悪役令嬢の推しに選ばれました

悪役令嬢の推しに選ばれました【28話】ネタバレ




 

こんにちは、ピッコです。

「悪役令嬢の推しに選ばれました」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。

又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【悪役令嬢の推しに選ばれました】まとめ こんにちは、ピッコです。 「悪役令嬢の推しに選ばれました」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介...

 




 

28話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 揺らぐ足元

『どうして、こんなことに……?』

セラフィーナは、目の前の現実をどうしても受け入れられなかった。

つい先ほどまで、クラウディウス公爵家の公女はラリットの手首をつかみ、そのまま親しげに店を出ていった。まるで本当に、二人が身分を超えた無二の親友であるかのように――。

「本当に腹が立つわ……!」

セラフィーナは怒りを抑えきれず、奥歯をギリッと噛みしめた。

クラウディウス公女、エヴァンジェリン

セラフィーナは、初めて彼女を見た時からその存在が忌々しくてならなかった。まるで名工が丹念に作り上げた人形のような、完璧な顔立ち。輝くハニーブロンドの髪と、澄んだ青い瞳。気品、身分、財力、そのすべてを何一つ欠けることなく備えた、高貴な令嬢。

最初は、あの公女を自分の味方に引き入れ、さらなる利益と名声を得ようと考えていたのだ。しかし――。

『どうして私がレディ・ロペスと一緒にティータイムを過ごさなければならないのですか?』

脳裏に蘇る、あの冷徹な声。

これまで何をやっても順調に周囲を操ってきたセラフィーナにとって、エヴァンジェリンは初めてぶつかった巨大な壁だった。社交界で唯一、自分にまったく好意を示さなかった絶対的な存在。セラフィーナは、あの高くそびえる壁を一生越えられないのではないかという、底知れない不安すら覚えていた。

なのに、どうして。

(どうして、ラリットなの……!?)

あんなに頑なだった公女を、あの元侍女のラリットが、あっさりと懐柔してしまった。

それだけではない。公女と行動を共にするようになってから、ラリット自身も驚くほど変わっていった。以前の彼女なら、誰かに責められれば、すぐに怯えておどおどと謝るのが当たり前だったのに。

「どうして、こんなにも次々と予想外のことが起きるのよ!」

セラフィーナは込み上げる怒りを抑えきれず、手にしていた扇をぎゅっと握り締めた。ミシミシと音を立てる扇。力が入りすぎて、白皙の手の甲には青白い骨が浮き出ていた。

「いえ、それにしてもレディ・アンシ……どうしてあんなに図々しいのかしら?」

その時、セラフィーナの険悪な顔色をうかがっていた取り巻きの一人が、機嫌を取るように声を上げた。

「そうよ! レディ・ロペスはあのラリットのために、あんなに尽くしてあげていたじゃありませんか!」

「それなのに、恩を仇で返すなんて信じられないわ!」

だが、ラリットを非難する彼女たちの声には、以前のような勢いはすでに失われていた。怯えと迷いが、確実に伝染している。

すると、別の一人がおずおずと口を開いた。

「でも……公女様が、あそこまで堂々とラリットの味方をなさるなんて思ってもみませんでしたわ……」

その言葉を聞いた瞬間、セラフィーナは心臓がどくりと重く沈むような感覚を覚えた。

――この令嬢たちも、ついに気づいてしまったのだ。クラウディウス公女が、ラリットをどれほど特別に信頼しているのかを。

それをきっかけに、令嬢たちは次々と本音を漏らし始めた。

「正直なところ、公女様を敵に回したくはありませんわ……」

「公女様がレディ・アンシと親しくしていらっしゃるのは、どうやら本当のようですし……」

「ええ。アンシ子爵家のパーティーにまでご出席なさるなんて、正直驚きましたわ」

最初に口を開いた令嬢が、不安を隠せない様子で続けた。

「すでに公女様のお気に召さないことをしてしまった以上、もしあのアンシ子爵家のパーティーまで欠席したら……私たちの立場は、ますます悪くなるんじゃありませんこと?」

(ちょっと待って……何を言っているの、この子たちは?)

セラフィーナは困惑と焦燥の混じった表情で令嬢たちを見つめた。しかし、一度口火を切った彼女たちの計算と本音は、もう止まらなかった。

「それに、よく考えてみれば……」

一人の令嬢が、セラフィーナの顔色をそっとうかがいながら言葉を紡ぐ。

「レディ・アンシは、将来アンシ子爵家を正式に継ぐお方ですわよね」

その言葉に、ほかの令嬢たちも堰を切ったように同意し始めた。

「そうですわ。いずれは一つの家門を率いる当主になる方なのに、これまで私たちは少し、失礼な態度を取りすぎていたのかもしれませんわ」

「そこまで決定的に敵対する必要は、本来ありませんでしたものね……」

ついさっきまでとは打って変わって、あからさまに態度をころりと変えていく。令嬢たちは、それぞれ気まずそうな表情で互いを見つめ合った。まるで、『どうして私たちはあんな無茶な嫌がらせをしてしまったんだろう』と、今さら後悔しているかのように。

セラフィーナは口の中がからからに乾いていくのを感じた。

まずい。非常にまずい。このままでは、自分が築き上げてきた南部社交界の流れを完全に変えられてしまう。

「まあ、レディ・フェイレン」

セラフィーナはいつものように可憐で柔らかな笑みを無理やり浮かべ、令嬢たちの会話に割って入った。

「レディは、アンシ子爵家のパーティーにご出席なさるおつもりですの?」

わざと、この場で答えにくい踏み絵のような質問を投げかけた。突然話を振られた令嬢は、あからさまに動揺して口ごもる。

「え? あ、その……私は……」

「私は、私たちの友情が、そんなその場の権力だけで簡単に揺らぐものではないと信じていますわ」

セラフィーナの笑みが、さらに深まる。それは、無言の圧力だった。

「……そうですわよね?」

「えっと……それは……」

レディ・フェイレンはどう答えればいいのかわからず、助けを求めるように周囲の令嬢たちの顔色をうかがった。しかし、周りの令嬢たちもまた、自分の身の振りの方を考えて複雑な表情ではぐらかす。

気まずい沈黙が、重くカフェのテーブルに流れた。

しばらくして、一人が言い訳のようにつぶやいた。

「その……パーティーに出席するかどうかは、当主である親が決めることですもの!」

「わ、私もですわ。家の都合がありますから」

「その通りです! 私だって、もちろんセラフィーナ様のためにグスト伯爵家のパーティーにはぜひ出席したいと思っておりますけれど……!」

無理に笑顔を作っているせいで、彼女たちの唇はかすかに震えていた。そして何より、誰もセラフィーナとまっすぐ目を合わせようとはしなかった。

(いったい、裏で何を企んでいるの……!?)

セラフィーナの胸に、冷たい違和感と恐怖が突き刺さる。

その日――令嬢たちの誰一人として、セラフィーナに対して「グスト伯爵家のパーティーへ必ず行く」とはっきり断言する者はいなかった。

バタン!

勢いよくカフェの扉を押し開けたエヴァンジェリン様は、そのまま怒涛の勢いで足早に歩き出した。何もできず、ただその小さな背中の後ろをついていっていた私は、おそるおそる口を開く。

「こ、公女様……?」

ピタッ。

その呼びかけで、エヴァンジェリン様は突然足を止めた。焦った私は、誤解を解こうと慌てて言葉を重ねる。

「さっき店内で令嬢たちが言っていたことですけど……! 私が公女様を利用しているだなんて、あれはまったくの誤解で、その、勢いで話を合わせてしまっただけで……」

その瞬間、エヴァンジェリン様はいつになく真剣な表情で私を振り返り、その名を呼んだ。

「レディ・アンシ」

「は、はい……!」

私は言葉を最後まで紡げず、思わず身を縮こまらせた。

しかし、エヴァンジェリン様は大きく一つ深呼吸をするばかりで、なかなか次の言葉を発しようとはしなかった。沈黙が長くなるにつれ、私の心臓はますます不安でバクバクと暴れだす。

(もしかして……私の不遜な態度に、ものすごく怒っていらっしゃるのかな……?)

そう思われても仕方がなかった。令嬢たちがあれほど無理やり話をこじつけていたとはいえ、私も売り言葉に買い言葉で、完全に開き直った態度を見せてしまったのだ。私の「公女様の権力もお金も身分も全部好き」という言葉は、公女様からすれば「利用価値があるからそばにいる」と言っているように聞こえたかもしれない。

気まずさに私が俯きかけた、その時だった。

「私と友達なのって、そんなに良かったですか?」

「えっ……?」

突然の、どこか恥ずかしそうな質問に、私は思わず呆然と固まった。

同時に、エヴァンジェリン様が完全にこちらを向き直る。私を見つめるその青い瞳は、まるで夜空の星のようにきらきらと輝いていた。

「……仕方ありませんね」

エヴァンジェリン様はふん、と可愛らしく鼻を鳴らし、澄ました顔で口を開いた。

「これからも、私の名前は好きに使ってもいいですよ」

「お、お名前を使う、とは……?」

「はい!」

エヴァンジェリン様はきっぱりとうなずいた。

「クラウディウス公女のたった一人の親友であることを誇りに思って、あちこちで『エヴァンジェリン様は私の友達です』って言って回っても構いません。……いえ、むしろ、そう言って回りなさい!」

「こ、公女様……!?」

「そんなに縮こまってないで、もっと私の友達らしく、胸を張って歩きなさい!」

こみ上げる嬉しさと気恥ずかしさを必死にこらえているのか、エヴァンジェリン様の口元は何度もぴくぴくと震えていた。

「友達なんだから、このくらい普通でしょう?」

公女様は何でもないことのように肩をすくめた。だが、すぐに「しまった」という表情になり、顔を真っ赤にして慌てて付け加える。

「い、いえ! 勘違いしないでくださいね!? 私たちはあくまで『友達契約』を結んでいる仲ですから! だから、私はその契約の義務を誠実に守っているだけなんです……!」

しどろもどろに言い訳をするその姿は、まるで尻尾に火がついた猫のようだった。

あまりの愛らしさに、私は思わず吹き出してしまった。

「ふふっ、そういうことですね。よく分かりましたわ」

友達契約だから、なんて強がってはいるけれど。公女様は今、不器用なやり方で、私を全力で気遣ってくれているのだ。

……なぜだか胸の奥が、じんわりと温かいもので満たされていく。

「そ、それで……」

そのとき、エヴァンジェリン様が赤くなった顔のまま、そっと私の様子をうかがうように声を落とした。

「私が勢いで、勝手にパーティーを開くなんて宣言してしまって……あなたを困らせてしまいましたよね? 費用のことは心配しないでください。クラウディウス公爵家の名において、全部私が出しますから……」

「いいえ、公女様」

私は愛おしさを込め、優しく首を横に振った。

「私もずっと、セラフィーナとグレゴリーの鼻をへし折ってやりたいと思っていたんです。ですから、願ってもないチャンスですわ」

「あ……そうですか!? よかった、それなら!」

現金なもので、私の言葉を聞いた途端、やる気満々になったエヴァンジェリン様は、小さな拳をぐっと握りしめた。

「あの生意気なレディ・ロペスの鼻っ柱を、跡形もなくへし折ってやりましょう!」

ひとしきり息巻いたあと、公女様はふと目を細めて、私の顔をじっと見つめてきた。

「……何ですか? どうしてさっきから、そんなにニヤニヤしているんです?」

「あ、その……」

私は照れくさそうに口元へ手をやった。自分でも気づかないうちに、あまりの幸福感に口角が大きく上がってしまっていたようだ。

(せっかく、こんな素敵な関係になれたんだもの)

私は一歩歩み寄り、心の底からにっこりと笑って答えた。

「公女様のことが、本当に大好きなんです」

「……っ!」

私の真っ直ぐな言葉に、エヴァンジェリン様は一瞬、呆然と私を見つめた。

そして――。

「わ、私も……」

エヴァンジェリン様のよく熟したイチゴのような赤い唇が、小さく震えた。

「レディ・アンシのこと……嫌いじゃ、ありません」

消え入りそうな声でそう言うと、公女様は猛烈な照れ隠しをするようにぷいっと顔を背けた。

「さあ、早く屋敷に戻りましょう! 7月5日まで、もうあまり時間がありません。グスト伯爵家を圧倒する最高のパーティーを開くなら、準備することが山ほどありますからね!」

「はい、公女様。わかりましたわ」

私は嬉しそうに微笑み、颯爽と歩き出した公女様の後ろを、弾むような足取りでついていった。

『ものすごく忙しい』

ここ数日間のディートリヒの日常を一言で表すなら、まさにその言葉に尽きた。

南部の上級貴族や海外の貿易商との緊密な商談、息つく暇もない実務者会議、そしてクラウディウス公爵家が主導する先端技術を担う船長たちとの緊密な面会まで。

「効率的」と書いて「超多忙」と読む――それが彼の毎日だった。

予定を限界まで詰め込んでいたせいで、ここ数日のディートリヒは睡眠時間すら極限まで削って働かなければならなかった。その徹底的な効率化のおかげで、今日はようやく早めの時間にホテルへ戻る馬車に乗ることができたのだが――。

「はぁ……今日は何があっても早く寝よう。熱い風呂に入って、それから……」

目の下に死人のような濃い隈を作った護衛の騎士は、馬車の座席にもたれかかりながら、力なく笑ってぼそりとつぶやいた。

「……」

向かい側に座る部下を冷ややかな一瞥であしらったディートリヒは、ふと窓の外へ視線を向けた。

ホテルへと続く通りには、夕暮れの光に照らされた華やかな商店街が広がっている。そこはアンシ子爵領でも指折りの高級商業地区だった。

『お土産、絶対に買ってきてね! 忘れたら承知しないんだから!』

ふと、出発前に帝都で聞いたエヴァンジェリンの喧しい声が脳裏によみがえった。

そういえば、あいつもレディ・アンシの領地へ遊びに行くと言っていた気がする。

(必要な物など、公爵家の財力でいくらでも自分で買えるだろうに……。エヴァのやつ、レディ・アンシに余計な迷惑をかけていなければいいが)

小さく息を吐いて首を振ったディートリヒは、その時、自然と妹の「唯一の友人」の姿を思い出していた。

レディ・アンシ――ラリット

夜の帳を溶かし込んだような、腰まで届く美しい黒髪。そして、こちらのすべてを見透かすかのように、揺らぐことなくまっすぐ彼を見つめてくる、花のように淡いピンク色の瞳。

激情的なエヴァンジェリンを、いつも見事な落ち着きで優しくなだめる彼女の静かな声。それを思い出していると、不思議と彼の冷徹な心までが、わずかに穏やかになるような気がした。

(……ここへ来れば、会うこともあるだろうか)

何気なくそう考えたディートリヒは、ふっと自嘲気味に小さく笑う。

(そんなはずないか)

アンシ子爵領は決して広大ではないとはいえ、偶然道端で誰かと出会えるほど狭い場所でもない。しかも、レディ・アンシは今、アンシ子爵家の本邸で静養しているはずなのだから。

『……やっぱり、少し残念だな』

(……残念?)

その瞬間、ディートリヒの思考がぴたりと動きを止めた。

(どうして私が、彼女に会えないことを『残念』などと思っているんだ?)

考えてみれば、残念に思う理由などまったくないではないか。

自身の内面に生じた奇妙な動揺に少し戸惑ったディートリヒは、すぐに脳内で合理的な理由をこじつけた。

(……レディ・アンシは、あの我が儘なエヴァンジェリンにとって初めての、唯一の友人だからだ)

それに、あの手のかかる妹を完璧にコントロールできる唯一の人物でもある。きっと、それが理由だ。だから、公爵家の当主として、彼女の動向が妙に気になるだけなのだろう。

ディートリヒはそう自分に言い聞かせ、無理やり納得した。

「それより、エヴァのやつ」

軽く舌打ちをしたディートリヒは、不満を誤魔化すように再び窓の外へ目を向けた。

「何か一つでも土産を買って帰らなければ、帝都に戻ってからしばらくの間、耳元で文句を言われ続けそうだな……」

ちょうどその時、馬車の窓から、エヴァンジェリンの好みにいかにもぴったり合いそうな一軒の高級宝石店が目に入った。

妹への贈り物選びは、実につまらなくて簡単だ。きらきらしていて、小さくて、とにかく可愛いもの。その浅薄な好みに応えるなら、最高級の宝石を一つ買い与えればそれで事足りる。

ディートリヒは軽く馬車の壁をノックした。

馬車は静かに停止する。同時に、対面でうたた寝をしていた満身創痍の護衛が、眠たそうにまぶたを持ち上げた。

「こ、公爵様……? 到着ですか……?」

「いや、エヴァへの贈り物を少し買ってきてやる」

目をぱちぱちさせる哀れな護衛に向かって、ディートリヒは至極穏やかな声で続けた。

「私一人で見てくる。その間、お前は中で少し休んでいろ」

「ですが、私は公爵様の護衛を……うぅ……」

忠誠心だけは一丁前の言葉を呟いた護衛だったが、睡魔には勝てず、そのままガクリと首を落として再び深い眠りに落ちてしまった。

その様子を見ていたディートリヒは、胸の内にわずかな罪悪感を覚える。

(三日間も徹夜同然で私のスケジュールに付き合わせたのは、さすがに少し酷だったか)

もっと正確に言えば――クラウディウス公爵家が提示した破格の特別手当につられて、この護衛本人が目の色を変えて志願してついてきたのだが。

ディートリヒは小さく首を横に振ると、静かに馬車を降り、夕暮れの街へと足を踏み出した。

「いらっしゃいませ、お客様」

宝石店に一歩足を踏み入れると、仕立てのいい衣服をまとった店員が、一目で彼のただならぬ身分を察して丁寧に頭を下げた。

ディートリヒは事務的に口を開く。

「贈り物を探している。女性向けで、年齢は二十代前半くらいなのだが」

「左様でございますか。では、素晴らしい品をご案内いたします。こちらへどうぞ」

店員はディートリヒを、美しく磨き上げられたガラスのショーケースの前へと恭しく案内した。中には、さまざまな一級品の宝石が、眩い光を放ちながら並べられている。

「こちらは、当店の新作で特に人気の高いデザインでございます」

店員は細い手袋をはめた手で、美しいブレスレットのケースを一つ取り出し、ディートリヒの前へ差し出した。

さらり、と涼やかな音を立てて揺れる、鮮やかな青い宝石が連なったブレスレット。

「最高級のターコイズを用い、この南部の美しい海をイメージした高雅なデザインでございます。最近では、このアンシ領に滞在される貴族令嬢のほとんどが、一本はお持ちになるほどで……」

「……」

しかし、ディートリヒは店員の下舌な説明を、途中からまったく聞いていなかった。

彼の視線は、ショーケースの最上段ではなく、その片隅にひっそりと置かれていた、ある小さなイヤリングへと完全に釘付けになっていた。

そのイヤリングは、決して派手な主張をしてはいなかった。耳元にぴったりと寄り添うような上品なデザインで、過度な装飾はないものの、施された繊細な金細工が職人の高い技術を物語っている。

何よりも――その中央にはめ込まれた、半透明の淡いピンク色の宝石。その色彩が、彼の記憶にある「ある色」とあまりにも酷似していた。

『公爵様』

ふと、脳裏にあの落ち着いた、涼やかな声がよみがえる。

その瞬間――。

(ああ、そうか)

ディートリヒは気づいた。

あの美しく、どこか儚げな淡いピンク色の宝石は……ラリットの、あの真っ直ぐな瞳の色と、そっくりだったのだ。

「……お客様? お客様、いかがなさいましたか?」

「あ、ああ……すまない」

店員の呼びかけに我に返り、ディートリヒは静かに顔を上げた。店員は商機を逃さない見事な笑みを浮かべ、彼が見つめていたイヤリングをケースごと取り出した。

「こちらの商品がお気に召しましたか? こちらは、最上質のローズクォーツをあしらったイヤリングでございます。非常に肌馴染みが良く、上品で素敵でしょう?」

「……」

ディートリヒは無意識のうちに、そのイヤリングがラリットの耳元で、彼女の美しい黒髪に映えて揺れている姿を想像してしまっていた。

――間違いなく、彼女にとてもよく似合うだろう。

だが、すぐに冷徹な理性が冷や水を浴びせる。

(わざわざ、レディ・アンシの分まで贈り物を買う必要があるのか? 彼女は私にとって、ただの妹の友人にすぎないというのに)

もちろん、彼女が我が儘な妹に素晴らしい好影響を与えてくれていることには感謝していた。だが、公爵たる自分が、一子爵家の令嬢に個人的な贈り物を買い与えるなど、客観的に見れば奇妙な誤解を招きかねない行為だ。

分かっている。分かっているはずなのに。

「……先ほどのターコイズのブレスレットと、それから、こちらのイヤリングも頼む」

気づけば、ディートリヒの唇は、自身の精緻な理性とは裏腹に、勝手にそう告げていた。

「かしこまりました! ありがとうございます。それでは、それぞれ贈り物用に美しくラッピングをいたしましょうか?」

(私は、一体何を血迷っているんだ……?)

自分でもまったく説明のつかない奇妙な衝動に激しく戸惑いながらも、ディートリヒは表情一つ変えず、静かにうなずいた。

「ああ。頼む」

「ありがとうございました。またの御光臨を心よりお待ちしております!」

店員たちの最敬礼に見送られながら、ディートリヒは宝石店を後にした。

(……やってしまったな)

馬車へ戻る道すがら、彼はようやく苦い気まずさを表情に滲ませ、自身の両手を見下ろした。

我に返ると、その手には高級なリボンでラッピングされたばかりの小箱が、しっかりと二つ並んで握られている。

ちょうど目を覚まして待っていた護衛の騎士が、不思議そうに首を傾げて尋ねてきた。

「おや、公爵様。どうしてプレゼントの箱が二つもあるのですか?」

「……気にするな」

「はあ、左様ですか」

ディートリヒがきっぱりと冷たく言い切ると、護衛はそれ以上追及するのを諦め、お腹が空いたのか軽く肩をすくめた。そして、思い出したように懐から一通の封筒を取り出し、彼に差し出した。

「それと公爵様、先ほど公爵様宛てに、緊急の早馬で一通の手紙が届いておりました」

「手紙?」

手渡された上質な封筒の表面には、見紛うはずもない、あの奔放で傲慢な妹の筆跡がはっきりと残されていた。

エヴァンジェリン・フォン・クラウディウス】

(……今度は一体、南部で何をやらかしたんだ、あいつは)

嫌な予感しかせず、背筋がぞくりと寒くなる。ディートリヒは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべながら、乱暴に封を切って手紙を開いた。

ディートリヒお兄様へ』

『7月5日に、アンシ子爵家でとっても素敵なパーティーが開かれるの。だから、お兄様も絶対に、必ず来てね。約束よ』

愛想のいい挨拶すらなく、いきなり傲慢な用件だけを書き連ねるとは。なんとも図々しい妹である。

ディートリヒはさらに呆れた表情になりながら、その下に書かれた続きに目を走らせた。

『今日あたりで、お兄様の退屈なお仕事もほとんど終わる頃でしょ? どうせお兄様も同じアンシ子爵領にいるんだから、来ないなんて理由は通用しないわ』

『追伸:せっかくここまで来たんだから、ちゃんとパーティーに顔を出して、私の可愛い友達の面目(と、私のメンツ)を立派に立ててあげてね。わかった? ――世界で一番きれいで、可愛くて、かっこよくて、愛らしいエヴァンジェリンより』

ここまででも十分に頭痛が痛む内容だったが、エヴァンジェリンの恐るべき手紙は、まだ終わっていなかった。

『追々伸:クラウディウス公爵家の高貴な体面もあるから、今回のパーティーの莫大な費用は、とりあえず私が全額立て替えておいてあげたわ! 領主の手続きも私が美しく支払っておくから、お兄様はあとで公爵家の経費として、私に全額請求できるように裏で手配しておいてね。よろしく!』

「……なんというか。本当に、底抜けに図々しい奴だな」

ディートリヒは思わず、天を仰いで力なくつぶやいた。

自分の我が儘な頼みだけを書き連ねた挙げ句、子爵家のパーティー費用まで勝手に公爵家の経費として手配してしまうとは。あの妹の傲慢さは、一体誰に似たのだろうか。

呆れたような顔でしばらく手紙を凝視していたディートリヒは、大きく重いため息をつくと、ようやく隣でソワソワしている従者へと鋭い視線を向けた。

「……一体現地でどういう状況になっているのか、今すぐ徹底的に調べてくれ」

「えぇっ!? い、今からですか!?」

護衛の騎士は、その場で本気で絶望した顔になった。

彼の頭の中にあった、宿宿での温かいお風呂、ジューシーに焼きたてのステーキ、デザートのとろけるアイスクリーム、そしてふかふかの特等ベッドで泥のようにぐっすり眠るはずだった至福の休息プランは――たった今、すべて音を立てて粉々に砕け散ったのだった。

 



 

 

  • セラフィーナの焦燥と取り巻きの離反:

    エヴァンジェリン公女とラリットが身分を超えた絆を見せつけたことで、これまで南部社交界を牛耳っていたセラフィーナは激しい嫉妬と危機感を抱き、さらに公女の権威を恐れる令嬢たちが次々とラリット(アンシ子爵家)へ態度を翻し始めたため、自身の求心力の崩壊に直面した。

  • 公女とラリットの「友達契約」の深化:

    ラリットから「公女様のことが本当に大好き」と真っ直ぐな好意を告げられたエヴァンジェリンは、猛烈に照れながらも「友達契約の義務」としてラリットに自身の名を盾に使うことを許し、対立するグスト伯爵家を圧倒する最高のパーティー(7月5日開催)をクラウディウス公爵家の財力で開くことを約束した。

  • ディートリヒの無自覚な恋心と妹からの無理難題:

    アンシ領で多忙を極める公爵ディートリヒは、ラリットの瞳に酷似した淡いピンク色のイヤリングを無意識に彼女への贈り物として購入してしまう。直後、妹から「パーティー費用を公爵家の経費に回した。絶対に出席しろ」という底抜けに図々しい手紙を受け取り、呆れ果てながらも現地の調査を命じた。

 

 

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