だったラリテが突然、グレゴリーとの婚約破棄を宣言したこと。さらに、グスト伯爵家の人間が一人としてクラウディウス公爵家のサロンへ招かれなくなってしまったこと。もちろん、公爵家がグスト伯爵家を遠ざける理由を公式に明かしたことはない。

『お前がラリテという女と揉めたせいじゃないのか!』

伯爵は激怒し、息子を怒鳴りつけた。

『その女はクラウディウス公女とかなり親しいと聞いている。もし公女殿下がラリテ嬢のことを気にかけて、そのような判断をなさったのだとしたら……!』

ドン! と、怒りを抑えきれなかった伯爵は、拳で椅子の肘掛けを激しく叩いた。

『この問題を、一体どうやって解決するつもりなんだ!』

そんな事情もあって、グレゴリーは精神的に追い詰められていたのだ。それなのに、すべての元凶であるセラフィナが、グスト伯爵家のパーティーをあっさり見捨てて抜け出そうとしている。

(これは……グレゴリーが怒るのも無理ないかも)

空気を敏感に察したセラフィナは、できるだけしおらしく肩をすくめてみせた。

「ご、ごめんなさい。あなたを傷つけるつもりじゃなかったの……」

「そのつもりじゃないなら、どういうつもりなんだ!?」

「私はただ、アンシ家のパーティーが盛況だっていうから、どうしてそんなに人が集まっているのか見てみたくて。向こうの良いところが分かれば、次のパーティーでは私たちも取り入れられるかもしれないでしょう?」

言葉を濁しながら、セラフィナはそっとグレゴリーの様子をうかがった。

「わ、私は全部、あなたのためを思って……」

グレゴリーはぎゅっと目を閉じ、それからゆっくりと開いた。

頭に血が上っていた。正直なところ、アンシ子爵家のパーティーに大勢の客が集まった理由なんて、分からないはずがなかった。クラウディウス公女という大物が、あちらのパーティーに出席したからに決まっている。

だが、不安そうに身を震わせているセラフィナを、これ以上責め立てることもできなかった。

「……それなら、僕も一緒に行くよ」

「え?」

その瞬間、セラフィナはわずかに眉をひそめた。

しかしグレゴリーは気づかず、彼女の華奢な肩にそっと手を置く。

「ほら、こんなに震えているじゃないか」

「……グレッグ」

「君みたいに気の弱い子を、あの傲慢なラリテと一人で会わせるわけにはいかないだろう?」

グレゴリーは、レディを気遣う紳士らしく優雅に微笑んだ。

セラフィナの目が鋭く光る。だが、それもほんの一瞬のことだった。

「うん、ありがとう」

そう言って、心から感謝しているように見せながら、セラフィナはわずかに口元をほころばせた。

(ああ、本当に空気が読めないんだから)

胸の内でふつふつと湧き上がる苛立ちを、セラフィナは必死に押し殺していた。正直、うんざりだった。

グスト伯爵家のパーティーにおいては、跡取りであるグレゴリーと一緒にいる方が都合がいいのは事実だ。けれど、アンシ子爵家のパーティーにまで、金魚のフンのようにくっついて来る必要があるのだろうか? むしろ一人の方が、ずっと自由に動き回れるというのに。

「セラ?」

「あ、うん。早く行きましょう」

喉元まで込み上げる苛立ちをどうにか噛み殺し、セラフィナはグレゴリーにエスコートされながら、会場の外へと向かった。

アンシ子爵家の夜会で今演奏されているのは、軽快なワルツだった。

最近、帝国で最も人気を集めている曲だが、その理由は――。

(こ、これ……距離が近すぎない!?)

このワルツには、相手と身体をぴったりと寄せる振り付けが数多く含まれていた。

(絶対に失敗しちゃダメ……!)

口のなかがカラカラに乾いていく。

(もし公爵様の足を踏んでしまったら……うぅ、想像しただけで目の前がくらくらする)

緊張でガチガチになりながらステップを踏む私は、ちらりと公爵様を見上げた。

息をするのさえ慎重になっている私とは違い、目の前の公爵様はいたって余裕そうに見えた。

……なんというか、ヒロインであるセラフィナよりも先に、この世界の男主人公と踊ることになるなんて。本当に不思議な気分だった。

「公爵様、私どものパーティーにご出席くださり、本当にありがとうございます」

そう言って微笑むと、私はおそるおそる尋ねてみた。

「もしかして公女様が……私たちのパーティーに来てくださるよう、公爵様にお願いされたのですか?」

その瞬間、公爵様の整った顔に、深い疲れの色がよぎった。

「まあ、まったく関係ないとは言えませんね」

「ああ……どれほど振り回されているんでしょうね」

私は思わず、同情を込めて肩をすくめた。

だが、公爵様の疲れた雰囲気はすぐに消え去り、

「まあ、それでも」

と、言葉を続けた。シャンデリアの光が滝のように降り注ぐなか、公爵様の澄んだ青い瞳がいたずらっぽく輝く。

少しだけ私の方へ身を寄せると、彼は穏やかな声でささやいた。

「レディ・アンシが気に病むことではありませんよ」

「え?」

私が気にすることじゃないって、一体どういう意味だろう。

「エヴァがどれほど頼んだとしても、私が望まないパーティーには出席しませんから」

意味深な微笑みを浮かべた公爵様は、何でもないことのように続けた。

「私自身が来たいと思って、ここへ来たのです」

私は思わず息をのんだ。

周囲には、花束のように華やかな令嬢たちと、その手を取って踊る紳士たちがたくさんいる。その華やかな光景のなかにあっても、不思議と私の目には、目の前の公爵様だけが鮮明に映っていた。

さらり、と。

薄いドレスの裾越しに、公爵様の長い脚がかすかに触れた。そのたびに、不思議と全身がぴんと緊張する。

私の腰にそっと添えられた手。まっすぐ私を見つめる青い瞳。

ダンスではごく普通の動作だと分かっている。恋愛的な意味なんてまったくないし、気にする必要もないと頭では理解しているのに――。それでも、どうしても彼を意識してしまう。

そのとき、私の身体が大きくぐらりと傾いた。

「きゃっ!」

ドレスの裾が、尖った靴の先に引っかかってしまったのだ。

けれど幸いにも、そのまま床へ無様に倒れ込むようなことはなかった。

「おっと、大丈夫ですか?」

公爵様が私の腰をしっかりと抱き寄せ、支えてくださったからだ。

私は彼に身を預けたまま、その姿勢のまま固まってしまった。

誰にも私の失敗を気づかせないほど、見事なフォローだった。

「レディ・アンシ?」

「……は、はい。大丈夫です。ありがとうございます」

一瞬ぼうっとしていた私は、慌てて答えた。

静かな湖に小石を投げ込まれたように――私の心臓は、激しく波立っていた。

セラフィナとグレゴリーは、少し遅れてアンシ子爵家のパーティー会場へと足を踏み入れた。

宴はすでに最高潮を迎えていた。

ダンスホールでは紳士と令嬢たちが華やかに踊り、年配の貴婦人や紳士たちは軽い酒やお茶を楽しみながら、和やかに談笑している。

その光景を目にした瞬間、セラフィナは大きな衝撃を受けた。

(どうして……誰も私に挨拶に来ないの?)

人々の注目を一身に集めること。誰もが自分に好意を示し、輪の中心に立つこと。それは彼女にとって、息をするのと同じくらい当たり前のことだった。特にグレゴリーの後ろ盾を得て、南部社交界の女王として君臨していた頃は、なおさらだった。

だが、今は誰も彼女を見ていない。

セラフィナはぎゅっと下唇を噛み締めた。そのときだった。

(待って――)

セラフィナははっと顔を上げた。ダンスホールの中央に、見覚えのある後ろ姿を見つけたからだ。

優雅に結い上げられた漆黒の髪。細い腰から美しい曲線を描いて広がる、ふんわりとしたドレスの裾。そして、少しも揺るがない美しい姿勢。

(ラリテ……!?)

セラフィナは驚きを隠せなかった。

「今回のレディ・アンシは、主催者としての役目をしっかり果たしていらっしゃいますね」

「ええ。いつもは内気なレディという印象でしたけれど、こうしてきちんと装えば、とてもお綺麗じゃありませんか」

「本当に。どうして今まであんなに地味な格好ばかりしていたのかしら」

近くに集まっていた貴婦人たちが、開いた扇子の陰でひそひそと囁き合っている。

「レディ・アンシがあんなに明るく笑っている姿、初めて見た気がしますわ」

その言葉通り、晴れやかな笑みを浮かべるラリテの顔には、以前の陰鬱な面影はまるでなかった。

(嘘……)

セラフィナの瞳が大きく揺れる。

まるで、ラリテがこのパーティーの主役のようだった。

しかも、セラフィナをさらに驚かせたのは、そのダンスの相手だった。

「でも、本当に驚きましたわ。まさか、あのお方がレディ・アンシにダンスを申し込まれるなんて」

貴婦人が視線で示した先――ラリテの手を取って踊る、その男性。

陽光を溶かし込んだように輝く白金色の髪に、冬の海を思わせる青い瞳。社交界で最も美しい薔薇と称えられるクラウディウス公女さえ霞ませるほど、その姿は圧倒的だった。

(クラウディウス公爵様!? どうして……!?)

セラフィナは目を見開いた。

彼女はこれまで、クラウディウス兄妹に近づこうとあらゆる努力を重ねてきた。社交界の中心に立つ公女との友情、そして、誰も成し遂げられなかった公爵とのダンス。

それほど欲しても手に入らなかったものを、あの取るに足らないはずのラリテが、いとも簡単に手にしている。

どうしても信じられなかった。

(そんなはずないわ……!)

エメラルドのように輝く深緑の瞳が、激しい動揺で揺れ動く。そのなかでも、ひときわ強く燃え上がっていた感情は――紛れもない「嫉妬」だった。

(全部嘘よ。こんなの……! ラリテなんかが、私を超えられるはずない!)

ラリテの立ち位置は、自分を引き立てるためのものだった。最初から、そう決められていたのだ。自分と対照的な存在として、セラフィナをより一層美しく見せるために。

ラリテはいつも暗い表情で、自分のそばに這いつくばっているべきだった。豪華なシャンデリアの灯りの下で、あんなにも幸せそうに笑っているのではなく!

一方、自分の怒りと嫉妬を抑えるのに必死だったセラフィナは、気づいていなかった。

衝撃を受けたグレゴリーの視線が、ラリテだけを凝視していたことに。今のグレゴリーの目には、セラフィナの姿など映っていなかった。

「ラリテ……?」

グレゴリーは震える声でその名を呟いた。

ラリテはいつも自分に想いを寄せ、認められようと努力し、当然のように自分の後ろを歩いていたはずなのに。

ずっとそうだった。息をするように自然なことだった。

美しいセラフィナと比べられ、見下され、どれほど侮辱されても、ラリテは愚かなくらい笑って受け流してきた。だからいつかは、ラリテのすべてが自分のものになると疑いもなく信じていたのだ。

(ラリテ、お前がどうして僕にこんなことをするんだ……?)

グレゴリーは拳を強く握りしめた。その瞳には、裏切られたような色が浮かんでいる。

ラリテはいつも自分のそばにいた。まるで呼吸する空気のように、毎日飲む水のように。

けれど今、この瞬間――目の前にいる彼女が、ひどく遠い存在に感じられてならなかった。

エヴァンジェリンは飲み物を片手に、ゆっくりとした足取りでバルコニーへ向かった。

涼しい夜風が、火照った頬を心地よくなでていく。

「はぁ、うんざりするわ」

バルコニーの手すりにもたれかかりながら、エヴァンジェリンはぽつり。と呟いた。

クラウディウス公女。その名は、否応なく大勢の人々の注目を集めてしまう。しかし、よほど身分の高い相手でなければ、気軽に彼女へダンスを申し込める者などいない。結局、エヴァンジェリンは誰とも会話を交わせないまま、ただ彼女を熱い視線で見つめる人々に囲まれているだけだった。

「はぁ……」

ため息をつき、飲み物を一口含む。冷たい液体が喉を通り抜けると、胸のつかえが少しだけ和らいだ気がした。

エヴァンジェリンはぼんやりと夜空を見上げた。漆黒の空には、砂粒を散りばめたように無数の星が輝いている。その夜空を眺めていると、ふと友人の黒髪が思い浮かんだ。自分が選び、彼女の髪に飾ってあげた真珠の髪飾りまで、鮮明によみがえってくる。

(そういえば、お兄様とレディ・アンシ……すごくお似合いだったな)

彼女はそのまま、ふっと微笑んだ。

シャンデリアの灯りの下で、自分の大好きな二人が楽しそうにワルツを踊っていた。正直、夜会そのものはあまり面白くなかったし、ラリテにしつこく言い寄る有象無象の男たちには少しうんざりもした。けれど、二人が踊る姿を眺めているだけで、不思議と幸せな気分になれた。

その時――。

「クラウディウス公女様?」

誰かが遠慮がちに声をかけた。

「え?」

振り返ったエヴァンジェリンは、思わず目を丸くした。

「アンシ子爵夫人……?」

ラリテの母だった。

エヴァンジェリンはできるだけ穏やかな笑みを浮かべる。

「何かご用でしょうか?」

アンシ子爵夫人は、おずおずとした足取りで歩み寄ってきた。

「明日には帝都へお戻りになるのですよね?」

「あ、はい。そうです」

エヴァンジェリンはうなずいた。それも当然だった。ディートリヒから手紙で何度も念を押されていたのだ。

『これ以上アンシ子爵家に迷惑をかけてはいけない。私が帝都へ戻る時は、お前も必ず一緒に戻るんだ。いいな?』

そんな事情もあり、エヴァンジェリンは兄とともに先に帝都へ帰る予定だった。一方のラリテは、あと数日だけ故郷に残り、両親と過ごすことになっている。

「……何かお話でもおありですか?」

エヴァンジェリンは子爵夫人をちらりと見つめた。ためらっていた子爵夫人は、彼女と目が合うと小さく肩を震わせる。そして蚊の鳴くような小さな声で、再び口を開いた。

「ぶしつけなお願いなのですが、一つお願いしてもよろしいでしょうか?」

「もちろんです。どうぞ遠慮なくおっしゃってください」

エヴァンジェリンは明るくうなずいた。だがその一方で、胸の中には少しばかりの居心地の悪さを感じていた。

(何か……私が失礼なことでもしてしまったのかしら?)

実のところ、エヴァンジェリンは年長者に好かれるタイプではなかった。帝国でも指折りの高貴な身分という立場は、大人たちにとって気軽に近づけない壁となっていたし、率直すぎる物言いや飾らない性格も、年配の人々には接しづらく映ることが多かったのだ。

(レディ・アンシのご両親だから、できれば良い印象を持っていただきたかったのだけれど……。ああ、やっぱり駄目だったのかな)

エヴァンジェリンがこぼれそうになるため息をぐっと飲み込んだ、その時だった。

「本当にありがとうございます、公女様」

突然、アンシ子爵夫人が深々と頭を下げた。

思わず目を丸くしたエヴァンジェリンは、驚いた猫のように固まってしまう。

「えっ!?」

「実は、うちのラリがあんなに嬉しそうに笑う姿を見たのは、本当に久しぶりなのです」

終始緊張していたアンシ子爵夫人の顔に、かすかな笑みが広がった。

「……いつも肩身の狭い思いをしているあの子が、不憫でならなくて」

「それは……」

「私から見れば長所がたくさんある子なのに、ラリはいつも自分を過小評価してしまうのです」

エヴァンジェリンは、夫人が何を言いたいのかすぐに理解した。

ラリテ・アンシ。実際、社交界では彼女はセラフィナの付き人のような存在だと認識されており、エヴァンジェリン自身も最初はそう思っていた。何かにつけてラリテを我が物顔で扱うセラフィナと、いつもその非をかぶり、代わりに頭を下げるラリテ。

だからこそ、エヴァンジェリンが最初にラリテへ抱いた感情は、かすかな好奇心だった。

(どうしてレディ・ロペスにあそこまで献身的なんだろう?)

エヴァンジェリンから見れば、セラフィナが社交界であれほど順風満帆に立ち回れているのは、ひとえにラリテのおかげだった。領地すら持たない没落気味の貴族だったセラフィナは、ラリテとの縁を足がかりに帝都の社交界へ足を踏み入れ、彼女のお金で何着もの華やかなドレスを仕立て、彼女を遠慮なく冗談の種にしながら「気さくで楽しい令嬢」という評判を手に入れたのだ。

セラフィナがあちこちで愛されるようになるほど、ラリテが犠牲にしなければならないものは増えていった。それなのに、ラリテはいつも笑顔を向けていた。『セラは私の親友なんです』と、あの優しい眼差しで。

いつからか、エヴァンジェリンは「ラリテはセラフィナにはもったいない人だ」と思うようになっていた。そして同時に、血のつながった家族でもない相手をこれほど心から大切に思えるその関係が、少しだけ羨ましかった。

(いつか私にも、そんな人ができるのだろうか?)

だからこそ、初めてラリテが自分を訪ねてきたとき、正直少し期待していたのだ。もしかしたら、あの友情を自分にも少しは分けてくれるのではないかと。そしてラリテは、友達契約を結んで以来、一度たりともエヴァンジェリンを失望させたことはなかった。

「ラリがあんなふうに踊るのも、今回が初めてなのです」

物思いにふけっていたエヴァンジェリンは、夫人の声ではっと我に返った。

「グスト卿は毎回レディ・ロペスにしかダンスを申し込まなかったものですから……親として胸が痛かったのです」

アンシ子爵夫人は背筋をすっと伸ばし、エヴァンジェリンを見つめた。

宴会場の向こうから差し込む華やかな灯りが反射し、夫人の瞳は涙でかすかに潤んでいるように見えた。

「ラリがあんなふうに変わることができたのは、すべて公女様が友達になってくださったおかげです。まだまだ未熟な娘ではございますが、これからもどうかラリをよろしくお願いいたします」

「……」

満面の笑みを浮かべるアンシ子爵夫人を見つめながら、エヴァンジェリンは、ラリテがどうしてあれほど温かい人へと成長できたのか、その理由が分かった気がした。そして、少しだけラリテが羨ましかった。幼い頃に両親のぬくもりを永遠に失ってしまった自分にとっては、なおさらだった。

「いいえ」

胸に込み上げるものを隠すように、エヴァンジェリンは無理に笑顔を作って首を横に振った。

「レディ・アンシは、私にとってたった一人の友人です。むしろ、私のほうがレディ・アンシにはたくさん助けてもらっています」

「そのようにおっしゃっていただけるなんて、公女様は本当に本当にお優しい方ですね」

優しい――生まれてこの方、一度も言われたことのない言葉だった。

けれどアンシ子爵夫人は、ただ温かい眼差しでエヴァンジェリンを見つめていた。そのまなざしは、ラリテによく似ていた。

「またぜひ遊びにいらしてください。次も公女様を精一杯おもてなしさせていただきますわ」

「いいえ、今でも十分すぎるほどのおもてなしをしていただいています。でも……」

軽く手を振りかけたエヴァンジェリンは、ふと眉を寄せた。

「そこまでおっしゃっていただけるなら、いつか必ず一度お伺いします」

「あら、公女様のご期待に応えられるよう、私たちも頑張らないといけませんね」

冗談めかして笑った夫白は、続けて真剣な口調で言った。

「公爵領の絶景には及びませんが、この近くにも景色の美しい場所がいくつかございます。次にいらした時には、ぜひ私たちがご案内いたしますわ」

「まあ、もう今から楽しみです」

エヴァンジェリンはくすくすと笑い、不思議な気持ちに包まれていた。

(もしお母様がまだ生きていて、私のそばにいてくださったら……こんな気持ちだったのかな?)

こんなにも心が穏やかになるのは、彼女にとって本当に、久しぶりのことだった。

 



 

 

  • グスト伯爵家の没落と焦燥

    これまでの影響力を誇示できず閑散としたパーティーで、セラフィナとグレゴリーは内紛を起こしながらも、起死回生を狙ってアンシ子爵家の夜会へと乗り込む。

  • ラリテの華麗な転身と周囲の動揺

    地味な引き立て役だったはずのラリテが、クラウディウス公爵と見事なワルツを踊り夜会の主役となる。それを見たセラフィナは激しい嫉妬に狂い、グレゴリーは彼女の変貌に呆然として裏切られたような絶望を味わう。

  • エヴァンジェリンが受け取った温もり

    孤独を抱える公女エヴァンジェリンは、バルコニーでラリテの母(子爵夫人)から心からの感謝と歓迎を受け、失った母親のぬくもりを思い出すような穏やかな救いを得る。

 

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