こんにちは、ピッコです。
「悪女の姉を救う勇敢なわんこです」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
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又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
44話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- 最初の個展と最後の約束
「私が確認した限り、魔力の暴走の兆候は完全になくなっていたよ。でも、すぐに皇宮へ入るのは少し危険かもしれないね」
「ええと……皇宮にある、あの古代魔法陣のせいですか?」
「うん。暴走する可能性が完全にゼロじゃない以上、皇宮の古代魔法陣の魔力に反応してしまうかもしれないから」
今日は、お姉ちゃんと私が初めて狩り大会に参加するはずの記念すべき日だった。
けれど、そんな事情から予定は変更になった。私はしばらくの間、お姉ちゃんの体を今まで以上に丁寧に治療すると、小指を絡めて指切りげんまんの約束を交わした。
「それで、お姉ちゃんが最終的に選んだ予定は――」
お姉ちゃんが一年ぶりに社交界へ復帰する最初の舞台。それは、ミール令嬢の個人展覧会だった。
郊外にある静かなカントリーハウスで、ミール令嬢が自ら描いた絵画をお披露目する催しだという。
「ココ、そんなに嬉しいのか? 歩くたびにお尻がぷりぷり揺れているぞ」
「はい!」
お姉ちゃんが死なないよう、後ろをちょこちょことついて回るのが私の役目。それでも、カントリーハウスへ向かう未知の道のりは、まるで新しい世界を散歩しているみたいで、それだけで胸が躍った。
草の香りが心地よく鼻腔をくすぐり、通り抜ける風の匂いもどこまでも爽やかだ。
(ここも私の縄張りだったらいいのになぁ……)
私は本気でそんなことを考えてしまった。
(ま、まずはマーキングしたほうがいいのかな!?)
緊張と興奮のせいで唇はカラカラに乾き、早く駆け回りたいと足がうずうずしてくる。
落ち着け、私。今は、お姉ちゃんが非業の死を遂げないように見守らなきゃいけない、ものすごく大事な場面なんだから! なのにマーキングだなんて。これじゃあ、まるで本能だけで動く子犬じゃないか。
私は、お姉ちゃんが急遽雇ってくれた家庭教師から叩き込まれた、社交界の勢力図を頭の中で思い返した。
もともとクロエお姉ちゃんは、社交界の全体を支配する絶対的な女王だった。それは決して大袈裟な表現ではない。
けれど、お姉ちゃんが心を病んで別荘へ引きこもってしまってからは、社交界の中心勢力はテレジア、ミール、ダリアの三派に分裂してしまったらしい。今では首位のテレジア派を追う形で、ミール派とダリア派が激しく競い合っている状況だ。
「ダリア・メロモンドは、お姉ちゃんを虎視眈々と狙っているわ」
私が『未来の記憶』で見たように、彼女はお姉ちゃんを殺そうとするかもしれない。
「だから、今日の目標は――ダリアのライバルであるミール令嬢と仲良くなること!」
そうすれば、お姉ちゃんの社交界での悪評も覆せるし、私にも新しい人間の友達ができるかもしれない。その友達が、巡り巡ってお姉ちゃんが生き延びるための助けになってくれるはずだ。
その時、お姉ちゃんが私の考えを見透かしたように、釘を刺すような低い声を向けた。
「いい、ココ。少しだけだからね。あなたは会場に少しだけ顔を出したら、すぐに屋敷へ戻るのよ」
「むぅ……」
私は不満を隠さず、あからさまに唇を尖らせた。
それでも私は、お姉ちゃんの手をぎゅっと力強く握り締めたまま、華やかな展示会場の扉をくぐった。
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小さな美術館のように洗練された会場には、すでに五人の令嬢たちが集まり、扇で口元を隠しながらひそひそと囁き合っていた。
「ねえ、そのお話、お聞きになりました?」
「ええ。今日、あのクロエ様がこの個展にいらっしゃるそうですのよ?」
「まあ……!」
令嬢たちの視線が一斉に中央へと集まる。その中でも、ひときわあけすけで勝気な性格の令嬢が、戸惑いを隠せない表情で口を開いた。
「でも、クロエ様って……その、魔力暴走の危険はないのかしら?」
クロエ・アルドスが強大な闇魔法の使い手であり、その力を制御できずに暴走寸前だという不穏な噂は、すでに社交界の隅々にまで知れ渡っていた。
「ふふ、まるで生きた時限爆弾のようなものですわね。あんな危険な方と同じ空間で絵画を鑑賞するなんて、不安で生きた心地がしませんわ」
それは以前から、クロエの圧倒的な家柄や類稀なる才能を妬んでいた者たちの、容赦のない悪意だった。彼女たちは陰口を叩きながら、遠慮なくクロエの噂話に花を咲かせている。
その時、今回の個展の主催者である侯爵令嬢、ミールが毅然と口を開いた。
「暴走の危険はないと事前に伺っておりますわ。だからこそ、私は安心してご招待いたしましたの」
「ミール様がそう仰るなら、お断りするわけにもいきませんものね。やはり、あちらとは身分の違いもありますし……」
最後の一言を慌てて飲み込んだ令嬢は、バツが悪そうに小さく頷いた。
ミール令嬢は室内の時計を確認すると、穏やかに、しかし緊張を孕んだ声で告げた。
「……クロエ様は時間通りにお越しになる予定です。皆様、お出迎えの準備をお願いいたします」
その場にいた大人しい令嬢たちの顔から、一瞬で血の気が引いた。
次の瞬間、まるでその言葉を合図にしたかのように、重厚な扉が静かに開いた。そして、扉の向こうからぱたぱたと、軽やかな足音が響いてくる。
全員の視線が、一斉に入口へと注がれた。
「……アルドス公爵令嬢」
「ええ、私よ」
クロエを見つめる令嬢たちは、一様に蛇に睨まれた蛙のように体を強張らせた。
そんな彼女たちを見下ろし、クロエはお人好しな微笑すら浮かべずに言い放つ。
「私が暴走するだの何だのと喧しく噂していたようだけれど、心配はいらないわ」
「そ、それは……っ」
かつてのクロエは、少しでも気に入らないことがあれば、平然と闇魔法をちらつかせて相手を威圧する社交界の暴君だった。陰で噂するどころか、本人の目の前で悪口を聞かれてしまったのだ。ただで済むはずがない――令嬢たちは互いに目配せをしながら、「終わった……」と絶望の表情を浮かべた。
しかし、今日のクロエは意外なほどに冷静だった。
「私が実際に暴走するところを、この目で確かめたことがある人はいるかしら?」
「……」
「いないでしょう?」
「そ、それは……はい、ございません」
「だったら、根拠のないくだらない噂話は今すぐ仕舞って、気楽に展示会を楽しんだらどう?」
令嬢たちは驚きに顔を見合わせ、恐る恐る小さく頷いた。
「そ、そのようにさせていただきます……」
彼女たちの目に、明らかな動揺と驚愕が走る。
間違いなく、クロエ・アルドスは社交界に戻ってきた。しかも、かつてとは決定的に違っていた。
一年前、彼女が社交界のみならず帝国全体に絶大な影響力を持っていた頃、彼女は社交シーズンのルールをたった一言でひっくり返した。社交界のまどろっこしい駆け引きや礼儀作法など意にも介さないその超然とした姿勢は、逆に令嬢たちの憧れの的となり、「クロエ口調」と呼ばれる毅然とした話し方が流行したほどだ。
そして今日もまた、まさにクロエ・アルドスらしい圧倒的な振る舞いだった。それどころか、以前の刺々しさは消え失せ、より深く成熟した気品さえ漂わせている。
だが、本当に令嬢たちを驚かせたのは、その後に続くクロエの言葉だった。
「そうそう。今日は私の可愛い妹も、一緒に連れてきているの」
妹?
令嬢たちが首を傾げた瞬間、クロエの背後に隠れていた私が、ひょこっと顔を覗かせた。まるで絵本から飛び出してきた天使のように小さくて愛らしい少女が、ちょこんと姿を現したのだ。
「こんにちは! 私はクロエお姉ちゃんの妹、ココ・アルドスです!」
――あの、神の祝福を受けたという公爵家の赤ちゃん!?
小規模な個展のはずだったのに、まさか公爵家の高貴な姉妹が揃って現れるなんて。令嬢たちは完全に思考を停止させ、その場で硬直してしまった。
張り詰めた空気の中、主催者であるミール令嬢がハッと我に返り、見事な機転で場を収めた。
「皆様、私どもの無礼をお許しくださいませ。どうぞ中へお入りください、クロエ様。それから、愛らしいココ様も」
「ありがとう」
私はミール令嬢をじっと見つめながら、一歩前へ踏み出した。
(なんだろう……? どうして私、この人の顔にこんなに見覚えがあるんだろう?)
物腰は柔らかくて洗練されているのに、その瞳の奥には、どこか消えない疲れと哀愁がにじみ出ている。その表情が、妙に私の記憶を刺激した。どこをどう見ても絶対に知っているはずなのに、どこで会ったのかがどうしても思い出せない。
私がじっと見つめていたのを、純粋な興味だと受け取ったのだろう。ミール令嬢が優しく微笑みかけてくれた。
「ココ様、それでは絵をご案内いたしますね。このような展示は初めてでしょうから、一番見やすい特等席へご案内いたしますわ」
「うん! 絵を見たい!」
何人かの令嬢がお姉ちゃんに興味津々な視線を送っていたけれど、やはりまだ直接話しかける勇気はないようだった。ミール令嬢は気まずい空気を和らげるように、努めて明るい声を響かせる。
「これが私の最後の個展となりますので、どうか存分にお楽しみくださいませ」
「最後なの? どうして? こんなに絵が上手なのに!」
思わず口を突いて出た自分の言葉に、私はハッと先を塞いだ。昨日、家庭教師の先生と一緒に必死に勉強した内容を思い出したからだ。
絵画はミール令嬢の最大の才能であると同時に、彼女の唯一の「弱点」とも囁かれていた。社交界の令嬢たちにとって、絵絵はあくまで教養や嗜み、高尚な趣味の範疇に過ぎない。彼女のように本格的に絵の具に塗れ、プロとして画廊で一般に販売している貴族の令嬢など、他には一人もいなかったからだ。
隣にいたミール令嬢の側近のレディが、主人の立場を庇うように言葉を添える。
「素晴らしい才能ですのに、筆を置かれるのは本当に惜しいことですわ。ですが、やはり令嬢が絵を描き続けるというのは、周囲の目もございますし……」
ミール令嬢は少し寂しげに、困ったような笑みを浮かべた。
「ええ、その通りです。これからはもう、絵は描かないつもりですの。美術への情熱も少し薄れてしまいましたし、何より、もうすぐ結婚も控えておりますから」
「左様でございますわね。お輿入れなされば、このような対外的な活動はなかなか続けられませんもの、公女様」
別の令嬢も、それが貴族の正しい在り方だと言わんばかりに同意した。
「そうなんだ……」
私は、壁に向かい合って飾られたミール令嬢の絵を、じっと静かに見つめた。
そこには、赤いレンガ造りの可愛らしい家と、温かな極彩色で描かれた美しい田園風景が広がっていた。
「すごく温かくて、素敵な絵だね。なんだか……観ていると、胸がぎゅっとなるような、懐かしい気持ちになるの」
私の呟きに、ミール令嬢は少し意外そうな表情を浮かべて私を見つめ返した。
「……懐かしさ、ですか?」
「うん。温かい雰囲気なのに、どこかすごく寂しい感じがする。背景はこんなに豊かな農場なのに、描かれている人は、寂しそうな後ろ姿でぽつんと座っているだけに見えるから」
「あっ……」
ミール令嬢の美しい瞳が、微かに揺れた。
「間違っていますか?」
「いいえ、絵に正解なんてありませんわ。でも……そのような感想をいただいたのは初めてでしたので、少し不思議な気持ちです」
私は彼女の言葉を噛み締めながら、視線を絵の隅へと移した。
「ねえ、あそこにある、点が四つあるのは何?」
「ああ、あれは私のサインですわ」
「……」
「四つではなく、五つありますのよ。そのすぐ下にある大きな丸い点も、サインの一部なんです」
上には小さな点が四つ。下には、それを支えるような大きな丸が一つ。
(どうして……どうしてこんなに見覚えがあるんだろう……!)
目を細めて、その独特なサインを穴が開くほど見つめていると、絵の表面に小さな不自然さを見つけた。
「ここに、少し傷がついていますね?」
「あ、はい……」
ミール令嬢は、今度こそ明確に驚いた表情で私を見つめた。
その瞬間、私の頭の中で、すべての霧が綺麗に晴れ渡った。
「……そういうことだったんだ」
「はい?」
私は今、ようやく気づいたのだ。さっきからミール令嬢の顔に、魂が震えるほどの見覚えがあった理由に。そして、彼女がこれほどの才能を持ちながら、大好きな絵筆を永久に置こうとしている、本当の理由に。
私はまっすぐにミール令嬢を見上げ、告げた。
「ねえ、個展で絵を買うと、画家本人とお話しできるって聞いたんだけど、本当?」
「ええ、もちろんですわ」
「私、この絵を買いたいの。だから、ミール令嬢と二人きりで、この絵についてゆっくりお話ししたいんだけど……だめかな?」
「まあ。ええ、喜んでお受けいたします」
その微笑ましいやり取りをじっと見つめていたお姉ちゃんが、こちらを振り向いた。誰にも気づかれないほどの微細な動きだったが、お姉ちゃんの指先から細い闇の糸が伸び、私が指さした絵の中へと静かに流れ込んでいくのが見えた。
(……お姉ちゃん、今何をしたんだろう?)
直後、お姉ちゃんが少し気まずそうな、呆れたような表情で私に言った。
「いいわ。でも、少しだけだからね。絶対に騒ぎを起こしちゃダメよ、ココ」
「むぅ……」
お姉ちゃんは、私がいつも騒ぎばかり起こすトラブルメーカーだと思っているみたいだ。
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ついに、私とミール令嬢が二人きりで話す時間がやってきた。私は胸をトコトコと高鳴らせながら、応接室のソファに座るミール令嬢を見つめた。
「ねえ! 令嬢の絵、本当に、本当にとっても素敵だったよ!」
「ふふ、ありがとうございます。作品について気になることがありましたら、何でもお聞きくださいね」
褒められた途端、彼女の頬がぽっと赤く染まった。それは、心から絵を愛している人間だけが見せる、純粋な表情だった。もう二度と絵を描かないと決めた冷めた人間には、到底見えなかった。
「うん、本当に素敵な絵。――でも、どうしてもう描かないの?」
「それは……先ほど皆様の前でお話しした通り、結婚もございますし……」
「嘘でしょう?」
「え?」
「本当は、もう絵が『描けなくなっちゃった』んじゃないの?」
私の直球の言葉に、彼女の穏やかな表情が一瞬で凍りついた。
「そ、それは……いくら公女様でも、少々失礼なお話ですわ」
それまで完璧に保たれていた彼女の淑女の仮面が、初めて崩れた。それでも私は、大好きな友達を安心させるように、落ち着いた声でミール令嬢を見つめ続けた。
「あの絵、どれも誰かをものすごく恋しく思っている感情が伝わってきたの」
「……え?」
「何枚も見ていて、確信したんだ。温かいのにどこか寂しくて、いつも誰かを必死に想い続けているような雰囲気が、すべての作品の根底にあるって」
「それは……ただの偶然ですわ」
「人が描く絵には、その人の好みや感情が自然と表れるって、家庭教師の先生から聞いたの。令嬢の絵には、隠しきれないほどの『恋しさ』が込められていた。特に、最近描かれた新しい作品ほど、その想いが痛いほど強くなっていたよ」
「……ココ様」
「絵を描くたびに、その抑えきれない愛しさと恋しさが溢れて、胸が苦しくなっていったんでしょう?」
「……」
「だから……罪悪感に押しつぶされて、もう絵を描けなくなったんじゃない?」
ミール令嬢は、青ざめた顔で声を震わせた。
「……未婚の令嬢に対して、それはあまりに不躾な憶測ですわ、公女様。私には、そのように想いを寄せている殿方などおりません」
「私は、令嬢が『人間』を恋しく思っているなんて、一言も言ってないよ」
「それは……どういう意味ですの?」
「あの、サインの五つの点」
ミール令嬢は、胸を突かれたように息を呑んだ。
私は静かに、確信を持って言葉を紡ぐ。
「あれ、子犬の足跡をそのままスタンプにした形でしょう?」
「えっ……!」
彼女の華奢な肩が、びくりと大きく震えた。
「みんなは気づかなかったみたいだけど、私にはすぐに分かったよ」
犬だって、一匹一匹肉球の形は違う。少し横に広くて、全体的に丸みを帯びたあの愛らしい肉球の形は、私がかつていた『犬の星』の大切な友達――チェリーのものと、完全に一致していた。
それから、あのキャンバスに意味もなく付いていた小さな傷。
『あの傷、チェリーが昔、肉球を怪我して擦りむいていた跡と、まったく同じ位置の、まったく同じ形じゃない。』
ミール令嬢の顔に見覚えがあると感じていた理由。それは、私が犬の星から地上を、人間界を眺めていたとき、何度も何度も目にした顔だったからだ。チェリーがいつも、恋しそうに見つめていた、愛する飼い主の顔。
私がある夜、夢の中で見たチェリーの姿が脳裏に蘇る。
――『ココ、私との約束、覚えてる? 私のこと、絶対に忘れないでね……。今は魔法のせいで本当のことは言えないけれど……私を忘れないで』
(そうか……今日、君の飼い主さんに会うことになるって分かっていたから、私の夢に出てきてくれたんだね、チェリー)
チェリーや、他の犬の友達たちと、旅立つ前に交わした大切な約束。
『君たちの家族に会えたら、必ず温かい言葉を一つ届けてあげる』
その約束を、ようやく今日、果たすことができる。
「あなたが描いている風景は……あの家は、チェリーを恋しく思っているから描いたんでしょう? そうでしょ?」
「……本当に鋭い方ですね、ココ公女様。あのサインの正体まで見抜かれてしまった以上、もう隠す理由もありませんわ」
そう答えるミール令嬢の目元は、見る見るうちに真っ赤に染まり、涙が溜まっていった。
「こんなことを貴族の場で言えば、きっと大笑いされるでしょうけれど……私の絵はすべて、亡くなった私の愛犬から着想を得て、あの子のために描いたものなのです」
「全然おかしくないよ。私、もっと聞きたいな。続きを話して」
私は静かに耳を傾けた。あとで犬の星へ戻る機会があったら、チェリーに必ず一言一句伝えてあげようと心に決めながら。
「絵を描いていると、どうしても……あの子と過ごした日々を思い出してしまうのです。あれは、五年ほど前のことでした。当時、クロエ様が『ココ』という大変愛らしい犬を飼い始められ、それが社交界で大流行いたしましたの。私も、お恥ずかしいことに当時はそこまで深く考えず、流行に乗るような軽い気持ちで、チェリーを家に迎え入れました」
「うん……」
「でも……あの子を、これほどまでに命を懸けて愛するようになると分かっていたら、あんな身勝手で軽い気持ちで迎えたりしなかったでしょうに」
そして、私はその次に続く、最も悲しい言葉を予感していた。
「チェリー……そう、あの子の名前はチェリー。ある日突然、チェリーは病気で亡くなってしまったのです。けれど私は……あの子の最期に、寄り添ってあげることができませんでした。その頃の私は個展の絵を描くことに夢中になりすぎていて、あの子がどれほど苦しんでいたのか、SOSを出していたのかにすら、気づいてあげられなかったのです」
「……」
「だから……チェリーを死なせてしまったという絶望的な罪悪感から逃れるために、私はますます狂ったように絵にのめり込んでいきました。けれど、描けば描くほどあの子への恋しさが募り、同時に自分の罪が私を責め立てるのです。もう、限界でした」
私は彼女の瞳の奥に、言葉にならない深い愛と後悔を見た。
「チェリーという名前の由来はね――」
ミール令嬢は涙を拭いながら微笑む。
「チェリーがまだ小さかった頃、肉球が本当に綺麗なピンク色だったのです。興奮して走り回ると、さらに赤く染まるその肉球が、まるで熟したサクランボ(チェリー)みたいだったから、そう名付けましたの」
「とても、素敵な名前だね」
「……そうですよね。でも、不思議ですわ。普段はこのようなお話、誰にも決してしないのに……不思議とココ公女様とお話ししていると、心の奥底に鍵をかけてしまっていたことまで、自然と口にしてしまいます。まるで……チェリー本人と、お話ししているような温かい気持ちになるのです」
――だって、私はチェリーの親友だからね。
彼女も、魂の本能で何かを感じ取っているのかもしれない。
小さく肩をすくめるミール令嬢を見つめながら、私は首を傾げ、優しく語りかけた。
「少しおこがましいかもしれないけれど……私、亡くなったチェリーの気持ちが、手に取るように分かる気がするの。だから、チェリーの代わりに一つだけ、お話ししてもいい?」
「え……チェリーの、気持ちですか?」
「もし私がチェリーだったら、大好きなご主人様にこう言うと思う。『最期を看取れなかったからって、そんなに自分を責めないで』って。犬という生き物はね、寂しい最後のことなんてすぐに忘れちゃうの。ご主人様と過ごした、一番温かくて一番幸せだった思い出だけを胸に抱きしめて、犬の星へと旅立つんだよ」
「……っ」
「だから、罪悪感から大好きな絵をやめたりしないで。チェリーはね、あなたの描く温かい絵が、本当に大好きだったんだから。すごく上手なんだから、これからも描き続けて」
ミール令嬢は溢れ出る涙を隠そうともせず、子供のように泣き崩れた。そして、照れくさそうに、しかし救われたような最高の笑みを浮かべた。
「……ココ公女様って、本当に、前世は犬だったことがあるんじゃないかしら?」
私は思わずギクッとして、気まずそうに目を泳がせた。
「すぐには……今すぐ筆を取るのは難しいかもしれませんが、もう一度、頑張って描いてみますわ」
そう言って、彼女は愛おしそうに私を見つめた。
「次の社交会にも、来ていただけますか? その時もまた、必ずお会いしたいです」
その言葉を聞いた瞬間、私の心の中にパッと大輪の花が咲いた。
(やった……! 友達ができた!)
私、もしかして天才犬(令嬢)なのかもしれない。こんなにあっさりと、お姉ちゃんを守るための最初の目標を達成してしまうなんて! 私は嬉しさを噛み締めながら、ミール令嬢の手をそっと握り返した。
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ココの目的とお姉ちゃんの社交界復帰
お姉ちゃん(クロエ)の魔力暴走の兆候が消えたため、1年ぶりの社交界復帰としてミール令嬢の個展を訪問。ココはお姉ちゃんを未来の悲劇から守るため、社交界の有力者であるミール令嬢と友達になることを目標に同行しました。
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変わった「暴君」と愛らしい妹の登場
かつては闇魔法を振るう暴君として恐れられていたクロエですが、噂をはねのける成熟した落ち着きを見せて周囲を驚かせます。さらに、クロエの背中から天使のように愛らしい妹のココが現れたことで、令嬢たちは完全に圧倒されました。
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「犬の星」の記憶が繋いだ絆と救い
ココはミール令嬢の絵のサインや傷から、彼女の亡き愛犬が「犬の星」での友達(チェリー)だったと気づきます。絵筆を置こうとするミール令嬢の深い罪悪感に寄り添い、チェリーの気持ちを代弁して救ったことで、見事に最初の「友達」を作る目標を達成しました。