剣を持った花

剣を持った花【50話】ネタバレ




 

こんにちは、ピッコです。

「剣を持った花」を紹介させていただきます。

ネタバレ満載の紹介となっております。

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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

【剣を持った花】まとめ こんにちは、ピッコです。 「剣を持った花」を紹介させていただきます。 ネタバレ満載の紹介となっております...

 




 

50話 ネタバレ

登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。

  • 血染めの天使像

ユリエンは捕らえた彼女を、蒼天騎士団本部の最深部にある地下牢へと収監した。

魔力を封じる厳重な封印具を取り付け、四肢には太い鎖を巻き、さらには特注の二重扉まで設置して完全に隔離したのだ。

この一報に、帝国の皇帝は激怒した。人類の脅威である悪魔を即刻処刑せよという非情な勅命が下る。しかしユリエンは、生まれて初めて真正面から父親であり絶対権力者である皇帝の命令を拒絶した。皇帝は激しく反発したものの、カレム率いる討伐隊の壊滅によって軍事力に深刻な打撃を受けていた帝国には、もはや聖地アジェンカへ強硬手段を取るだけの余力は残されていなかった。少なくとも、当面の間は。

こうして、アジェンカと帝国の間には冷たい、不穏な緊張が走ることとなった。

処刑を求める抗議の書簡が絶え間なく届き、水面下では様々な思惑がうごめいていた。当初こそ、蒼天騎士団は悪魔の魔の手から大陸を救った英雄として熱狂的に扱われていたが、月日が流れるにつれて、魔剣の被害者たちの遺族や民衆の不満は膨らんでいった。

「なぜあの悪魔を即座に処刑しないのか――」

そんな排斥の声は、日に日に大きくなっていった。

ユリエンは公務の合間を縫っては、毎日のように薄暗い地下牢を訪れた。だが、彼女に近づくことは決して許されなかった。鉄格子越しに、暗がりに囚われた彼女を見つめることしかできない。その檻の向こうで、彼女の肉体は自我を失った獣のように、鎖を鳴らして狂ったように暴れ続けていた。

しかし、正眼を開いたユリエンの視界には、まったく別の凄絶な光景が映し出されていた。

うごめく漆黒の悪意の隙間から、かすかに漏れ出す美しい光。かつて祝賀会で見たあの小さな火種は、この極限の絶望の中でいまや力強い「炎」となり、侵食に抗いながら少しずつその輝きを増していたのだ。今にも消えそうなほど危うく揺らめきながらも、決して絶えることのない魂の炎。

彼はその哀れで、あまりにも必死な彼女の抵抗を、来る日も来る日も静かに見守り続けた。

『最初に見た時、太陽になれる可能性を持っているとは言った。だが、あれほど濃密な魔剣の悪意に呑まれながら、本当に正気を保ち続けているとはな……。正直、驚いたよ』

脳内でランギオーサが驚嘆の混じった声を漏らす。

「彼女は勝つ」

ユリエンは、冷たい鉄格子を前に小さく呟いた。

一度だって言葉を交わしたこともない。まともにその素顔を見たことさえない。名前すら知らない。それなのに、孤独な戦いを続ける彼女を見守れば見守るほど、どうしようもなく魂の底から応援したくなった。勝ってほしかった。理不尽な運命を乗り越えてほしかった。

あの呪われた悪意を自らの意志で打ち破り、彼女が自分の身体を取り戻したその時――彼女が一体どんな人間なのかを、真っ直ぐに知りたいと願った。

その時、悪意の向こうで揺れる紫の炎が、再び激しい闇の圧力に圧されて危うく傾いた。風前の灯火のように今にも掻き消されそうになりながら、それでも彼女の魂は猛然と立ち上がる。押し潰そうとする肥大化した闇の下で、必死にもがくその姿から、ユリエンは正眼を通じて彼女の声にならない悲鳴を感じ取った。

思わず奥歯を強く噛み締める。

助けたい。方法さえあるのなら、この命を賭してでも何だってしたかった。だが、聖剣の主である彼にすら、どうすることもできなかった。魔剣の侵食を打ち破るというのは、外部からの力では決して成し得ない、彼女自身が魂の深淵で乗り越えなければならない試練だったからだ。

ユリエンは静かに鉄格子へ手を伸ばした。だが、その指先が彼女に届くことはない。冷徹な鉄の扉に遮られ、ただ冷たい感触が指先に伝わるだけだった。その拒絶の感触は、ひどく冷たかった。

「準備をしなければ」

『……何の準備だ、主人よ』

「彼女が……もう一度、人間として生きていけるように」

ユリエンは、彼女が自らの身体を取り戻した「その先」の未来を見据え始めていた。

暗闇で孤独な戦いを続ける彼女のために、今してやれることはほとんどない。それでも、せめて彼女がその戦いに勝利して檻から出てきた時、彼女が人間として息をして、生きていける場所だけは世界に残しておきたかった。

彼は独断で、魔剣の悪魔によって被害を受けた人々への莫大な補償と支援を進めた。犠牲者たちの慰霊祭を自ら執り行い、美しい慰霊碑を建立した。壊滅した街の復興事業にも蒼天の力を惜しみなく貸し与えた。

さらに、帝国との極秘の外交交渉にも乗り出した。狂気に取り憑かれた皇帝との対話は不可能だったため、交渉の席についたのは、実質的に国政を掌握しつつあった皇太子クルエンだった。何度も秘密裏に文書が行き交い、アジェンカの国境付近で会談が重ねられた。

その過酷な過程において、ユリエンは決して周囲に口外しなかった。正眼が捉えた衣服の紋様から、彼女が桃色の髪を持つ「帝国の高位貴族の令嬢」であるという推測に至っていたが、その正体をあえて深く暴こうとはしなかった。

知ろうとしなかったのだ。彼女の家門や素性を知ってしまったところで、何一つ良いことはないと考えたからだ。もし彼女に縁のある家族や血族がまだ帝国に生きているのなら、彼女の正体が公になった瞬間、連座の罪でとてつもない迫害と被害を受けるかもしれない。

だから、彼は探らなかった。本当は、彼女の名前を知りたかった。彼女を何という名で呼べばいいのか、知りたくてたまらなかった。だが、ユリエンは待つことにした。

あの呪われた悪意に打ち勝ち、彼女が自らの身体を取り戻したその時に――その美しい本人の口から、その名を聞けばいい。そう心に決めていた。

そして、閉じられた地下牢の前で、半年以上の月日が流れた。

* * *

1632年の秋。

ユリエンは聖地アジェンカを離れ、帝国の首都の片隅で、皇太子クルエンと秘密裏に密会していた。

今や帝国の権力の天秤は明らかに皇太子側へと傾いており、老いた皇帝は名ばかりの傀儡と化していた。

「お前の功績が大きい、ユリエン。南部の第二皇子派も、今や皇帝陛下ではなく、私が擁立する幼い甥を支持し始めているのだからな」

クルエンは静かにワイングラスを傾けた。

「それも、お前があの小僧を――魔剣の悪魔をアジェンカの地下へ幽閉し続けてくれているおかげだ」

白獅子を象徴とするキリエ帝国のハルデン皇族は、その大半が美しい銀髪を有していた。皇太子クルエンもまた見事な銀髪に、ユリエンと同じ冷徹な青い瞳を持っていた。それは紛れもなく、父である皇帝譲りの双眸だった。

一方、非業の死を遂げた第二皇子カレムは、崩御した先代の皇后譲りの鮮やかな緑の瞳を受け継いでおり、彼の遺児である幼い息子もまた同じ瞳を持っていた。皇帝は、己の血を引く青い目の息子たちよりも、愛した皇后と同じ翠の瞳を持つカレムとその血統を、病的なまでに深く溺愛していたのだ。

「義父上はお前を今でも『皇位を脅かす呪われた血』として最も警戒しているが、私はお前を信頼しているよ。お前は昔から、あの薄汚れた皇位になど微塵も興味がない男だからな。違うか?」

クルエンは皮肉混じりの苦笑を浮かべた。ユリエンは仮面のような無表情を崩さない。

皇太子は肩をすくめると、本題へと話を切り替えた。

「そろそろ、狂った父上の時代を終わらせる時だ。ユリエン、私に力を貸してくれ」

「……どのような協力をお望みですか」

「蒼天騎士団の主力を動かしてくれ。私と共に皇宮へ攻め込む」

ユリエンは微かに眉をひそめた。アジェンカの静謐を守る蒼天騎士団を、帝国の内乱という政治的軍事行動に加担させるわけにはいかない。明確に拒絶するつもりで口を開こうとしたその瞬間、皇太子は懐から一枚の古びた書類を机に差し出した。

「私が何の根拠もなくお前にそんな要求をすると思うか? 蒼天騎士団が介入するだけの、十分すぎる『正義の理由』がここにある。お前はただ、私の大義の剣になればいい」

「……これは?」

「魔剣バルデルギオーサを、我が帝国の皇室が組織的に接収し、政治的に利用していた決定的な証拠だ」

ユリエンの青い瞳が、衝撃に鋭く見開かれた。

掴み取るようにして書類を手に取る。その激しい動揺を見て、クルエンは満足そうに微笑み、腕を組みながら黙って彼が内容を読み進めるのを待った。

書類には、魔剣バルデルギオーサの力を利用し、皇室――正確には皇帝と第二皇子カレム派の権威を大陸中で絶対的なものにするための、悍ましい陰謀の全貌が簡潔かつ明確に記録されていた。

始まりは、数年前のこと。

皇帝の離宮近くにあったのどかな村で、突如として凄惨な惨殺事件が起きた。たまたま離宮に滞在していた皇帝は近衛隊を派遣し、犯人を討ち取る。そして、その犯人が所持していた禍々しい黒い魔剣――バルデルギオーサを発見したのだ。平凡な薬草採集人に過ぎなかったその男が、一体どうやって歴史から消えていた魔剣を手に入れたのか、その経緯は不明だった。だが近衛隊は、魔剣に取り憑かれた男を隠密裏に処分した。

その光景を目撃した皇帝は、ある邪悪な計画を思いついた。この圧倒的な破壊力を持つ魔剣を利用し、愛する第二皇子カレムの武名と名声を高めようと。

そのためには、帝国全土の人々――特に皇帝へ反発する有力貴族たちが、骨の髄から恐怖と危機感を抱くような、「魔剣による大規模な犠牲」という演出が必要だった。皇帝は綿密に計画を立てた。歴史の表舞台から消し去っても皇政に問題がなく、それでいて「魔剣の脅威」を大陸中に知らしめるのにちょうどよい、影響力のある家門を標的として探したのだ。

当然、剣術の名門や強力な騎士を擁する武家は最初から除外された。魔剣を宿した悪魔が制御不能なほど強くなってしまい、第二皇子の手で討ち取れなくなっては困るからだ。

そうして複数の候補家門が選定された。だが、その候補の中から最終的にどの家門が真の標的として選ばれたのかまでは、皇太子の調査でも追跡できなかったらしい。書類には、ただ『候補家門の一つを、第二皇子カレムが最終選定した』とだけ非情に記されていた。

そしてその後、第二皇子自らの配下の秘密部隊が、選ばれたその家門の敷地内へ、バルデルギオーサを持ち込んだ――。

皇帝と第二皇子カレムが計算に入れていなかった唯一の誤算。それは、彼らが選んだ「剣術の名門ではないはずの家門」の奥深くに、歴史の表に出ていない、恐るべき剣術の天才が隠れていたことだった。

それが彼らの致命的な誤算だった。魔剣を手にした平凡な薬草採集人は、近衛隊の手で容易く処理できた。だが、魔剣を手にしてしまった「本物の剣の天才」は――帝国はおろか、大陸全土を滅ぼしかねない未曾有の災厄と化したのだ。

ユリエンは無言のまま、血の気の引いた顔で書類を見つめ続けた。

第二皇子が選んだ。

カレム兄上が、あの候補の中から、彼女の家を選び出した――。

その瞬間、成人の祝賀会の夜の記憶が、鮮烈なフラッシュバックとなって脳裏によみがえった。

『……女か? お前が女に興味を示すなんて初めてだな』

あの時、カレムの魂の奥底に浮かび上がっていた、粘着質で歪んだあの悪意。

偶然にしては、あまりにも出来すぎている。

まさか。まさか、カレムが候補家門の中から、何の関係もないはずの彼女の家を標的に選んだ理由が。彼女の手元に魔剣が渡り、彼女の人生が狂い始めたその本当の理由が――。

まさか。

「私が……あの夜、彼女を見てしまったから……?」

視界がぐらりと激しく揺れた。

胃の奥からねじれるような強烈な吐き気が込み上げる。ユリエンは思わず手で口元を強く押さえた。

「ユリエン? どうした。騎士団としてギオーサの調和を守るのは、お前たちの当然の務めだろう?」

彼が何に対してこれほど絶望的な衝撃を受けているのか理解できないクルエンは、怪訝そうに淡々と言った。ユリエンは書類がしわくちゃになるほど指先に力を込めて強く握りしめると、そのまま突き動かされるように席を立った。

「ユリエン?」

「お答えは……後日いたします」

彼はかろうじてそれだけを絞り出すと、密談の部屋を後にした。去っていく彼の足取りは、まるで幽鬼のように危うくふらついていた。

* * *

聖地アジェンカへと戻る長い道中、ユリエンの精神はひどく狂乱し、混乱していた。何度思考を巡らせても、胸を焼き尽くすような自分自身への猛烈な罪悪感を振り払うことができなかった。

考えてみれば、陰謀の元凶は彼の父と兄だった。しかし、彼らがその悍ましい陰謀を企て、その最初の生贄として「彼女」を選び出した引き金は、完全に自分自身にあったのだ。

あの夜、ただ平凡に、穏やかに生きていくはずだった無辜の女性が奈落へと転落したきっかけが、たった一度、自分が気まぐれに向けた視線のせいだったとは。

しかも彼は、その出来事に何の意味も見出すことなく、ほどなくして彼女の存在すら綺麗に忘れてしまっていたのだ。彼が平然と日常を送り、すべてを忘れている間、その身勝手な視線のせいで人生を狂わされた女性は――三年もの間、人間の尊厳を奪われ、悪魔となって地獄の業火の中を生きていた。そして今なお、孤独な地下牢でその地獄と戦い続けている。

自分をそんな絶望の境遇に追い込んだ元凶が誰なのかも、本人は何も知らないまま。

気が狂いそうになったユリエンは、アジェンカへの帰路に列車ではなく馬を選んだ。手綱を握る手がちぎれそうになるほど、狂ったように馬を走らせた。馬が疲弊して力尽きれば次の街で乗り換え、ほとんど眠ることもなく夜を明かし、夜が明ければ再び狂気的な速度で馬を走らせ続けた。

聖剣は、心身ともに崩壊しかけている主人へ、脳内で静かに語りかけた。

『お前の引き裂かれるような気持ちは理解できる。だが、それはお前の罪ではない。人間たちが考える歪んだ因果だ。私が見る正義の天秤において、お前は何一つ悪くない』

「では……彼女の運命は、一体どうなるのですか?」

ユリエンは掠れた声で問い返した。

魔に侵され、望まぬ殺生を我が手で重ねさせられ、家門も名誉も多くの大切なものをすべて失い、それでもなお諦めずに、底なしの悪の中でもがき続けている彼女は――一体、何の罪を犯したというのか。そして、そんな彼女の暴走によって命を落とした無数の罪なき人々は、一体何の罪があって死ななければならなかったのか。

罪なき者たちだけが取り返しのつかない悲劇に巻き込まれて壊れ、真の罪ある者たちは何事もなかったかのように生き、未だ権勢を振るっている。

手綱を握り締めたユリエンの拳に血が滲んだ。爪が手のひらの皮膚に深く食い込んでいたが、今の彼はその痛みすら感じ取れなかった。

長い沈滅の末、ランギオーサが再び厳かに口を開いた。

『……あの女性にも罪はない。裁かれるべき悪の本質は別にいる。だが主人よ、実行犯であったカレムはすでに彼女自身の手によって命を落とした。あやつはすでに、自らの犯した罪に対する報いを受けたのだ』

「――まだ、元凶が一人残っているだろう」

静かに問い返したユリエンの瞳に、かつてないほど冷徹で鋭い光が宿った。

聖剣は彼をなだめるように、思慮深く言葉を続けた。

『そうだ、お前の父である皇帝はまだ生きている。だが、あれはお前の実の父親だ。お前を直接殺そうとしたわけでもない肉親の血を、お前自身の手で下せば、お前の魂は完全に破滅を招くことになる。正義とは公なる「裁き」であって、私的な「復讐」ではないのだからな』

「だから、破滅を恐れて耐えろというのか? そんな理不尽を強いるものが、お前の言う正義なのか!」

振り返ったユリエンの声は、その激しい言葉とは裏腹に、不気味なほど静かだった。だが聖剣は、その静けさの奥底で狂おしく燃え盛る漆黒の激情を明確に感じ取っていた。

聖剣は深い沈黙の後、ため息をつきながら答えた。

『耐えろと言っているのではない。正しい手順を踏めと言っているのだ。むしろ皇太子クルエンの提案を受け入れろ。魔剣にまつわる皇室の陰謀を白日の下に暴き、皇帝を正式な法の元で廃位したうえで、極刑に処す。それこそが、ランギオーサが認める正当な裁きだ』

ユリエンはそれ以上、何も答えなかった。

一睡もできないままアジェンカの国境で夜明けを迎え、冷たく昇る朝日をじっと見つめたあと、彼は無言で再び馬に跨った。

アジェンカへ戻ると、彼は周囲の制止を振り切り、真っ先に彼女のいる地下牢へと向かった。そこで自分に何ができるわけでもなかったが、今の彼は、どうしても彼女の生存を確かめる必要があった。まだ手遅れではないことを。まだ取り返しがつくことを――。まだ取り返せる大切なものが世界に残っていることを、彼女が今もあの中で生きていることを、この目で確かめなければならなかった。他のすべての政治的決断は、その後に回すつもりだった。

だが、彼を待ち受けていた運命は、これまで以上に残酷で、致命的だった。

聖地アジェンカの都市へと近づくにつれ、風に乗って耐え難い鉄臭さと、鼻を突くおぞましい悪臭が漂ってきた。その臭いを嗅いだ瞬間、ユリエンの脳裏に最悪の嫌な予感が走った。

そして、都市の入り口で、血まみれになって城壁にもたれかかった蒼天騎士たちの無惨な死体を目にしたとき、その予感は残酷な確信へと変わった。

彼女を見つけるのは、恐ろしいほど容易だった。悪魔は隠れることなどせず、その圧倒的な破壊の存在感を、都市の中央であからさまに放っていたからだ。

ユリエンは力なく馬を降り、歩き出した。

彼が十六歳のとき、皇宮の権力闘争から追われるようにしてこのアジェンカへ送られてきた。それ以来ずっと、彼はこの街で暮らしてきたのだ。士官学校の入学最低年齢である十八歳までは孤独に剣を磨き、その後は士官候補生として、さらに先輩騎士バロンの従者として、一人前の騎士として、そして若き騎士団長として――。そうして人生の半分の十五年間を、彼はこのアジェンカという街で過ごしてきた。

足元には、ついさっきまで人間だったはずの、誰のものかも分からない肉片や内臓が散乱していた。腐敗し始めた死体の悪臭が鼻を刺したが、すでに彼の嗅覚は麻痺しきっていた。

乾ききった古い血痕と、時間が経ってもなお乾ききらない新鮮な血だまり。無惨に虐殺された人々の亡骸。

彼が育ち、愛し、守り育ててきたこの美しいアジェンカの街は、たった一日にして、巨大な血の墓場へと変貌を遂げていた。

ユリエンは、まるで己自身が死者の魂にでもなったかのような足取りで、その血塗られた地獄の中を歩き続けた。辺りは不気味に静まり返っているのに、彼の耳の奥には、今なお住民たちの生々しい悲鳴と絶叫が幻聴となって響き渡っている気がした。

やがて彼は、街の中央広場へとたどり着いた。

噴水の中央に佇む、神剣を掲げた美しい天使像。その白磁の像からは、清らかな水ではなく、どす黒い大量の血がダラダラと流れ落ちていた。

そして、天使像の先端には、まだ死んで間もない無惨な遺体が吊るされていた。ユリエンは、それが誰なのか一目で分かった。彼の親しい友人と、その友人が心から愛していた女性の姿だった。さらに、その側には彼の部下であった二人の騎士団長の遺体も、見せしめのように無惨に晒されていた。

噴水の下で無残に横たわり、腐敗し始めている大きな遺体は――かつて彼がまだ未熟だった頃に仕え、導いてくれた主君であり、副騎士団長バロンの亡骸だった。まるで見せしめにするかのように、遺体はそうして人目に晒されていた。

――1632年、秋。アジェンカ。血に染まった噴水広場。

その地獄の光景の前で。

ユリエンは、自分が人生で愛したすべての居場所を壊した女性と、再び対峙した。

漆黒に染まった長い髪を不気味になびかせながら、彼女は壊れた人形のように笑っていた。凄まじい真っ黒なマナが、彼女の周囲で狂ったように渦を巻いている。

すべてを失った。最悪の結末だった。にもかかわらず――彼は、目の前にいる彼女をどうしても恨むことができなかった。怒ることすらできなかった。たとえ世界中の人々が彼女を「大悪魔」として終生憎んだとしても、世界で彼だけは、彼女を憎む資格などないのだと痛感していた。

彼女が悪魔になった本当の原因は自分にあるのに、どうして被害者面をして彼女を責める資格が自分にあるというのだろう。

ただ、胸の奥底に果てしない絶望だけが広がっていた。呼吸をするたびに、街に満ちる悪臭のように、鋭い悲しみが胸へと容赦なく流れ込んでくる。それは彼の喉を焼き、胸を引き裂いた。あまりにも苦しすぎて、涙すら流れなかった。

もし、過去へ戻れるなら。

あの呪われた誕生祝賀会の夜へ戻れるなら。

自分がアジェンカを離れて帝国へ向かう前の、あの地下牢の前に戻れるなら――。

そんな叶うはずのない、空しい後悔の願いばかりが脳裏を虚しく浮かんで消えた。だが、過酷な運命はすでに、人類の力では決して取り返しのつかない終着点まで進んでしまっていたのだ。

彼は彼女を見つめた。うねる闇の向こう側を――。

闇の向こうで、彼女の魂は今も泣き叫んでいた。

初めて出会ったときにはかすかな火種にも満たなかったその灯は、今や限界を超えて激しく燃え上がり、彼女の魂全体を美しく包み込んでいた。その輝く魂は、両頬を涙で濡らしながら、未だに狂気の中で激しくもがいていたのだ。

しかし、彼女の魂が強く激しく輝けば輝くほど、対抗するように魔剣の沼のような悪意もまた、深く濃くなっていった。少しでも彼女が気を緩めれば、そのおぞましい悪意は彼女の首を締め上げ、手足をもぎ取り、魂ごと完全に飲み込もうとしていた。その凄惨な精神の闘争が、正眼を開く彼の目にははっきりと見えた。

壊れて人形になるのではなく、苦痛の中で「燃え続けること」を彼女が選んだからこそ、彼女は今なお、この終わらない苦しみから解放されていなかったのだ。

いっそ諦めて心を捨ててしまえば、楽になれるはずなのに。

目の前に立っている男こそが、自分をこんな恐ろしい姿に変えた元凶だとも知らずに、彼女は絶望に満ちたガラス玉のような瞳で彼を見つめていた――。

ユリエンは静かに目を閉じた。

唇を強く噛みしめると、痛々しく血が滲んだ。体中の血がすべて足元から抜け落ちてしまったかのように、全身が氷のように冷え切っていた。まだ生きているはずなのに、自分自身がすでに死体になってしまったかのような気さえした。いや、もはや自分が生きているのかどうかすら分からなかった。

「私が……」

唇の隙間から、うめき声のような掠れた言葉がこぼれた。だが、その言葉は最後まで続かなかった。

(――私が、あなたをこんな無惨な姿にしてしまった)

(――私が、あなたの美しかったはずの人生を完全に壊してしまった)

この地獄のような惨劇を招いたのは、結局は私だったのだ。

あなたには何の罪もなかった。ただ、私が祝賀会の夜、ほんの一瞬あなたに目を向けただけだった。ただの小さな、取るに足らない好奇心だった。それが、これほどの大惨劇を生むとは夢にも思わなかった。それが、あなたを悪魔へと追いやる引き金になるとは思いもしなかったのだ。

それどころか、私はその出来事さえすぐに忘れてしまっていた。私は、あなたがなぜこれほどの苦しみを味わうことになったのか、その本当の理由も知らずに、地下牢の鉄格子の前で平然とあなたを憐れんでいたのだ。

チャンスを与えてやるだの、生きる場所を残してやるだの、慈悲を施してやるだの――。

なんと傲慢で、独りよがりで、愚かだったことか。私はあまりにも無知で、愚鈍だった。

すまない。本当に、すまない。

どう償えばいいのか分からない。そもそも、これほどの罪を償うことなどできるのかさえ、今の私には分からない。

これから私は、一体どうすればいいのだろう――。

「どうすればいいのかも分からない。……本当に、すまない」

結局、彼の口から絞り出せたのは、届くはずもない謝罪の言葉だけだった。胸が押し潰されるように苦しかった。喉の奥に熱いものが詰まったようで、言葉が続かなかった。

聖剣が脳内で静かに、しかし冷徹に囁いた。

『もう手遅れだ、ユリエン。あの女は今すぐ倒さなければならない。だが今は一度退け。街の防衛線は崩壊した。お前一人では勝てない。生き残った仲間を集めて対処するのだ』

だが、ユリエンはその忠告に耳を貸さなかった。すべてが音を立てて崩れ落ちていくような感覚だった。いや、すでに自分という人間は、皇宮で真実を知ったあの瞬間に壊れてしまっていたのかもしれない。

彼は、迷うことなく白銀の聖剣ランギオーサを抜き放った。

『この愚か者! 死ぬ気か!』

珍しく、聖剣が魂の底で激怒して怒鳴り声を上げた。だがユリエンはそれを完全に無視し、白銀の美しい剣を静かに構えた。

(今の自分に、この正義の剣を振るう資格など、果たしてあるのだろうか――)

そんな自嘲的な思いが頭をよぎる。

正義だと? 正義とは一体何だ。

愛した人々が皆殺しにされ、守りたかった少女が化け物に変えられたこんな血の海に、正義など一体どこにあるというのだ。どこに正義があるというのか。

黒い魔剣バルデルギオーサを手にした彼女が、ゆっくりと、しかし確実に彼へ向かって歩み寄ってきた。

ユリエンは、正眼を開いたままだった。

濃すぎる悪意の瘴気のせいで視界が焼けるように痛み、戦闘の妨げになっていたにもかかわらず、彼は決してその正なる目を閉じなかった。

激しい戦いの間中、彼は一瞬たりとも目をそらすことなく、ずっと彼女を見つめ続けた。

闇の奥で声にならない悲鳴を上げながら抗っているその美しい女性から、一瞬たりとも目を離さなかった。名前すら知らない。だが、誰にも知られることのなかった「彼女の孤独な努力」だけは、この世界で自分だけが確かに知っていた。

目を背けることもできなかったし、背けたいとも思わなかった。

ユリエンは、彼女の戦う姿を、その美しい魂の炎を、己の目に焼き付けた。

――無残に敗北し、聖剣をその手から取り落とし、黒い魔剣にその胸を深く貫かれて息絶える、その最期の瞬間まで。

彼は決して、その目を閉じなかった。

 



  • 歪んだ陰謀の真実と、ユリエンの絶望:

    ユリエンは皇太子クルエンから、皇帝と第二皇子カレムが権威向上のために魔剣の災厄を自作自演した事実を知らされ、かつて祝賀会で自分が彼女に向けた一瞬の好奇心の視線こそが、カレムに彼女の家門を標的に選ばせ、人生を狂わせた元凶だったという残酷な因果に突き落とされた。

  • 崩壊した聖地アジェンカと、変わり果てた地獄:

    罪悪感に駆られながら聖地へ戻ったユリエンを待っていたのは、魔剣の悪意に呑まれ地下牢から脱出した彼女によって、かつて自身が愛し守ってきたアジェンカの街と仲間たちが跡形もなく虐殺され、巨大な血の墓場と化した最悪の結末だった。

  • 届かぬ謝罪と、正眼の最期:

    傲慢だった己を深く悔いて涙を流し、大悪魔となった彼女を憎むことすらできぬまま、ユリエンは聖剣を構えて対峙。戦闘中も正眼を閉じることなく、闇の奥で今なお涙を流して抗い続ける彼女の美しい魂の炎をその目に焼き付けながら、胸を貫かれて敗北し、息絶えた。

 

 

 

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