こんにちは、ピッコです。
「悪女の姉を救う勇敢なわんこです」を紹介させていただきます。
ネタバレ満載の紹介となっております。
漫画のネタバレを読みたくない方は、ブラウザバックを推奨しております。
又、登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
49話 ネタバレ
登場人物に違いが生じる場合がございますので、あらかじめお詫びさせていただきます。
- ココのライバル
皇宮舞踏会の華やかな狂騒から、瞬く間に一週間が過ぎ去った。
その間、アルドス公爵邸を包んでいたのは、まさに「平和」の一言に尽きる穏やかな時間だった。
――もっとも、ビリーフ師匠だけは、その平和の裏で凄まじい大激務に白目を剥いていたの付けれど。
ある日の、アルドス公爵家の朝食の席。
ビリーフ師匠は、目の前に山積みにされた書類の束を見つめ、ひっくり返った悲鳴を上げた。
「ひっ、うわああっ! みなさん、本当に全部買い占めていかれたんですか!?」
義父上――アルドス公爵は、優雅に珈琲をすすりながら、大真面目な顔で頷く。
「ああ。本当によくやった。社交界の連中ときたら、伝書鳩を飛ばし、ひっきりなしに手紙を送り、しまいには直接門前まで押し寄せてくる始末だからな……」
「えへへ、大成功だね!」
私が胸を張って笑うと、義父上はふっと表情を引き締め、私の頭を優しく撫でた。
「だがココ、これらは強大なエネルギー資源だ。悪用される恐れもある。販売先は慎重に選ぶつもりだ」
その時、テーブルの端でスプーンを弄んでいたルースお兄ちゃんが、ぶつぶつと不満げに唇を尖らせた。
「なんだよ、みんなして私だけ仲間外れにしてさ。舞踏会にも連れて行ってくれなかったし……」
「ルース、お前はあの朝、何度起こしても寝坊していただろう」
「……それにルース、君はもともと、ああいう堅苦しい場所には興味がないと言っていただろう? それでも、もし一緒に行きたいと事前に言ってくれていたなら、僕だって連れて行ったはずだけどね」
ビリーフ師匠にまで苦笑混じりで諭され、なおもいじけているルースお兄ちゃんを見て、私は少し気の毒になってしまった。
(もうっ、本当にお子ちゃまなんだから!)
私は「はい、これあげる!」と、自分の皿からふっくらと焼き上がった高麗芋パンをルースお兄ちゃんの手元へと差し出した。すると、彼は少し驚いたように目を丸くし、うつむき加減に「……ん」と小さく頷いて、嬉そうにパンを齧り始めた。現金な人である。
「そういえば」と、ビリーフ師匠がふと思い出したように私とクロエお姉ちゃんを見比べた。「ここ数日、社交界でのクロエ様を見る目が、少し好意的に変わってきた気がするんです」
その言葉に、私は胸の奥がじわリと熱くなるのを感じた。
それこそが、あの皇宮舞踏会で得た、何よりも最大の収穫だった。
人々はもう、お姉ちゃんを『いつ魔力暴走を起こすか分からない危険因子』としては見ていない。一人の高潔な令嬢『クロエ・アルドス』として、その存在を正当に評価し始めてくれたのだ。
私はお姉ちゃんの横顔を見つめ、満面の笑みを浮かべた。
「はい! 昨日ね、お外で会った皆さんとお話ししたんですけど、皆さん、お姉様にたくさん贈り物を送りたいって言ってました!」
嬉しさのあまりぶんぶんと手を振る私を、お姉ちゃんはあまり興味なさそうな、いつもの涼しげな表情で見つめ返した。
「それで? あなた、また勝手について行って、色々とお喋りしてきたのね」
「うん! それでね、舞踏会で皇帝陛下もお姉ちゃんにすごく興味を持ってたって、みんなが『お姉ちゃんは何が好きなんだ?』って私にいーっぱい聞いてきたの!」
「それで、あなたは何て答えたの?」
「お姉ちゃんの好きなものは、いーっぱいあるよって言った! 私のことも大好きだし、子犬も大好きだし……うーん、あと何だったっけ……」
お姉ちゃんは、私のつたない言い訳に呆れたように、けれど愛おしそうにくすくすと喉を鳴らして笑った。
「違うわ、ココ。私ではなく、みんなあなたのことのほうがずっと気になっていたみたいよ」
「え? そうなの?」
「ええ。だって、あなた本当に可愛いもの」
お姉ちゃんのあっさりとした、けれど不意打ちのような褒め言葉に、私は心臓が跳ね上がるほど目を見開いた。
「……! き、今日は私の誕生日なのかな!? お姉様が私のことを可愛いって言ってくれた……!」
本来、私の本当の誕生日は、お姉様が路頭に迷っていた私を拾ってくれた日だった。
毎年、二月の終わり。
風はまだ少し肌寒く、冷え込みは残るけれど、凍った土の中から小さな花がぷつぷつと咲き始める、そんな季節。
「……ほら、これも食べなさい」
お姉ちゃんはそう言って、私のお皿にまた新しく高麗芋パンをポンと置いた。
かつて子犬だった頃、私の特別な記念日には、お姉ちゃんはいつも、犬でも安心して食べられる特別な高麗芋パンを焼いてくれたものだった。
「可愛いって言ってくれて、高麗芋パンも二個目をくれて……やっぱり今日は、本当の誕生日なのかもしれない!」
私は口元についたサツマイモの甘い粉をぺろりと舐め取りながら、世界一の幸せを噛み締めていた。
「そんなに口の周りを汚して食べないの」
「はーい!」
(ふふ、私たち、もうずいぶん仲良くなれたよね。お姉ちゃんも、私が大好きなあの“ココ”だってこと、そのうち自然と気づいてくれるかもしれない……)
それに、最近はあの不快な「幻聴」も、すっかり鳴りを潜めていた。
一時期は、頭の奥底から私を「汚いクソ犬」だと罵るおぞましい声が何度も聞こえてきて、本当は怖くてつらくてたまらなかった。けれど、今こうしてお姉ちゃんが私を人間として、妹として目一杯可愛がってくれるから、不安なんてどこかへ消え去ってしまったのだ。
「うれしい、幻聴まで完全に聞こえなくなったよ!」
私が無邪気に万歳をすると、お姉ちゃんはふと真剣な目付きになり、私の小さな手をそっと包み込んだ。
「ココ、しばらくの間は、お部屋でゆっくり休みなさい」
「はい!」
「お部屋でおいしいものをたくさん食べて、暖かくして、しっかり身体を休めるのよ」
「はーい!」
「――私がどこかへ行くからって、絶対について来ようなんて考えないこと」
「は……はい……?」
お姉ちゃんの最後の釘を刺すような言葉に、私の返事が少し遅れる。それを見届けたお姉ちゃんは、やれやれと深くため息をついた。
私はそんなお姉ちゃんを見つめながら、小さく首をかしげた。
(おかしいな。どうしてお姉様は、まるで自分だけは休まない、みたいな言い方をするんだろう?)
皇宮の舞踏会という大きな山場も超えたのだから、もうしばらくは何も危険なことはないはずなのに。
(まあ、いっか! これなら、しばらくの間は安心してのんびり過ごせそうだし!)
・
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「うーん。俺、ちょっと格好よくなったんじゃないか……?」
アルドス邸の鍛錬場の鏡の前で、カリゴは真剣な顔をして自分の姿を見つめていた。
最近、自身の影の能力を高めるため、以前よりもずっと熱心に修練に励んでいる。その成果だろうか、ほんの少しだけ背が伸びたような気もするし、少年らしい顔つきもなかなか精悍になってきた気がする。
(本当は、能力の強さと見た目の格好良さは、これっぽっちも関係ないんだけどな)
彼は後頭部をぽりぽりとかきながら、少しだけ唇を尖らせた。
「やっぱり、まだ大人に比べたら少し背が低いな……」
彼がいつまでも鏡を睨みつけていたのは、どうやらその部分が不満だったらしい。
すると、足元にいた虎の霊獣――アミウスが、そっとカリゴの脚に大きな頭をすり寄せた。そして、床に落ちていた炭の欠片を器用に前足で操り、床へ滑らかな文字を書き記していく。
【完璧】
「ん?」
【イケメン】
まだアミウスの言葉を完璧に通訳できるわけではなかったが、心を通わせ始めたカリゴには、その意図が何となく伝わった。
カリゴは鏡から視線を外し、思わずくすりと笑い声を漏らす。
「そうだな。お前も最高に格好いいよ。じゃあ、そろそろココのところへ行こうか」
修練に打ち込んでいる間も、ココがアルドス邸でどんなふうに暮らしているのか、風の噂で耳に入っていた。
(あの舞踏会で、メロマンド家を出し抜いて凄まじい魔晶石鉱山を発表したらしい)
どうしてあの子は、いつもあんなに運が良くて、周囲を驚かせるようなことばかり起こすのだろう。
(……まあ、あいつはいつも太陽みたいに笑っているから、幸運が味方するのも当然なのかもしれないな)
カリゴは照れ隠しに何気なく視線をそらすと、アミウスを伴ってココのもとへと歩き出した。新しく手に入れた自身の影の力を少しだけ自慢し、彼女と他愛のない話をするために。
(それに、もうすぐ開かれる狩猟大会の参加資格も実力でもぎ取んだ。すごく格好いい紳士になったって、あいつに自慢してやらなくちゃな)
(……そうしたら、少しは頼りになる影使いに見えるだろうか?)
そう想像するだけで、少年の若い肩には自然と誇らしげな力が入るのだった。
***
「わあっ、カリゴ! アミウス! 虎さん! 二人とも、すごく久しぶり!」
おいしい朝食を終えて中庭を歩いていた私は、ひょっこり姿を現した二人に気づき、パタパタと駆け寄った。
「前に話したこと、覚えてるか?」カリゴが少し大人びた声で尋ねる。
「うん! 修行に行くって言ってたよね!」
「ああ、その通り。必死で修行してたんだ。アミウスとの意思疎通の練習もしなきゃならなかったしな……」
足元で、アミウスがふんっと鼻を鳴らし、再び床に文字を紡いだ。
【すごく大変だった】
「……ふふっ。アミウス、すごく苦労したんだね」
【それでもよかった】
「それでもよかったんだって!」
私は目を大きく見開いた。言葉はなくとも、二人の間には以前とは比べものにならないほど、確かな信頼の絆が結ばれているのが分かったからだ。
「だからさ……この狩猟大会のシーズンが全部終わったら、俺は北部へ行くことになる。その前に、お前ともっと仲良くなっておきたくて」
「うんうん! 私もカリゴともっと仲良くなりたい!」
私は努めて明るく笑った。けれど、察しのいいカリゴは、私のわずかな目の陰りに気づいたようだった。
「どうした? 何か悩み事でもあるなら、俺で良ければ聞くけど」
「うう、何でもないよ」
私は優しく首を横に振った。私の悩みは、カリゴにどうにかできるような性質のものではなかったから。カリゴとアミウスが前よりもずっと深く心を通わせ合っている姿を見て、ほんの少し、胸の奥が羨ましさでチクリと痛んだだけなのだ。
(お姉様は、まだ私のことを“あのココ”だって思い出してくれない……)
もしかすると、まだ『本当の親密さに至るための決定的なきっかけ』が訪れていないからだろうか。でも、それってあまりにも曖昧で、もどかしい条件だった。
(そのきっかけって、いったいいつ訪れるの? そもそも何なのよぉ!?)
私が心の中で大きくため息をついていると、カリゴが私を元気づけるように、内緒話のトーンで小さな声をささやいた。
「そういえば、ココ」
「ん?」
「もうすぐ皇帝陛下が主催する大規模な狩猟大会――『キャプル・カーニバル』が開かれるって聞いたけど、知ってるか?」
「えっ、狩猟大会? ううん、初めて聞いた!」
「『キャプル・カーニバル』は、狩猟場に小型の魔物を放って、それらを狩りながら貴族たちが能力を競い合う伝統的な大会んだ。そこで見事優勝すると、陛下からとんでもなく豪華な褒賞がもらえるらしいぞ」
「わあ、すごそう!」
「能力者なら、年齢に関係なく誰でも参加できるんだってさ」
「へえ、誰でも……」
そこまで話したところで、私の脳裏に、今朝のお姉ちゃんとの会話がフラッシュバックした。
『部屋でおいしいものを食べて、暖かくして、しっかり休むのよ』
『私がどこかへ行くからって、絶対について来ようなんて考えないこと』
(……待って。もしかして、これって……!)
「お姉ちゃんっ!!」
私はカリゴをその場に残し、一目散にお姉ちゃんの部屋へと突撃した。突然飛び込んできた私に、クロエお姉ちゃんは驚いたように眉をひそめる。
「お、お姉ちゃん! 狩猟大会に行くの!?」
「どうしてそれを知っているの? 誰に聞いたの?」
「カリゴが教えてくれたの!」
「……まったく。あの小僧、あとでたっぷり叱っておかないといけないわね」
お姉ちゃんは冷たいため息をついた。
「私も見学に行っちゃダメ? お願い、お姉ちゃん!」
「ダメよ」
お姉ちゃんは、一ミリの迷いもなくきっぱりと言い切った。
「ほかの社交場ならともかく、模擬狩猟大会は魔物を扱うの。あまりにも危険すぎるわ」
「でも、カリゴが言ってたよ? ほかの貴族の子たちはみんな行くって。私くらいの年齢の子でも、見学として連れて行ってもらえるんだってば……!」
「……それは、その年齢ですでに、自身を護るに十分な優れた能力を発揮している子供たちの話よ」
「えっ!? 私だって、すごい能力を持ってるのに!」
「それを知っているのは、お前と私だけだわ」
「むぅ……」
お姉ちゃんは私の頬を優しく包み込み、言い聞かせるように静かに囁いた。
「……それに、あなたのその光の能力は、できるだけ周囲に知られないほうがいい。分かったわね?」
私は不満ながらも、お姉ちゃんの言うことの正しさに渋々頷くしかなかった。
「じゃあ、お姉ちゃんも危ないから行かないんだよね……?」
「……」
私がお姉ちゃんの身を案じて正論を突くと、お姉ちゃんはふっと不自然に視線をそらした。
「さあ、ココ。それより、サツマイモをもっと食べなさい」
「えっ、あ、う、うん……」
「早く食べて。あなたの好きなサツマイモを、キッチンでたくさん蒸させて持ってきたから」
お姉ちゃんは、なぜか私に次から次へと食べ物を勧めてきた。
まるでお腹をいっぱいにさせて、私の思考を鈍らせようとするかのように。
「ふぁ……。なんだか、お腹いっぱいで……すっごく眠くなってきちゃった……」
「そう? じゃあ、この温かいお茶も飲んで。身体が温まって、よく眠れるわよ」
(なんだか……おかしいな……)
お腹をぽんぽこりんに膨らませたまま、うとうとと激しく舟をこぎ始めた私は、お姉ちゃんの細い腕にそっと抱き上げられ、そのままふかふかのベッドへと横たえられた。
(どうして、だろう……。私の本能が、このまま眠ってはいけないって、必死に叫んでいる気がするのに……!)
「くぅん、くぅぅぅ……」
抗えない強烈な睡魔の波に呑まれ、私はそのまま、深い深い闇の中へと落ちていった。
***
「うぅ……お姉ちゃん、どこ……?」
目を覚ましたのは、なんと翌日の昼過ぎだった。
私は飛び起きると、かつて子犬だった頃よりもずっと速いスピードで、必死にお姉ちゃんの姿を探して廊下を駆け抜けた。けれど、出くわした侍女に尋ねた答えは、私の予想を最悪な形で裏切るものだった。
「え? クロエ様ですか? 本日からの狩猟大会に参加されていますよ。模擬狩猟の事前練習をするため、早朝にはもうお屋敷を出発されましたが……」
「はっ、あの、お姉ちゃん……確信犯だーーーっ!!」
私は頭を抱えて叫んだ。次から次へと私の口に甘いサツマイモを詰め込んできた時点で、あの怪しい行動の意図に気づくべきだったのだ!
そういえば、子犬だった頃も、お姉ちゃんは私に全く同じことをしていた。
(すっごくおいしいものをお腹いっぱい食べさせて、熱々のお茶もたっぷり飲ませて! 私がうとうとし始めると、お腹を優しくぽんぽんと叩いて、あっという間に眠らせちゃうの!)
(これ、お姉ちゃんが私を留守番させるときの『お決まりの手』だったのに! 人間になって、久しぶりすぎて完全に油断してたーーーっ!!)
私は自分のマヌケさに何度も大きなため息をつきながら、とぼとぼと別館の自分の部屋へ戻ろうとした。
だが、その時だった。
開け放たれたお姉ちゃんの寝室の前を通りかかった瞬間、私は完全に硬直し、口をあんぐりと開けた。
「こ、こ、この子、いったい誰ーーーーっ!?!?」
お姉ちゃんのベッドの真ん中。
私がいつも丸くなって眠っていたまさにその特等席に、真っ白で、ふわふわで、綿菓子のようにちっちゃな子犬がちょこんと座っていたのだ。そいつは私に気づくと、短い尻尾をぶんぶんと激しく振って、無邪気に耳をぱたぱたたてた。
私は凄まじい衝撃に頭を殴られたようになり、足元がふらついた。
(嘘でしょ……!? お姉ちゃんのベッドから、あのちっちゃい泥棒子犬を引き離さなきゃ!!)
私は一目散に廊下を駆け戻り、さっきの侍女たちを捕まえて叫んだ。
「ねえ!! あそこ、お姉ちゃんの部屋にいる、あの白い子犬はなんなの!?」
「何それ、って……お嬢様、私たちも詳しくは分からないんです。クロエ様への舞踏会の贈り物だという話もありますし、一時的にここで保護しているだけという噂もあって……。贈り物の山と一緒に届いたのは確かなのですが、クロエ様は受け取られた後、特に何もおっしゃらなくて」
「じゃあ、あの子……ここにずっと長くいるかもしれないってこと!?」
「そうかもしれませんね。実は、とっても可愛いので、メイドたちの間では『ずっといてくれたらいいのにね』って話してるんですよ!」
「……!」
「今朝もね、クロエ様から『その子犬を連れて外に出るな』と言われたので、お部屋の中で触るだけにしたんですけど……もう、すごくふわふわで温かくて! それに見た目よりずっしりしていて、こちらの言葉もよく理解しているみたいでした。とっても賢い高貴なワンちゃんですよ」
侍女たちのお喋りを聞きながら、私はがっくりと肩を落とした。
「そういえば、あの子犬ってモルティーズ島生まれの、もの凄く由緒正しい血統なんですって」
「モルティーズ島……?」
「ええ、愛犬家の間では『犬たちの楽園』って呼ばれている有名な島です。完璧な血統書まで付いているらしいですよ」
血統書。
その響きに、私は全身の力が完全に抜けていくのを感じた。
(私は……)
血統書なんて、そんな立派なもの、一枚だって持っていなかった。
(ただ、お姉ちゃんが雨の日の道端で拾ってきてくれた、薄汚れた野良犬だっただけなのに……)
そういえば、昔、お屋敷にやってくる人間たちが、お姉ちゃんの陰口を叩きながら私のことも馬鹿にしていたのを思い出す。
『なんであんな間抜けな野良犬なんかを、公爵令嬢が連れて歩いてるんだ? 血統のいい犬なんて、金を出せばいくらでも手に入るのに』
私は、目の前のメイドのお姉さんの服の裾を、ぎゅっと掴みながら消え入りそうな声で尋ねた。
「でもね……その……野良犬だって……少しくらいは可愛くない……?」
mute
「え?」
「私は……私はどうかな……?」
しかし、私の意図を汲み損ねたメイドたちは、困ったように笑って首を横に振った。
「そうですねぇ。でも、野良犬は少し薄汚れていますし、どんな病気を持っているか分かりませんから……」
「そうそう。病気を人間にうつすこともあるって聞きますし、むやみに噛み付く危ない子も多いですからね。やっぱり、血統のいい賢いワンちゃんとは違いますよ」
彼女たちの言うことは、何一つ間違っていなかった。野良犬の中には過酷な環境のせいで病気を抱えた子も多いし、人間を怖がって噛む子もいる。
だけど。私はそんな犬じゃなかった。お姉ちゃんを噛んだことなんて、一度だってなかったのに。
「私と……比べられちゃうじゃない……」
私はトボトボとお姉ちゃんの寝室へ戻り、ベッドの上できょろきょろと動き回る白い子犬を、遠くからじっと見つめた。
シャンプーの良い匂いが漂ってくる。つやつやの白い毛並みに、つぶらな黒い瞳。手のひらに乗るほど小さな体。
「わんっ、わんっ!」
子犬はあちこちの匂いを嗅ぎ回っているうちに、私の存在に気づき、トコトコと短い足で近づいてきた。
(私の匂いを嗅ごうとしてるのかな……?)
私は少しむくれて、人差し指で子犬の額を軽く押し返しながらぶつぶつと言った。
「こら、あっちへ行ってよ」
「人間! 好き! 好き!」
子犬は嬉しそうに尻尾をちぎれんばかりに振り、私に全力で甘えようとしてくる。
どこからどう見ても、文句なしに愛らしい、完璧な子犬だった。お姉ちゃんがこれを可愛がるのも、無理はなかった。もしかしたら、昔の私よりもずっと。
私は胸がズキリと痛んだけど、必死に自分に言い聞かせた。
『違うもん。私のほうが、もっと、もっと可愛かったんだから……!』
私はてくてくと歩み寄り、子犬の前に立ちはだかった。
「お前!」
「人間! 大好き! 赤ちゃん人間!」
「……もうっ、私の言葉、全然通じてないじゃない!」
「可愛い赤ちゃん人間!」
話の通じない、困った子犬だった。私は肩をすくめ、できる限りの不機嫌な顔を作ってみせた。
「お、お前なんて、本当に……すごく、すごくブサイクなんだからねっ!」
そう言いながらも、私の視線は子犬の愛らしさに釘付けになっていた。
(私なんて、死ぬ間際には病気で毛が抜け落ちた、みすぼらしい姿だったのに……。お姉ちゃんの記憶の中の私は、あんな不格好な野良犬のまま止まっているのかな……)
目の前できらきらと輝く純白の子犬を見ていたら、なんだか急に悲しくなってしまった。
「この子はいたずらもしませんし、本当に賢いんですよ。以前クロエ様が飼われていた子犬は、あちこちで粗相をして本当に大変だったそうですから」
通りがかった侍女の、悪気のない何気ない一言が、私の耳を真っ赤に染め上げた。
『う、うう……あの時は私も、まだ小さくて我慢できなかっただけで、悪気はなかったんだもん……!』
お姉ちゃんはいつも「大丈夫よ」って、優しく笑って片付けてくれたけれど。
それでも、なぜか胸の奥がモヤモヤとした嫉妬の炎でいっぱいになる。
私はぴたりと足を止め、侍女たちを振り返って恐る恐る尋ねた。
「ねえ……あの子犬……ココより、可愛い……?」
メイドたちはしばらく黙り込み、お互いに顔を見合わせると、あはは、と明るく笑った。
「まさか! お嬢様のほうがずっと可愛くて愛らしいですよ!」
「そうですとも。あの子犬なんて比べものにならないくらい、お嬢様が一番です!」
「……」
私は静かに唇を噛んだ。私が聞きたかったのは、人間の私と比べた話ではなかった。
私はもう一度、勇気を出して尋ねる。
「……あのね、私じゃなくて。“ココ”っていう、昔お姉ちゃんが飼っていたっていう、あの子犬のこと……」
私の言葉に、メイドたちはようやく合点がいったように頷き、そしてあっさりと残酷な言葉を口にした。
「ああ、その子と比べて、ですか? それなら、断然あの子犬(モルティーズ)のほうが可愛いですよ」
「本当にそうよね。それにしても、以前の野良犬は、クロエ様にはまったくお似合いになりませんでしたものね」
――みすぼらしい野良犬。
私は、自分のことをそんなふうには思っていなかった。
どんな犬だって、どんな生き物だって、それぞれに素敵なところがある。人間だって、髪の色も肌の色も瞳の色もみんな違うけれど、それぞれが自分だけの格好良さを持っているのに。
どうして人間は、犬にだけ「格」や「身分」をつけたがるのだろう。
――でも、私のお姉ちゃんだけは、そんな人たちとは違う。
今のお姉ちゃんには、周囲の身分にふふさわしい、立派で綺麗な子犬が寄り添っているかもしれないけれど。
(大丈夫……! 私とお姉ちゃんがこれまで育んできた絆は、とっても、とっても強いんだから……!)
一緒に過ごした温かい時間も、分け合った高麗芋パンの味も、誰にも壊せないし、誰にも奪えやしない。
私はその温かい記憶を胸に、真っ白な子犬を見つめながら、強く、強く前を向くのだった。
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ビリーフの激務と魔晶石の管理
皇宮舞踏会での発表が大成功を収めた結果、アルドス公爵邸には購入希望の手紙や人が殺到し、ビリーフは書類整理の大激務に追われることとなりました。公爵はエネルギー資源としての悪用を防ぐため、販売先を慎重に選ぶ方針を決めています。
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クロエの計画とココの足止め
クロエが皇帝主催の模擬狩猟大会「キャプル・カーニバル」へ参加することを知ったココですが、危険を案じるクロエによって大好物の高麗芋パンとお茶でお腹いっぱいにされ、眠らされて留守番を余儀なくされてしまいました。
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新たな白い子犬の登場とココの葛藤
目を覚ましたココの前に、舞踏会の贈り物として届いた完璧な血統書付きの白い子犬(モルティーズ)が現れます。侍女たちの「昔の野良犬よりこちらのほうが可愛い」という言葉にココはショックを受け、血統のない元野良犬としての自分に葛藤しながらも、クロエと培った絆を信じようと決意します。